第17話 勉強会なれど

 そこから台本の執筆は順調で、完成した台本は今度こそ発表会に採用されるに至った。

 すでに配役も決まってからしばらく経ち、現在では、台本を持たずとも練習ができる段階にまで進んでいた。


 台本のストーリーは、現代の高校を舞台に。かぐや姫がモチーフのキャラクター、竹月カグヤ、シンデレラモチーフの灰咲レイラの二人のヒロインと、王子様系の男子、御門オウジら主軸にした人間模様を描く、恋愛ドラマである。


 キモとなるのは、初登場時から圧倒的な存在感を放つカグヤと、ジワジワ追い上げるように魅力的になっていくレイラの対比だ。

 

 本番まであまり時間もないので、今日も今日とてみっちり練習をしたいところではあるのだが、どうも学生の本分というのは、勉強にあるらしい。

 定期テストまで一週間前を切った今日この頃。演劇部は、部活の時間を一時間、の自習時間に充てていた。


「長太郎くん、ここのカグヤちゃんの感情ってさ――」


 ちなみに、カグヤ役の六花だけは、テスト勉強をする必要がないからと、現在は台本を読み込んでいる。

 その台本も、すぐにで丸暗記し、キャラクターの掘り下げた解釈を行う段階にまで達しているのだから、なんとも羨ましい記憶力だ。

  

 そして、今のやりとりから察せられる通り、六花は無事かぐや姫、もとい竹月カグヤの役となった。

 鈴木も見事にシンデレラこと灰咲レイラの役につくこととなり、ひとまず予定通りに事は進んでいた。

 

 ちなみに、脚本家としての勤めを終えた俺の役割は演出家。

 仕事内容は舞台セットや演技の方針、場面転換など、劇全体の監修である。

 立場としては映画監督に近いだろうか。

 

「そここシーンは……そうだな――後で“王子役”とすり合わせしよう」


 そうして前方を見ると、会話が耳に届いたのか、南部長が振り返った。


「後でな。今はおとなしく勉強しとけ」


 王子役を担当するのは南部長だ。

 イケメンと持て囃されることを嫌がっていた部長だ、当然「お前がやれ」と、何度も突っぱねられたが、必死で頼み込んで、何とか王子役に収まることを了承してくれたのだった。


 六花はやけに俺が王子役を務めることを推してきたが、六花と鈴木。二人のお姫様に釣り合うオーラを持つ存在なんぞ、南部長くらいなものだろう。間違っても俺なんぞがやるべきではない。

 それに、俺は演劇は舞台に立つより観る方が好きなのだ。

 

 そんなわけで、現在俺は泣く泣く天敵科目、数学と格闘していた。

 

 ……だめだ。さっぱりわからん。なんだ証明って……、先人がすで証明しきっているというのに、今更なぜ俺が証明し直さなければならんのだ。

 

「六花、ヘルプ」

 

「はーい、えっとね、ここは―――」


 六花の説明は驚くほど丁寧で分かりやすい。長年俺を苦しめ続けた疑問がたった数分で解消されてしまった。

 

「……これで休みの日もつきっきりで教えてもらえたら、赤点回避どころか、九十点代にすら届きそうだ」

 

「じゃあ、今度の土曜、ボクの家、くる?」


 …………何だって?


「その……六花って一人暮らし……だったよな?」

 

「うん。だから特に時間とか気にしなくても大丈夫。なんなら、泊まって行ってもいいんだよ?」

 

 そういって六花は小悪魔スマイルでくすりと笑う。

 

 ……なるほど。休日、一人暮らしの美少女と、二人っきり、宿泊許可OK。

 

 余裕でスリーアウト。チェンジだ。

 

「あー……六花悪いが……」

   

「風賀美さん! 私にも勉強教えてくれませんか‼︎」


 そんな俺の逃げ道を塞いだのは、一分一秒さえ無駄にはしないという心意気で、最近は常時英単語帳と睨めっこしている勤勉家、鈴木だった。


 ◇

 

 土曜日の昼下がり。

 俺たち三人は久城駅で待ち合わせ、駅から徒歩十五分の場所にあるという、六花の自宅に案内してもらっていた。

 

 てっきりマンションか何かに住んでいるのかと思っていたが、高層の建物がある区画は既に通り過ぎ、気づけば住宅街の外れにまできていた。

 一体、どんな家に住んでいるのやら……。

 そう思った矢先、六花がこちらを振り向いた。

 

「見えてきたよ」

 

 六花の指した先には、小さな林があった。

 そしてその奥に、木々に囲まれるようにして、赤い瓦屋根の小さな家がひっそりと佇んでいた。

 まるでシルバニ……もとい、ドールハウスのようだ。

 

「わぁ! す、すごいです!」 


 これには鈴木も驚いたようで、子供のように目を輝かせ、家を見つめていた。

 

「そうかな? まあ狭い家だけど入って入って」


 家に上がると、リビングに通される。


「へへ、部屋に人を上げるなんて初めてだから不思議な感じだなぁ」


 内装も外観に違わない、木材をふんだんに使ったファンシーな内装だった。

 立派なダイニングキッチンに四人掛けのテーブル。ソファーにテレビ、それから観葉植物なんかも立ち並んでいて、まるでモデルルームのようだ。

 

 そんな感想を抱いたのはきっと、部屋に私物らしいものが一切置かれておらず、あまりに整然としているからだろう。

 引っ越したばかりだからなのか、元々持ち物が少ないタイプなのか。なんにせよ、あまり生活感というものが感じられなかった。

 

 内装にもひとしきり驚いたところで、テーブルにノートや教科書を広げ、勉強を始める。

 六花は相変わらずテスト勉強は必要ないようで、俺と鈴木は各々勉強を進め、わからない場所があれば六花に相談、という流れを繰り返した。


「六花、この問題なんだが……」


「はーい。ここはね……」

 

 六花が中腰になって、教科書を覗き込むように顔を近づけてくる。

 

 相変わらず、距離が近い。そしてもれなくいい香りがした。

 ……まいった。今更ながら好きな女子の家に上がり込んでいるというこの状況、勉強に不向きにもほどがあるだろう。

 

「……? 長太郎くん、どうかした?」


 いかん、集中だ集中……。


 それから、なんとか勉強モードに移行することができた俺は、六花の説明のお陰もあって、それはもう順調に進み、気づけば時計は、午後六時半を指していた。

 窓の外を見ると、夕日はもうほとんど沈みかけている。あと三十分もすれば、外は真っ暗だろう。


 ……そういえば、確か鈴木は六時半には帰るつもりだ、なんて言っていたな。

 

「おーい、時間はいいのかー?」

 

 ノートに向き合い、真剣な表情で勉強を続ける鈴木に声をかけるが、よほど集中しているのか、ピクリとも反応しない。

 

「帰れなくなっても知らんぞー」

 

「……」


 返事はない。ただのしかばねのようだ……。

 

「すごい集中力だね、やっぱり実咲ちゃんはすごいなぁ」


 確かに。これほどの集中力は、一朝一夕で身につくものではないだろう。

 

「今までずっと、日々努力してきた成果、なんだろうな」

  

「そうだね。実咲ちゃんを見てると、なんだか自然と応援したくなっちゃうもん」


「……だな」


 自然と応援したくなる……か。

 やっぱり、鈴木にシンデレラはハマり役だな。

 

「……とはいえ、どうしたもんか。無理矢理勉強中断させるのも気が引けるしな」

 

「もし遅くなるようなら、このままウチに泊めるから大丈夫だよ」

       

「そういうことなら、しばらくこのままにしておいてよさそうだな」

 

「うん。むしろ、このまま外が真っ暗になるまで勉強していていてもらえば、きっと実咲ちゃんも諦めて、泊まって行ってくれるよね」

 

 なんて恐ろしい事を言うんだ。発想がヤンデレそのものじゃねーか。

 その表情から、どこまで本気で言っているのかが分からないのが尚更怖い。


「ボクさ、お泊まり会とかやってみたかったんだよね」


 そう言って愛おしそうに鈴木を見つめる六花を見ては、俺はなにも言えなかった。

 

「ま、遊び歩いてたってならともかく、こちとら勉強会だ。一晩泊まらせるくらいいくらでも言い分はあるだろ。……男子である俺の存在を除けばだが」

 

 いくら勉強会と言い張ったところで、男の俺が一緒だったとしたら、全て台無しだろう。


「そっかぁ……ねぇ、やっぱりご飯だけでも食べて行かない?」

 

「……まあ、そのくらいなら」


「じゃあ決まりだね。よーし、張り切っちゃうぞー」


 そう言って六花は、「献立は鈴木の好物、ミートソースパスタにしよう」と、手際よく料理を始めた。

 

「なんか手伝えることはあるか? 三人分ともなると結構大変だろ?」

 

「ううん、楽しいから全然大丈夫だよ。長太郎くんはお客様なんだから、ゆっくり寛いでて」

 

 ……うーむ見ているだけとなると、何とも歯痒い。

 だがキッチンは料理をする人間にとっての聖域とも聞くし、そもそも俺はろくに料理経験がない。ここで無駄にでしゃばるのはお門違いだろう。

  

「じゃ、皿洗いは任せてくれ」

 

 そう言うと、六花はなぜか笑っていた。

 

「ふふっ」

 

「どうした?」

 

「なんだか、長太郎くんと夫婦になったみたい」

 

「っ……!」


 またこいつは、思わせぶりなことばっかいいやがって……。


「夫婦って……じゃあアレはなんだ。でっかい子供か?」

 

 俺はわざとらしくぶっきらぼうに、勉強し続けている鈴木を指さす。

  

「うーん、それもそっか。あ、もう一人の彼女って言うのはどう?」

 

 六花が、閃いたとばかりに言ってくる。

 

「ほら、彼女が二人いるってきっとお得だよ?」

 

「俺にそんな甲斐性はねーよ……」

 

 一人だって手に余るくらいだ。


「じゃあもしそうなったら、どっちか選ばなきゃだね」

 

「大丈夫だ、そもそも俺にそんな未来は絶対に来ない」



 ◇

 

 六花が夕食を作ってくれている中、俺も勉強を再開する。

 しばらくすると、トントンと包丁を振るう音や、グツグツとパスタを茹でる音が聞こえはじめ、次第に食欲をそそられる匂いが漂ってくる。

 すると、『くぅ〜』と、腹の虫の声が、正面から聞こえてきた。

 さすがの努力家も、空腹には抗えなかったらしい。


 ちらりと鈴木の方を見ると、セミロングの隙間から覗いた耳が、真っ赤に染まっているのが見えた。

  

「今、六花が俺たちの分も晩飯作ってくれてるってよ」


「晩御飯……?」

 

 鈴木はきょとんとした顔で、壁にかかった時計を見ると、今度はぎょっと目を見開いた。

 

「もうこんな時間! は、早くらなきゃ……!」


「六花が、泊まってほしいって言ってたぞ」

 

 慌てて外に飛び出そうとする鈴木を呼び止める。


「……確かに、夜にも勉強見ていただければ、次のテストは自信がもてるかもです! お母さんに電話してきます!」

 

 ……こんな状況でも勉強とは。女子同士のお泊まり会の相場はキャッキャウフフのパジャマパーティだと思っていたが、どうやら今晩はそうはなりそうにない。


 食事を終えると、俺と鈴木はキッチンで横並びで片付けをしていた。

 俺が皿洗い担当。鈴木が皿拭き担当だ。

 

 六花は現在、鈴木のために、風呂やらと寝床やらの準備をしに行っている。

 

「――この前、風賀美さんに、転校の理由を聞いてみたんです。……そうしたら、「秘密」って、言われちゃいました」

 

 鈴木がぽつりと話しだす。その声色はほの暗い。


「家族のことも、少し聞いて見たんですけど、それも答えてくれませんでした……私、風賀美さんから信頼されてないのでしょうか……」


 まったくこいつは、悲観的すぎだ。


「俺も色々聞いたが、ほとんど秘密って言われたよ」  


「狭間くんも……ですか?」

 

「ああ。だからまあ、単に、誰にも話すつもりはないってだけだろ」

 

「そう、でしょうか」

 

「ああ。なにせ六花は、お前と話してる時が一番楽しそうだからな。そんな鈴木にすら話さないなら、そういうことなんだろ」


「……嘘でも、うれしいです」


「本当だっての」


「でも、私からみたら、風賀美さんは狭間くんと話してるときが、一番楽しそうですよ?」


「……それも嘘、じゃないんだろうな」


 なにせ、鈴木は嘘をつかない。


「はい、きっと風賀美さんにとって狭間くんは、特別なんです」


「特別、か」


 その特別とは果たしていったい、どういう意味での特別なんだろうか。

 どうしても俺は考えてしまう。


「狭間くん、知ってましたか? 風賀美さんとのLINEの話題で一番多いのは、狭間くんの話題なんですよ?」

 

「知るはずないだろ」

 

 一体どんな話をされているのだろうか。自分の日頃の行いを考えると、嬉しいやら恐ろしいやらで、気が気じゃなかった。


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