第16話 俺は六花を
それから、別の店で六花の寝巻きなんかも買い、外に出る頃には、あたりはすっかり暗くなっていた。
もうすぐ五月だというのに今日は少しばかり肌寒い。現に今も、体を撫でつけるかのように冷えた風が吹いていた。
駅までの道中、通りがかりのベンチの側で立ち止まると、俺は、一度大きく深呼吸して言った。
「六花、渡したい物がある」
右手に握りしめた小さな紙袋から、三日月のネックレスを取り出す。
「長太郎くん、それって……!」
ぱあっと、六花の表情がほころんだ。
「その、なんだ……六花に似合うと思ってな……」
「そっか、長太郎くんが選んでくれたんだ……でも、両手塞がってて自分じゃ着けれないや。……長太郎くん、着けてくれる?」
六花が一歩、俺に近づいた。
もう一度だけ深呼吸をすると、俺は“正面から”六花を抱きしめるように首の後ろに手を回し、ネックレスの留め具をはめた。
腕をほどき、一歩下がると、顔を真っ赤にした六花と目が合った。
「だ……抱きしめられたかと思って、ドキドキしちゃった……」
「……気に入らなかったら、別に無理してつけなくていいからな」
「そんなことないよ……二四時間三百六十五日、ずーーっとつけてたいくらい……!」
ひとまず気に入ってくれたようで本当によかった……。
だが、本当の正念場はここからだ。
「――六花、言っておきたいことがあるんだ」
ずっと、考えていた。俺と六花の関係は、一体なんなのだろう、と。
それは、今日、服屋の店長にカップルと勘違いされるよりも前から――映画館で六花の横顔から目が離せなくなるよりも前から――六花と初めて言葉を交わした、あの新歓の日から考えていた事だった。
部活仲間、クラスメイト、友人。……どれも、しっくりこないと、常々思っていた。
ごちゃごちゃ考えるのはやめよう。もっと簡潔に言おう。
俺、狭間長太郎は、風賀美六花を好きになってしまったのだ。
理由なんて、わざわざ述べるまでもないだろう。
そしてもちろん、好きだから付き合いたいと、そう思っている。
――だが、六花は俺をどう思っているのだろう。
俺にはそれがわからない。
自惚れじゃなければ、六花は俺に好意を寄せてくれているように見える。
だが、あくまでそれは、俺にとってそう見えているだけだ。
六花の言動を俺が都合よく解釈しているだけかもしれないし、もっと言えば、六花はずっと演技をして俺に接しているのかもしれない。
……自然とそんなことを考えてしまう自分に嫌気がさしてくる。 人間関係……それも、こと恋愛において、俺はどうしようもなく疑り深く、どうしようもなく捻くれていた。
そして、そんな歪んだ思考の原因に、痛いほど心当たりがあることも、また嫌だった。
少しだけ、くだらない昔話をしよう。
俺がまだメガネ派で、今よりもいくら純粋だったであろう、中学校時代の話だ。
認めたくないが、俺には、中学二年生のほんの僅かな間だけ、いわゆる彼女というものがいた時期があった。
ラブがプラスな女子高生でも、ときめきがメモリアルな美少女たちでもない。三次元に存在する、同級生の彼女である。
――
ショートカットがよく似合う、クラスメイトで、同時に、当時俺が所属していた美術部の部員だった女子だ。
漫研が無いからと、消去法で入部したような他の部員とは違い、絵画が好きで、明るく、友人も多い俺とは正反対の奴だった。
そして、毎晩アニメ一シリーズを全話感想するような、オタクまっしぐらだった当時の俺のことを、「面白いね」なんて言う変わった奴だった。
そんな稀有な存在を前に、当時の俺が、赤座を好きにならないわけがなかった。
中一と中二の間の春休み。俺はまんまと赤座に告白をし、意外にも告白が成功。当時の俺は舞い上がりに舞い上がった。
今に思えば、この時の俺はなんと愚かだったのだろう。
部室の隅でラノベの模写ばかりしているような俺を、本心から「面白い」だなんて言う奴がいるわけがないだろう。
あまりに脳内お花畑がすぎる。過去に戻って自分の頭蓋を切り開き、そこから除草剤を散布してやりたいと思うくらいだ。
結論を言えば、赤座が俺の告白を受け入れたのは、『ゲームの一環』だった。
それも、相手を惚れさせ、いつ告白してくるのかを複数人で予想するという、悪趣味極まりないゲームだ。
どうも赤座は、俺がもっと早く告白をすると予想を予想していたらしく、予想を外した罰ゲームとして一ヶ月間、俺と付き合うことになっていたらしい。
証拠に、赤座から一方的に別れを告げられ、ネタバラシをされたのは、付き合い始めてからちょうどピッタリ一ヶ月となる日だった。
何故そんなことをするのか、何故そんなことが楽しいと感じるのか。
俺は微塵たりとも理解することができず、恐怖すら覚えた。
――そこからは、お察しの通りだ。
元より素質のあった人間不信に拍車がかかり、二次元への執着にも磨きが掛かった。
俺はあのとき誓ったのだ。色恋がここまで人を歪めるのなら、俺はお前らが馬鹿にしたオタクであり続けてやろう、と。
この先何があろうと、三次元のクソみたいな色恋沙汰には一切関ってやるものか、と。
だが、そんな俺のちっぽけな決意を、六花は全て塗り替えていった。
映画館で六花から目が離せなくなったあの時、俺は、心の底から彼女に惚れてしまっているのだと悟った。
そして六花も、大迫力のスクリーンよりも地味で半端で、王子様でも何でもない俺の事ばかり見ていた。
もしも、この時六花が俺と同じ気持ちでいたなら、彼女は本当に俺の事が――と、そう思ったのだ。
だが、それでもまだ俺は、踏み切るのが怖かった。
だから試した。正面から抱きしめるようにネックレスをつけて。
少しでも抵抗するような素振りを見せたら、引き下がろう、と決めて。
……けれど、いよいよもって六花は一切抵抗しなかった。
「――六花」
緊張で、呼吸が浅くなる。
口の中は渇き、意識は薄らいでいくようだ。
……落ち着け。
難しいことは考えなくていい。
たった三文字、言葉にするだけだ。
『好きだ』と、ただ一言、伝えればいい。
まっすぐに、六花に視線を合わせた。
「――六花、す……」
――――その瞬間。今までの比較にならないような、まるで蛇が頭の中でのたうちまわったかのような痛みが俺の脳を支配した。
「ぐあああああああぁぁぁぁ‼︎」
「長太郎くん‼︎‼︎」
チカチカと点滅する視界の中、六花の悲痛な表情を最後に、俺の意識はゆっくりと、闇に呑まれていった。
◇
「……くん! 長太郎くん‼︎」
――――六花の呼び声に、俺は目を覚ます。
目の前には六花の不安そうな顔と、それから三日月の浮かんだ夜空。
どういうわけか俺は寒空の下、六花に膝枕されていたらしかった。
「六花……?」
ゆっくりと体を起こす。場所は……どこかのベンチの上、だろうか。
「長太郎くん大丈夫⁉︎ どこか痛いところとか……!」
「いや、特にない、が……?」
そもそも俺は、どうしてこんなところにいるのだったか。
……映画を見て、六花の服選びをして、ネックレスを六花に渡して、それから――――。
――――それから、俺は、六花に何を言おうとした………?
俺は結局、六花に伝えるべき言葉を、思い出すことができなかった。
◇
翌日、俺はモヤモヤとした気分のまま登校することとなった。
今は朝のホームルームを終え、ぼんやりと廊下を歩いているところだ。
昨日は結局、あの後すぐに解散になった。
ネックレスまで渡して、俺が六花に伝えようとしたこと……。
「好きだ――とかか……?」
……いや、それだけはないな。
確かに俺は六花のことが好きだ。だが、演劇交流会を目前に控えた今の時期に、部内恋愛なんて厄介事を運んでくるほど俺は馬鹿じゃない……つもりだ。
「は、は、は、狭間くん……今の……『好きだ』って……」
聞こえてきた声に顔を上げると、茹で上がったタコのように顔を真っ赤に染め上げた鈴木が目の前に立っていた。
どうやら、無意識に独り言を言っていたらしい。不審者にもほどがあるだろう。
「すまん、驚かせたな。今のは忘れてくれ」
「へ⁉︎ は、ひゃい……‼︎」
……なんか、いつにも増して挙動不審だな……。
「そ、そういえば、風賀美さんから、昨日倒れたとお聞きしましたが、体調は大丈夫ですか?」
「ああ、特にこれといった不調はないな。心配かけて悪い。」
「そうですか、よかったです……昨日は台本のアイデア探しだったんですよね? そちらの方は順調ですか?」
六花のやつ、そこまで話していたのか。
「アイデアがようやくまとまったって感じだ。……実は今、六花の魅力が最大限に活きる台本を書こうとしててな。かぐや姫をモチーフにすることが決まったばっかりだ」
「かぐや姫ですか……! たしかに、風賀美さんのイメージにぴったりだと思います! 私も小さい頃、よく家にあった絵本を読んでましたっけ」
「意外だな。鈴木にもそんな時期があったのか」
生真面目で勤勉なイメージが板に付きすぎていて、もはや物心ついたときから分厚い活字本を読んでるイメージすらあった。
「聞き捨てならないです! 私だって小さい頃は、シンデレラみたいに、ある日王子様が迎えに来てくれたりしないかなって、思ってたんですから」
「王子様に憧れる鈴木か……、正直想像つかないな」
「だとしたらそれは、私が成長できたってことかもしれないですね」
鈴木は、過去の自分を思い出したのか、なんだかうれしそうだった。
「そうなのか?」
「私、小さい頃、勉強も運動も苦手で、その上人見知りで友達も全然できなくて……そんな自分が大嫌いだったんです」
思えば、幼少の鈴木の話を聞くのは初めてだった。
運動音痴で人見知りについては、今なおその節があるが、まさか鈴木に勉強が苦手な時代があったとは……。
「そんな時にシンデレラの絵本に出会って、私も頑張ればいつかは王子様が迎えにきてくれるかもって思えたんです。……それからは、勉強も、習い事も今まで以上に頑張れるようになりました」
そして、苦笑しながら「友達は、相変わらず少ないですし、現実じゃ、白馬に乗った王子様が迎えに来てくれたりもしないですけどね」と付け足した。
「鈴木をここまで前向きに変えたんだ。御伽噺ってのもすごいもんだな」
「今に思えば、日本には制度上、王子様はいないので、叶うはずない夢だったんですけどね。あ、でも馬は軽車両扱いなので、今でも公道を走れるんですよ?」
「夢が無ぇ…」
「はい、だから私はこの現実で精一杯頑張ることにしたんです!」
なんて真っ当なセリフだ。どこぞの拗らせた演劇部員は鈴木の爪の垢を煎じて飲んだ方がいい。
「なら、なんで演劇部なんか入ったんだよ」
演劇部こそ、最も現実から遠い部活だろうに。
「歓迎会の劇で舞台に立つ部長たちを見て憧れて、裏方でもいいから私も一緒に劇を作れたらなって思ったんです。以前から演劇やミュージカルは好きでしたし」
「なるほどな」
「……でも、ひょっとしたら狭間くんがいなかったら入部してなかったかもしれません」
「……? なんでそこで俺なんだ?」
「狭間くんが私に初めて話しかけてくれた事覚えていますか?」
「確か、一年の時の新歓の後だろ?」
「はい。劇に感動するあまり、放心状態で最後まで席に残っていた私に『すごかったな』って話しかけてくれたんです。……その時はいきなり男の子に話しかけられた事に驚いて逃げちゃったんですけど」
俺も同じ理由でしばらく席に残っていたから、ぽかんとしている鈴木に親近感が沸いて声を掛けたんだったな。
そして「ひいーー!」 と悲鳴を上げながら逃げられた記憶がある。
「でもその翌日も狭間くん『昨日はいきなり話しかけて悪かった』って廊下で声を掛けてくれたんです。……悪いのは私だったのに」
「ああ、そんなこともあったな」
「その時まで私、入部しても他の方々と上手くやっていけるか心配だったんです。でも、そうやって狭間くんが声を掛けてくれたからこそ、『こんな誠実な人と一緒なら大丈夫かな』って、安心して入部できたんです」
「俺が誠実だと……?」
自分のことは自分が一番知っているつもりでいたが、こればかりは全くと言っていいほどピンときていなかった。
「はいっ! 私にとって狭間くんは真面目で誠実で信頼できる人です!」
……やっぱり、鈴木の考えていることは時々わからないな。
それにしてもなるほど、シンデレラか。
努力とひたむきな明るさで、見事王子の心を射止めた彼女と、その生まれ持った魅力と美貌で数多の王子を虜にしたかぐや姫。つくづく対象的だな。
――ふと、妙案を思いついた。
もしも、この二人のプリンセスが同じ男を好きになってしまったら、一体どんな話になるのだろう。
すなわち、最強対最強。
自然と、「かぐや姫VSシンデレラ」なんてワードが頭をよぎる。
「なあ鈴木」
「はい?」
「―――シンデレラになってみないか?」
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