第19話 力を貸さないわけがない
六花の口から語られたのは、フィクションとしか思えないような話だった。
「入学式の日の朝、ボクは目を覚ましたらこの家にいたんだ。自分の名前以外、何も覚えてなくて、もう訳が分からなくてさ、自分の状況を把握するのでいっぱいいっぱいだったよ。以前の自分の持ち物でも見つかれば手がかりになりそうだけど、家中探し回っても、一切見つからなくてさ」
そりゃ、生活感のないモデルルームのような部屋にもなるはずだ。
「結局見つかったのは 真新しいスマホと――」
――そりゃ、友達リストも空っぽなはずだ。
「あとは久城高校の学生証と、服は数着の制服があっただけ」
――そりゃ、私服を買う余裕なんてなかったはずだ。
「『セイカツヒ』って名目で定期的に振込がある通帳も見つかって、お金はそこから使わせてもらってる。なんだか気味が悪くて、あんまり使わないようにしてるんだけどさ」
――そりゃ、節約のために自炊だってする訳だ。
「そう……だったのか……」
「うん。自分が久城高校の学生らしいって事以外、何も分からなかったから、まずは学校に行ったんだ」
そうか……だからあの時六花は転校生にも関わらず入学式の場にいたのだ。
「でもほら、あの日は入学式だったから、学校には誰もいなくてさ。正直、今にも泣きそうだったよ。結局、行く宛でもないまましばらく学校の中を歩いて――そこからは知っての通り、誰かに呼ばれた気がして、ベランダに出たんだ――そしたら、キミがそこにいた」
そして彼女は続ける。
「長太郎くん。ボクの人生はキミと出逢えたあの瞬間から始まったんだよ。仲間も、友達も、生きる意味も。全部長太郎君がくれたんだ――――だからキミは、ボクの王子様なんだ」
出会ったばかりの頃、六花は俺に、執着とも呼べるような態度を向けていた。
その理由が今、ようやく分かった。
彼女がミステリアスなのは必然だった。
何せ、自分のことすら分かっていなかったのだから。
だから、自分の容姿のレベルの高さすらを自覚していなかったし、自分の学力も、身体能力も把握していなかった。
「……思い出そう」
気づけば、俺は六花にそう言っていた。
「え……?」
「自分のことが何も分からないままだなんて、癪じゃないか?」
きょとんとする六花。
「……でも、ボクも自分なりに調べてきたけど、そんなに都合よく思い出す方法なんか……」
「だから、これから探す。一人じゃ駄目でも、三人なら思いつくことだってあるはずだ。何せこっちは趣味も性格も三者三様なんだ」
「長太郎……くん……」
六花が強く、強く抱きしめてくる。
この体を、絶対に離してやるものかと、そう思った。
……泣き腫らす六花と、それを必死に宥める俺。
それは、なんだかどこかで見たような光景だった。
「……でもいいのかな、実咲ちゃんまで巻き込んで」
「……つっても、もう手遅れだと思うぞ」
「え?」
「なあ、鈴木」
俺は、廊下の曲がり角、こちらから死角になっている曲がり角に向かって話しかけた。すると、その角から、申し訳なさそうな表情の鈴木がひょっこりと現れる。
俺もついさっき気づいたんだが、角から黒髪がちらちらと見え隠れしていたのだ。
「その……すみません。盗み聞きをするつもりはなかったんですけど、気になってしまいまして……」
まあ、自分を差し置いて二人が玄関で話し込んでいるとなれば、様子を伺いたくなるのも分かる。
「実咲ちゃん、一体いつから……」
そういえば、いつから聞きはじめていたのかまでは把握してなかったな。
「その……ば、バストサイズの……話から……です」
……よりにもよってすぎるだろう。
「か、風賀美さん、落ち込まなくても大丈夫です。私だってカップ数は――」
「バカ! やめろ‼︎ ストップ‼︎」
さらっととんでもない事を口走ろうとするな! 女子校のノリに俺を巻き込むんじゃ無い……‼︎
「わ、わわわわすみません‼︎ すみません‼︎」
「あははは! もうめちゃくちゃだね!」
六花は涙を拭きながら、おかしそうに笑っていた。
「……すまん、こんなグダグダになっちまって」
「ううん、むしろ元気出たよ、ありがとう!」
「私も、手伝います! 風賀美さんの記憶探し……!」
「あーもう! 実咲ちゃんは可愛いなぁ!」
すると六花は、片手で俺を抱きしめたまま、近づいてきた鈴木まで抱き寄せた。
「二人とも大好き‼︎」
「お、おい!」
「わ、わわわ私も大好きです‼︎」
こんなドタバタ騒ぎの後にシリアスな話ができるはずもなく、結局この後、俺は一人寂しく家に帰るのだった。
――あの日、空から降ってきた白髪碧眼ボクっ娘美少女は、記憶喪失だった。
――そして、俺の身に起きる原因不明の頭痛とスロー現象。
これだけ揃えばもう分かる。まるでフィクションのような、絵空事のような、物語のような何かが、俺の周りで起きているのだと。
――俺はもう、いつのまにか、ただ物語を眺めるだけの読者じゃなくなっていたんだ。
◇
あの勉強会から日曜日を挟んだ月曜日の朝。
俺は、いつも通りの時間に起床し、いつも通りの時間に電車に乗った。
そして、いつも通りの時間に席に着くことなく――俺は学校の中をたむろしていた。
というのも、だ。俺はあの日、俺は六花の裸を見てしまった上、六花の秘密までもを知ってしまった……要するに、どんな顔をしてこの後六花に会えばいいのかが分からずビビっているのだ。
あまりの打つ手の無さに心の中のシンジくんが「笑えばいいと思うよ」と語りかけてくるが、笑ってどうにかなる問題ではないことだけはさすがに分かる。
結局俺は遅刻ギリギリまでダラダラとしていて、校舎内に居ながら遅刻しかける羽目となった。
「(長太郎くん、もっはろー)」
すると、隣の席から六花が小声で話かけてくる。そしてその声は、いつもとなんら変わらなかった。
……少し、考えすぎだったかもな。どうやら、いつも通りでいいらしい。
そして俺はいつも通りいい加減に、「ああ、もっはろー」と返した。
◇
昼休み。部室へとやってきた俺と六花はいつも通り隣り合うように座る。週二・三回の頻度でこうして一緒に部室で過ごしているが、外野の生徒からはすっかり部活の集まりだと思われているようだ。
そんな中、背後で扉が開く音がした。
「お、お邪魔します」
入ってきたのはもちろん鈴木だ。
その手にはランチバッグの他に、ノートか何かが入っているであろうトートバックが握られていた。
鈴木が六花の隣に座り、左から俺、六花、鈴木の座り順になる。これで役者は揃ったな。
「……じゃあ、始めるか。六花の記憶を取り戻すための作戦会議」
「はい!」
「……その、お願いします!」
そう、今日鈴木が部室にいるのは、勉強会の後、俺と鈴木が各々六花の記憶を取り戻す方法を調べ、昼休みに発表し合うという流れになったからだった。
「で、では私から始めてもよろしいでしょうか」
鈴木が静かに手を挙げ、話を切り出す。
「早速なんですけど、六花ちゃん現在の状態。……いえ、“症状”について、図書館で昨日、色々と調べてきました」
――症状。
その物々しい言い回しに、緊張感が高まった。
鈴木はバッグからキャンパスノートを取り出すと、机の上で開いた。
開かれたページは、端から端までぴっしりと小さな文字で埋められていて、それがノートの半分を使い切るあたりまで続いていた。
「うそ……」
呆気にとられた六花がぽかんと口を開ける。
「実咲ちゃんこれ、どのくらい時間かかったの……?」
「今朝まで、です」
鈴木の作業開始が十一時前とすればそこから二十時間。となると、だ。
「お前、徹夜したな?」
「はい。六花ちゃんのこと考えてたら、いてもたってもいられなくて……あ! お、お風呂はちゃんと入りましたよ!」
どこを心配してんだよ……。
よく見れば、鈴木の目の下には、うっすらと隈ができていた。無茶しやがって。
だが、何かに駆り立てられるように徹夜してしまう気持ちはよく分かる。俺も新歓公演の台本を書いた時はそうだった。
「実咲ちゃん……もう、馬鹿なんだから」
「ば、馬鹿⁉︎ 長太郎くん、私やっぱり馬鹿な子なんでしょうか……⁉︎」
「察しろ。言葉の綾だ」
今日の六花は今までよりも鈴木への接し方が……何と言うか親しげな気がした。
六花が鈴木にあそこまで砕けた態度をとっているのは新鮮かもしれない。
そしてついに鈴木が六花を呼ぶ際の呼称も「風賀美さん」から「六花ちゃん」へと変わっている。
さてはあれだな? お泊まりで夜な夜な語り明かしたりなんかしちゃったりで、親密度アップイベントがあったな?
「で、では気をとりなおして、私の調べた内容を発表します」
鈴木は、こほんと咳払いをすると、今度こそ話を始めた。
「まず、六花ちゃんの症状ですが……その、不快にさせてしまったらすみません。記憶障害の一種、『健忘症』に該当するかと思われます」
――『健忘症』。
そのあまりにも無機質な響きに、背筋が凍る。
そうだ。フィクションの影響で当たり前のように『記憶喪失』だなんて言っていたが、アニメにもドラマにも疎い鈴木にしてみれば、それは漫画やアニメでありがちな設定ではなく、あくまで“病気”であり“症状”なのだろう。
「……うん、ボクも自分なりに調べてみたけど、そう思う」
そして、鈴木が見解を述べていき、六花はそれに時折質問するような形で話は進んでいった。
俺も、初めの方こそはなんとか話についていこうとしたが、次第に専門的になっていく鈴木の話に俺はついて行くことができず、なんとか要点だけ押さえるのがやっとだった。
「――と、私が調べられたのは、ここまでです」
「実咲ちゃんありがとう、自分でもできる限り調べたつもりだったんだけど、まだまだ調べ不足だったみたい。すごく参考になった」
そんな中、話についていけていない俺は、空気を読まずに手を挙げた。
「あー……すまん、正直話についていけなかった部分がほとんどだ。俺の認識があってるかどうか、確認してもらってもいいか?」
二人が頷いたのを確認すると、俺も話を始める。
「……鈴木の見解としては、六花の記憶喪失は、『健忘症』と呼ばれている疾患――それも、ストレスやトラウマが原因の『解離性健忘』の可能性が高いだということだな?」
「はい」
解離性――つまり、脳が自分を守るため、トラウマとなる記憶を封じ込めた結果起きる記憶障害、らしい。
「そして、肝心の思い出し方に関しては、その『ストレスやトラウマの原因から距離を置くこと』が重要となる、と」
「はい。安心できる環境に居続けていれば、徐々に記憶を取り戻していくことが多いようです。そのため、基本的には経過観察をしつつ、時間が経つのを待つ。そんな療法が取られることが多いみたいです。一応、催眠療法や薬剤を使用して回復を促すこともあるにはあるみたいですが……」
「……要するに、六花にはトラウマから距離を置いてもらう必要があるわけだ」
だが、鈴木の提示したこの方法には、一つ重大な問題があった。
「実咲ちゃんごめん。多分この方法は、ボクには無理だ」
「……どうして、ですか」
「実咲ちゃん言ったよね。トラウマになってる記憶を避けて生活するって……。でも、ボクは自分が何を恐れてるのかすら、わからないんだ」
――そう。六花も、鈴木も、俺も。記憶を失う前の六花を知らない。だからそもそも、避けようがない。
「だからきっと、今ボクがするべきことは、トラウマを避けることじゃないんだ――――その逆。そのトラウマが何なのか、見つけることだと思う」
「でもそれじゃ六花ちゃんが……」
六花の記憶喪失の原因が、トラウマを封じ込めた結果ということなら、そのトラウマの内容は六花のすべての記憶を封じてでも忘れたかった記憶ということになる。
そんな記憶を思い出してしまえばどうなるか。鈴木が心配する気持ちは理解できる。
「うん。わかってる。その結果ボクは、深く傷つくかもしれない。……ひょっとしたら今より状況は悪化するかもしれない」
「なら……!」
鈴木が、六花を止めようとするが、それでも六花は微笑んでいた。
「――でも今は、二人がいる。ボクがまた忘れても、二人が覚えていてくれるなら。それはきっと、一歩前に進んだってことなんだと思う。なにより、ボクは自分のことを知りたい。だから、じっとしているより、色んなものをみて、色んなことを聞いて、そうやって、何かを思い出すことに、望みを賭けたい」
その目には強い意志が宿っていた。
きっと、鈴木の頑固さをもってしても、曲げられない鉄の意思だ。
「元より、そのつもりだ」
俺は、持ってきていたリュックから、真っ黒な表紙のノートを取り出す。
その色に中学の頃惚れ込み、まとめ買いしたのはいいものの、使い道もなく寝かせていたものだ。
「狭間くん……でも、やっぱり六花ちゃんが……」
鈴木は、一つ勘違いをしている。
「一体いつから――記憶喪失の原因がトラウマだと錯覚していた?」
「……長太郎くん、その話、聞かせてもらってもいいかな」
どうも六花は、俺の考えていることに薄々勘付いたようだった。
「そんな大層な話でもない。鈴木は六花の記憶喪失の原因がトラウマにあると仮説を立てたが、俺は俺で別の説を持ってきたってだけの話だ」
現実的な――それこそ医学的な方向からは、鈴木がこうやって調べてきてくれるだろうことは予想が付いていた。
だから俺は、絶対に鈴木が調べないであろう方向から調べることにしたのだ。
そしてこれは、どうしようもなく拗らせている俺だからこそ見出せた方向性だ。
「俺は調べたのは、フィクションにおける記憶喪失の解消例だ。もっとわかりやすく言えば――『アニメの記憶喪失あるある』だ」
記憶喪失、卓越した知力に身体能力、そして俺たちを引き合わせた、誰かに呼ばれたような感覚、頭痛、スローモーション。
事態はどう見たってフィクションじみていた。
だから俺は今回の件について、現実的に考えるべきではないと思ったのだ。
六花が記憶喪失であると知った勉強会の帰り道。思い立った俺は、一人ではその知識量に限界があると思い、朝倉に電話を掛けた。
「アニメでラノベでもなんでもいい。記憶が戻る記憶が戻るキッカケをできるだけ挙げてくれ」
〈ああ? ……まあ別にいいが〉
そんな突拍子もないやりとりを合図に、俺たちは違いに例を挙げていった。
――思い出の歌、人、物、場所。
――亡き母が、幼馴染が、あるいは仇、誰かの死に場所、本を読んで、写真、壁画、前世。
記憶を取り戻す切っ掛けになりそうなものを思いつくがままに挙げていくと、段々とパターンのようなものが見えてきた。
脳手術や頭を強打するといった、一部の物理的なケースを除き、その切っ掛けは、記憶を失う前の思い出に関わる物事に触れることがほとんどだった。
「――つまり、俺の案は鈴木とは真逆。多くの物事に触れて、記憶の手掛かりを探ることだ」
そしてそれは、先ほどの六花の意見とも重なってくる。
「ボクは長太郎君の案に賛成。……今少しだけ自分のことが分かってきたよ。ボク、どうもジッとしてるのは性に合わないみたい」
鈴木がまっすぐに俺を見つめてくる。
「狭間君、確認します。……アニメだなんて、冗談で言っている訳では、ないんですよね」
「当たり前だ」
俺は一切の躊躇いなく答えた。
「……」
無言の中、鈴木と視線が交差する。
「分かりました。では、どんな物事との接触からはじめましょうか」
「……いいのか?」
「はい、狭間くんのこと、信じてますから。……それでは早速、今後の方針を決めましょうか」
「……あ、ああ。それじゃあ改めて、これからは六花に色んな物を見聞きしてもらう。六花、どんな些細なことでも、思い出したり、気になったりしたら言ってくれ。なんなら、夢の内容だっていい」
話を聞いていた鈴木がポンと手を打つ。
「なるほど。確かに、『夢は睡眠中に脳が記憶の整理の一環として見せているもの』、なんて話もありますし、名案だと思います」
「夢……」
六花が、思いを馳せるように目を閉じる。
そして、瞼を開いた時には、はっとした表情を浮かべていた。
――どうやら、何かを思い出したらしかった。
「お城……」
「城……?」
「……よく、お城が出てくる夢をみるんだ。何もない真っ白な空間の真ん中に、おとぎ話に出てくるみたいな立派なお城が建ってて、そこに向かおうとする夢」
六花がゆっくりと目を伏せる。
「でもね、いくら走ってもお城との距離は縮まらない。そんな夢なんだ」
「お城には、辿り着けないんですか?」
「うん。そうだ……ボクは、それで時々たまらなく寂しくなって目を覚ますんだ。……これってやっぱり、何か大切なことなのかな」
夢というものは、本人の深層心理が色濃く現れるものだ。だとすれば、その城にもなにか意味があるのだろう。
例えばそう――城の中には何か大切なものがある、とか。
「お城ということは、ひょっとして六花ちゃん、どこかの国のお姫さまだったりするんでしょうか……⁉︎」
「はは、流石にありえないよ」
……本人はそう言っているが、あながち絶対にありえない、とは言い切れないオーラを持っているのが六花の恐ろしいところだ。
「そうです!」
すると、鈴木が何かを思い至ったようだった。
「実はママ、旅行が趣味なので家に色んな国の旅行ガイドがあるんです! 大きいお城なら観光名所として載っていると思うので、なにか思い出すきっかけになるかもしれません……!」
「……となると、俺は性懲りもせず、アニメやらゲームやらに出てくるような城をピックアップしておくか」
ともあれ、ひとまずの方針は決まった。あとは、行動あるのみだ。
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