第18話 六花の秘密
六花も戻り、勉強を再開してしばらくすると『お風呂がわきました』という機械音声が聞こえてくる。
「実咲ちゃん先にお風呂入る?」
「…………」
六花が尋ねるが返事がない。どうやら、また集中モードに入っているようだ。
「先、入ってきたらどうだ?」
「うん、そうするよ。……あ、長太郎くんも一緒に入る?」
「はよ行ってこい」
シャレにならない誘惑を仕掛けてくる六花を風呂に送りこんでからしばらく。好きな女子が、扉一、二枚隔てて一糸纏わぬ姿でいるという事実に動揺しながらも勉強を続けていた時のことだ。
「ぐあっ……」
また、頭に激痛が走った。入学式の日や、スポーツテストのときに比べれば立っていられないほどの痛みではないが、それでもこの刺されるような痛みは間違いなく同種の頭痛だ。
そして、今までの二度の頭痛の事を思い出す。
どちらも、六花に危険が迫っている時に頭痛は起きた。
――六花の身が危ない……‼︎
「六花っっ‼︎‼︎‼︎」
俺は勢いよく廊下に飛び出ると、脱衣所へと繋がる扉を開けた。
否。“開けてしまった”。
そこには、今まさに浴室から上がって着替え始めようとしたところだったのだろう――大きく片足を上げ下着を履こうとしている、何も身につけていない正真正銘生まれたままの六花の姿があった。
マズイマズイマズイマズイマズイ……ッ‼︎
俺は音速にも勝る速度で目を逸らした――つもりだった。
だが、この瞬間、俺の胴体視力はそれを完全に上回った。
前屈みに体を折り曲げたその姿勢から見える、発達途中の胸も、たわんで肉感の増した腹部も、むっちりとした太腿も、上げた太ももの後ろから見え隠れする臀部も。
文字通り六花の“全て”を、俺の脳裏に刻み込んでしまった。
気づいた時には、目の前にはいつの間にか羞恥に顔を染め、拳を構えた六花の姿があった。
そして六花は俺の目の前で、その拳を大きく後ろに引き――。
「長太郎くんの……変態ッッ!」
――そして、俺の視界はブラックアウトした。
◇
冷えた風に顔を撫でられ目覚ますと、玄関の外だった。
……どうやら、本当に外に締め出されてしまったらしい。
仕方なく、俺は自販機で冷えた缶コーヒーを買うと、熱くなった顔と、それからほとぼりを冷ますべく、そのまましばらく外を歩く事にした。
頭は冷静になっても、脳裏には六花の裸が焼きついていた。
……だからこそと言うべきか、俺はある違和感に気づいた。
「……あれは多分、Cカップくらいだよな」
カップ……言わずもがな、おっぱいの大きさの指標である。
今までの俺の認識では、六花の胸は、平均に比べかなり大きいサイズで、それは分厚いブレザー越しにでも分かるほどだった。
なにより俺は、一度本人から、その具体的なサイズを聞いている。
……けれど、さっき見た姿は
……どういう事だ? ひょっとして、俺が知らないだけで、おっぱいというものは日によってしぼんだり膨らんだりするのだろうか……?
そんな、俺の知らない常識でないとすれば、六花は今まで胸を盛っていたということになる。いわゆる、パッドというやつなのだろうか。
だとしてもなぜ……。気になって仕方がないが、本人に聞くわけにもいくまい。つまるところ、この疑問は迷宮入りというわけだ。
――さて、茶番はここまでにして、だ。
目を覚ました俺には、一つの変化が起きていた。
正確に言えば、変わったというよりも、“元に戻った”というべきか。
――思い出したのだ。六花とショッピングモールへ出かけたあの日、俺は六花に告白しようとしていた事を。
まさか、本番前だというのに、本当に告白しようとしていたとは。
我ながら、馬鹿な真似をしたものだ。
そして、あの時にも頭痛は起きていた。
それを含めると今までに起きた頭痛は計四回。
一度目は入学式。六花がベランダから落ちてきた時。
二度目はスポーツテスト。六花が体を酷使して倒れた時だ。
ここまでは、あの頭痛は、六花の身に危機が迫った時に『スローモーションと同時に』発動するのだと思っていた。
だが、三度目の六花に告白した時。
それから、四度目の先ほどの脱衣所での一件は、今までと違い、六花に身の危険など迫っておらず、『スローモーション』も起こらなかった。
そしてなにより、スローモーションは六花には起こらない。
……あくまで仮説にすぎないが、これまで一連の現象だと思っていた『頭痛』と『スローモーション』は、発動条件の異なる、別種の現象なのではないか……?
だが、だとすればその発動条件の違いとはなんだ?
別種とは、具体的にどう違うんだ?
そもそもこの現象はどうして起きる?
俺の身に――何が起きている……?
うだうだと考えているうちに、気づけば俺は辺りを一周し終えて、再び自販機の前に経っていた。
いつの間にか、缶の中身も空になっていた。
体も冷え始めてきたので、そろそろ、六花のところに戻りたいのだが……あんな事故を起こしてしまった手前、非常に戻りにくい。
……まあ、ちゃんと謝るしかないよな。
幸いというべきか、六花は既に頭痛の事もスローの事も知っている。
その辺りのことも踏まえて話せば分かってくれるだろう……多分。
俺は、空になった缶をゴミ箱に投げこむと、六花の家の前に立つ。
一呼吸おいてからインターホンを鳴らすと、どたどたと誰かが駆けてくる音が聞こえ、やがて扉が開かれた。
中から顔を出したのは、六花だった。
「長太郎くん……入って」
六花が顔を伏せながら、小さく呟く。
その表情は読み取れない。
「その……すまん、さっきは――」
「――気づいたよね。ボクの胸の、本当の大きさのこと」
「…………ああ」
一瞬とはいえ見てしまったのだ。今更否定するのは気が引けた。
「そう……だよね」
すると、六花は徐に寝巻きのボタンを全て外しきった。
「六花……!」
ちらりと見えた寝巻きの下から、薄桃色の下着がちらりと見え隠れしていた。
「長太郎くんは……こんなボクでも、嫌わないでくれる?」
そう言って六花は寝巻きを両手ではだけさせた。
そこにあったのは、やはり不自然に盛り上がった胸だった。
決定的だったのは、六花の透き通った肌よりも幾分か褐色掛かったシリコンが、下着からはみ出るように見えていたことだ。
所謂、胸を大きく見せるためのパッドだろう。
六花は手を背中に回すようにして寝巻きの中に両手を差し込んだ。
そして、ホックを外したのだろう。パチンと言う音と共に下着がどさりと床に落ちる。
咄嗟に目を逸らそうと下を向くと、床には下着から溢れるようにしてパッドが広がっていた。
……きっと本来は一枚ずつ入れれば十分な物だろう。
だが、溢れたパッドの枚数はそれを大きく超え、計十枚程度はありそうなものだった。
「どうしてわざわざ……」
こんなものがなくても、十分すぎるほどに魅力的だろうに。
それに、コンプレックスを抱くほど小さいわけではないように思う。
理由が、皆目検討もつかなかった。
しばしの沈黙のあと、六花はぽつりぽつりと話始めた。
「おっきくなきゃ……駄目な気がして……。でもボク、ホントは胸、全然大きくないから、こうするしかなくて……」
「駄目な気がしてって、どういうことだよ……」
「ボクにも分かんない……でも、目覚めた時からずっとそんな気がして――」
六花の目から流れ落ちた雫がぽたりと一筋、地面に落ちた。
――何が六花をそこまで突き動かしているのか。正直俺には分からなかった。だが、ことの異常さを察するには、“六花が泣いている”それだけで十分すぎるほどだった。
「ねえ長太郎くん。わかったでしょ。ボク……こんな嘘だらけの女の子なんだ……こんなボク……嫌い……だよね……」
そんな六花を見て俺は――気づけば六花の額目掛けて、チョップを振り下ろしていた。
「あうっ! ……ふぇ……なんでぇ……?」
訳がわからないといった様子で六花がこちらを見つめてくる。
「アホか」
「……へ?」
「お前は男子を舐め過ぎだ。この程度のことで嫌いになるわけがないだろうが。胸の大きさなんて、些細な事だ」
俺は、勢いに任せ、言葉を走らせる。
「そう思えるくらい、俺は六花の事が――――」
「好きだ」と続けようとした途端、また頭に痛みが走る。
……六花に好意を伝えようとした途端にまた頭痛か。
――なるほど、頭痛の条件が一つわかった。
どう言うわけか知らないが、やはり今の俺は、好きな女子に告白一つできないらしい。
……また有耶無耶になるのかよ?。六花が秘密を打ち明けてくれてなお、また何も伝えられずに……。
――それは……ダメだろうが‼︎
遠のいていく意識の中、俺は思い切り自分の唇を噛む。
痛みと、口の中に広がる鉄の味が、薄らいでいた俺の意識を引き戻した。
――痛ってぇ……。こうなればもう意地だ。ヤケクソだ。どんな手を使ってでも、どんな形になってでも、絶対に気持ちを伝えてやろうじゃないか……!
ふと、以前独り言として溢れた「好きだ」と言う言葉を、鈴木に聞かれたことを思い出す。
単純に、単語として口に出すこと自体は問題なかったということだ。
――ひょっとして、六花に直接伝えるのが、不味いんじゃないのか……?
「いいか六花……一度しか言わないから、よく聞いてろ」
真っ直ぐに、六花の目を見つめる。
「……俺は、大きいおっぱいも、小さいおっぱいも、どんなおっぱいも大好きで、優しくて笑顔のかわいい女の子が大好きなとびきりの拗らせオタクなんだぜ……!」
息継ぎもせず、一息で駆け抜ける。
言い切った時には、息も絶え絶えだった。
……っ! 言えた……!
「長太郎……くん……!」
六花の目元から、また涙が溢れる。
だが、悲痛な表情を浮かべる女の子は、もうそこにはいなかった。
ひどいくらいにいびつで遠回りなセリフだが、どうやら思いは伝わってくれたらしい。気づけば六花は、俺に飛びつくように抱きついてきた。
「うおっ……!」
初めて人から抱きしめられた感触は、シャンプーの香りがして、柔らかくて、確かな温もりを、俺は感じていた。
「……なあ六花、一つ気になったんだが、聞いてもいいか?」
「……? どうしたの?」
先ほどまでの会話を思い返す。――やはりどこか違和感のある言い方だと思った。
「さっきの『目覚めた時からずっとそんな気がして』って、どういう意味だ……?」
六花の瞳が、動揺に揺れた。
「――まだ何か、六花には秘密があるんだろ?」
「どうして、わかるの……」
「六花だからな」
俺は、六花ほど秘密の多そうなやつも、そうそういないだろう。
「――この際だ、秘密のもう一つくらい、話してくれたっていいんじゃないのか?」
「でも……」
「安心しろ。俺は二次元のオタクであると同時に物語のオタクでもある。人間の抱える秘密のパターンは網羅してるんだ。今更何言われても驚かないさ」
「ふふ、長太郎くんらしいや……ボク、長太郎君のこと、信じるよ」
そして、六花は俺の腕の中で言った。
「――――ボク、長太郎くんにあったあの日よりも前の記憶がないんだ」
俺は、強く目を瞑って、さらに強く六花を抱きしめた。
「ボクの記憶は、あの入学式の日の朝、この家で目を覚ましたところから始まったんだ」
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