第26話 見つかったもの

 駅を出てからおよそ一時間、俺たちは久城山の麓にまで辿り着いていた。

 

 そんな時だった。またあの頭痛が俺の頭を蝕み始めたのは。

  

「おい! どうした!」

 

「……例の頭痛だ」


「……なんだと? つまり――」


「ああ。これが転入届を取りに行った時と同じパターンなら、『この先に見られると困るものがある』ってことだ。……一応聞くが、朝倉には頭痛は起きてないんだな?」


「ああ……」

 

「なら大丈夫だ、行くぞ」

 

 最悪俺が倒れても、朝倉が一人で進んでくれるだろう。

 

 俺は頭の痛みを堪えながら。スマホのライトを頼りに、迷いなく山奥へと足を進めていった。

 

「おい、さっきから適当に進んでるように見えるが、大丈夫なのかよ」


 朝倉の疑問も尤もだが、幸い進むべき方法を示すアテが、今の俺にはあった。

 

「……こっちの方向に進んでいくと、段々頭痛が酷くなってくんだ。だから多分、何かあるとすれば、こっちの方向だ」

 

「なるほど、人間ダウジングマシンってわけか」

 

 なんつー酷い名前だ……。

 

「もっと人道的な名前はなかったのかよ」

 

 それしても、行手を阻もうとして起きた頭痛が、かえって道を示すきっかけになるとはな。


「……そうだ朝倉、今のうちにお前に言っておくことがある」


「なんだ」


「多分俺はこの後気絶する」

 

「は?」

 

「転入届を取りに行ったときと同じパターンだよ。……だから、俺がぶっ倒れたら、その時は俺をその場に放置して捜索を続けろ」

 

 朝倉が眉をひそめる。

 

「流石に夜中の山の中は危なすぎねえか? お前一人くらいなら引っ張っていける体力はあるつもりだぜ?」

 

「帰宅部の筋力なんかアテにできるか。それじゃあ探索の効率が落ちる。……なに、放っておいても、そのうち目を覚ますだろうよ」 


 ひょっとしたら、その時俺はもう、何も覚えてないかもしれないが。

 

「……わかったよ」


 そんな内心を知ってか知らずか、朝倉は頷いた。

 

「……ったく、よくもまあ人のためにそこまで身体を張れるよな」


「どういう意味だ?」


「……だってお前、今だって頭痛で相当キツいんだろ?」

 

「ああ、まあな……正直しんどい。今だって唇を噛みながら必死で頭痛に耐えてる……。それに、ここのところずっと得体のしれないことばっか起きて、正直怖えって思うよ」  

 

 こんなこと、六花と鈴木の前じゃ絶対に言わないけどな。もちろん格好つけるために。


 ……それでも、いくらフィクションのような出来事に憧れたとしていても、いざ本当に巻き込まれるとなれば、恐怖だって不安だって当然生まれる。


 ひょっとすれば、物語なんて側から見ているくらいが一番面白いのではないかと思う自分もいるくらいだ。

 

「……でも、お前も俺と同じ立場だったら分かると思うぜ、あんなとびきりの美少女に目の前で泣かれてみろ、途中で投げ出せる訳ないだろ」


 俺はとびっきりのキメ顔で朝倉にそう言ってやる。


 六花の力になりたい。この想いだけは確かに本物だ。

 だから俺は柄にもなく今こうして苦痛に苛まれる道を選び、根性で耐えている。


「それに、困ってるヒロインがいたら意地でも助ける。それが俺たちが憧れた主人公ってもんだろう」

 

 そんな俺に朝倉は呆れたような視線を向けてきた。


「お前と一緒にすんな。……俺は正直、お前が羨ましいよ」

 

「どういうことだ?」

 

「さあな、それは自分で考えろ……さて、精々風賀美の正体が、地球を侵略しにきた宇宙人じゃないことを祈るんだな」 

 

「その時はその時でなんとかしてやるよ、なにせ俺は、『うる星やつら』も『ToLOVEる』も履修済みだからな」

 

「……なるほど、美少女宇宙人と仲良くなる方法ならお手のものって訳か……アホだろ」


 そんな毒にも薬にもならないやり取りの最中のことだ。

 俺を蝕み続ける頭痛が、一層強くなった。

 

「がぁっ……!」

 

 そのあまりの苦痛に、俺は地面に膝をついてしまう。

 額に、急激に吹き出しはじめた冷や汗がたらりと垂れた。

 

「おい、大丈夫なのか……?」

 

「……いや、そろそろ本格的に不味いな……」

 

 現に今も、俺の視界は既に朦朧とし、意識は薄れ始めていた。

 経験上、俺はこの後すぐに気を失うだろう。

 

「悪いな……後は任せた……」

 

 意識を失う間際。最後の言葉は「ここは俺を置いて先に行け」の方がよかっただろうか、なんてどうでもいいことを考えながら、俺はまた意識を手放すのだった。

    

 ◇


「……きろ! おい、起きろ!」


 朝倉に耳元でやかましく叫ばれ、激しく体を揺らされた事で目を覚ます。

 

 落下物の正体を突き止めるべく久城山を進む最中に気絶したことはしっかりと覚えている。どうやら記憶に問題はないらしい。


「何があった…?」


「見た方が早い……ついてこい」 

 

 朝倉の後を追って、山のさらに奥の方へと進み始める。

 その最中、俺はあることに気づいた。


 ――頭痛が、収まっている……?

 

 一時は意識を失うほどだった頭痛が、完全に消え去っていた。  

 おかしい……。

 転入届の時は気絶したその後も、職員室に近づくだけで頭痛が再度起きたというのに、今回はそれがない。


 ひょっとして、もう頭痛による阻害は必要ないということか?

 だとすれば、それが意味するところは――


「あれだ」


 立ち止まった朝倉がライトで照らした場所を見て、俺は絶句した。

 

「マジかよ……」


 ――地面が、まるで大爆発でもあったかのようにすり鉢状に大きく抉られていた。

 穴の直径は五メートルほど。中心の最も深い場所は四メートルほどあるだろうか。

  

 間違いない。中槻山の落下物について調べていた時に出てきたクレーターの画像にそっくりだ。

 これで、中槻山と久城山に繋がりがあることは、確定したも同然だった。


 だが、クレーターの中には何か落下物が落ちているわけもなく、ただ抉られた地面が広がっているだけだった。

 

「何もないのか……?」

 

「ああ、そう見える。……だが、お前に頭痛が起きたって言うなら、ここに何か見られちゃまずいもんがあるんじゃないのか?」

 

「だな……確かめてくる」

  

 俺はクレーターの中を調べるべく、穴の傾斜を滑り降りて中心へと降り立った。


 落下物はやはり、誰かに既に持ち帰られてしまったのではなかろうか?

 そんな可能性を考えながらライトで辺りを照らすが、手掛かりらしきものは一切見当たらない。

 

 ――いや、今何かが足元でヒラリと動いた。

 

 俺はそれを咄嗟に拾い上げる。

 それはどうやら、“半分ほどに千切られたノートのページ”だった。被さっていた土を払うと、ライトでそれを照らす。


 ――そこに描かれたものを見た瞬間。ゾワリと、漠然とした不安と恐怖に俺は飲み込まれた。

 

 そこに描かれていたのは、鉛筆で描かれた下手くそな女子高生のキャラクターのイラストだった。


 彼女はショートボブの髪に、ボールでも詰まっているんじゃないかと思うほどの不自然に大きい胸をしていた。

 そしてやはり、手を後ろに回すようなポーズで描かれていた。


 ……間違いない、これは中槻山に落ちていたイラストの片割れだ。

 だが……だが何故、大阪にあった絵の片割れが千葉に……?


 何か手がかりはないかと絵を観察していると、スマホのライトに紙が透かされ、ノートの裏側に何か文字が書いてあることに気づいた。

 

 手首を捻り、ノートを裏返す。

 



 ――気づくと俺は尻餅をつくようにして地面に倒れ込んでいた。




「……………は?」 

 

 


 「腰を抜かしたのだ」と自分で気づくのにすら、時間をしばらく要した。


 目を疑った。


 夢かと思った。


 頭がどうにかなったのかと思った。


 だが、いくら目を擦ってみても、大雑把な字で書かれた文字列は消えも変わりもしなかった。   

 



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【オリジナルキャラ02 風賀美六花かざがみりっか


 長太郎に思いを寄せる、高校2年生の春からやってきた美少女転校生。

 天才的なまでに文武両道でクラスからの人気も高い、全てを兼ね備えた完璧超人で、「もっはろー」という挨拶が口癖。


 多くの部活から勧誘を受けているが、帰宅部の長太郎と一緒にいる時間を増やすため部活には入らないでいる。


 小悪魔的な言動で長太郎を翻弄しようとするが、裸を見られて取り乱すなど抜けているところも。


 ちなみに告白は絶対に自分からしたい派。


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 そこには、まるでキャラクターの紹介文のような体裁で、六花の事が書かれていた。

 

 単なる偶然だと必死に思い込もうとしても、特徴、性格、挨拶、そして何より、『長太郎』と、他ならぬ俺自身の名前が書いてある事実が、その否定を許さない。


 ただ一つ、ノートの中で俺は演劇部ではなく帰宅部だと書かれていることだけは異なるが、それでもここに書かれている風賀美六花というキャラクターは、俺の知る白髪碧眼の彼女だった。

 

 改めてイラストを見る。


 ノートに書かれたショートボブのキャラクターは、よく見れば鉛筆の濃淡で塗り分けがされていた。


 靴、ソックス、スカート、ブレザー、リボン、そして肌。

 時には濃く、時には薄く、炭の色が乗っている。


 ――ただ一箇所、髪だけを除いて。

 

 紙面の中の彼女は、“真っ白”な髪をしていた。

 

「なんだよ……これ……」

 



 ――六花は一体……“何”なんだ……?

 



「おい! どうした‼︎」

 

 斜面を駆け降りてきた朝倉は、俺が持っているノートに気づくと、奪い取るように手に取った。

 

 その顔色は、すぐに驚愕の色に染まった。


 ……だが、その後の反応は俺とは対象的で、奴は至って冷静だった。

 目を閉じた朝倉は眉間に手を当て、すぐに何かを考え始めたのだ。

 

「……おい、せめて一言くらいは何とか言えよ! 六花は一体何者なんだ……? どうして俺の名前が出てくる……‼︎」


 思いつくままに問いただす。

 俺が真っ先に思い浮かべたのは、まさに絵空事でしかない、まさしく妄想だった。


「六花は……この絵から飛び出してきた……キャラクターなのか……?」


 二次元のキャラが平面の世界から飛び出し、この現実で肉体を持つ。

 

 それは、誰もが一度は考えたことがあるであろう想像で。

 

 同時に、誰一人として叶えた者のいない妄想だった。


 ――だが、そんな妄想が現実になっているとしか思えなかった。

 


「分からない…………だが、多分、今回の一件は、そんな単純な話じゃないはずだ」


 朝倉が淡々と言う。

 

「仮に、単純に風賀美が絵の中から飛び出してきたキャラクターだったとしたら、なぜ風賀美は『知子』と『真央』という、現実の人間の記憶を持っていた? それは、風賀美がこの現実で生きてきたからじゃないのか?」


「それは……」


「落ち着け狭間。深呼吸をしろ。……そこにどんな経緯があろうと、風賀美六花は十数年間この現実を生きてきた一人の人間だ。そこだけは絶対に揺らがない」


「あ、ああ……そうか、そうだよな……」


 この程度の事にすら思い至らないとは、今の俺は相当参っているらしい。


 すると朝倉は、「このままじゃ埒があかない」と、クレーターの斜面に寄り掛かり言った。


「一つずつ、断言できる部分から整理していこう。……とりあえず、このイラストと文字を描いたのは、お前、狭間長太郎自身だ」


 ――やはり、そうなのだろうか。

 

「……俺は、こんな絵を描いた覚えはない。……そうだ、さっき言ったよな、俺は模写ばっかりしてて、オリジナルのキャラは描かなかったって」


 すると朝倉は懐からポケットから鉛筆とメモ帳を取り出し、差し出してくる。

 

「そうか。……なら試しに今ここで、『風賀美六花』と書いてみろ」

 

 俺は、震える手で鉛筆を握った。

 

 ――始めの一文字を書き終えた時、既に俺は、気づいてしまっていた。

 その線の“とめ”方、“はね”方、“はらい”方。

 そのどこをとっても“ノートの文字”と特徴が一致していることに。


 ……ノートに書かれた字は、俺の字だ。 

 

「……よくも、俺の筆跡なんか覚えてやがったな」

 

「流石にそこまでは覚えてない。単にこの方法が一番わかりやすくて手っ取り早かっただけだ。……だが、これで分かったな」

 

 ああ、このノートを描いたのは、やはり俺だ。

  

 ……いや、本当はそんな事、鉛筆を握る前から分かっていた。


 このノートから、ほんの微かに“コーヒーの香り”がすると気づいた時から。

 

 このノートの切れ端は、俺が中学の時に大量に買って家に余らせていた、あの黒い表紙のノートだ。


 その事実に気づくと同時に、俺は悟った。




 ――六花に涙を流させたのは、俺だ。




 経緯は、過程は分からない。

 だが、六花が記憶もなく寄る辺もない、今のような状況に至った原因はきっと俺にある。

 俺が一番憎むべき、恨むべき相手は俺自身だったのだ。

 きっと俺は、それを認めたくなくて、否定しようとしたのだ。


 自己保身も甚だしい、愚か者にも程がある。

 やはり俺は、救いようのない碌でなしだ。

 

「……そうか、俺はこの絵を描いた事を忘れていたんだな」

 

 デートの帰り道、六花に告白しようとした事を忘れたように。


 そして、六花のことを忘れてしまった智子氏と真央氏のように。


 俺が本来持っていた『オリジナルキャラクターを設定と共にノートに描き写していた記憶』。

 それはきっと、ラノベを模写していた記憶にいつの間に起き変わっていたのだ。


 だから俺は初めて台本を書いた時、あれだけ苦手意識があったキャラクターを生み出す作業に、全くと言っていいほど苦労しなかったんだ。

 

 ――記憶は消えても、経験までは消えなかったんだ。

 

 朝倉がぽつりと話し始める。


「今に思えば、初めっから風賀美は、お前にとって都合のいい存在にも程があったな。……ボクっ娘で短めの髪。いかにもお前が好きそうな見た目じゃないか。……そして、あんな漫画みたいな出会い方をした上、あの一途さだ。どう考えたってお前に都合が良すぎた。だが、それが例えば――」


 俺は、朝倉が言い切る前に、言葉の続きを口にした。

 

 ――これは、俺が語るべき言葉だ。


「……六花が、あのノートに描かれた設定そのままの存在だとしたら辻褄が合う。そう言う事だろ?」


「……まあな」


 目を逸らそうとする朝倉に俺は問う。


「なあ名探偵、六花は十数年間この現実を生きてきた一人の人間だってさっき言ったよな。……なら、六花は一体何者なんだ?」


「…………少し、考える時間をもらうぞ」


 そう言って朝倉は、また眉間を揉み始めた。





 それから、どれほどの時間が流れたのだろう。

 俺はただぼうっと朝倉の考察が終わるのを待っていた。

 まるで判決を言い渡される罪人にでもなったような気分だった。


 そしてじきに、朝倉は顔を上げた。  


「――そういう、ことか」


 まるで苦虫を噛み潰したかのような表情だった。

 

「……わかったんだな」

 

「ああ。現状の最適解は、導き出せたはずだ……本当に聞くんだな?」


 きっと、この話を聞けば俺と六花の関係性は大きく変わるのだろう。

 そしてそれは、良い方向に傾くことは決してないのだろう。


 だがそれでも――

 

「早く話せ。俺はこの状況の真相を知る義務が……責任がある」


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