第12話 密室で二人

 鈴木があらかじめ、中島先生に話を通してくれていたお陰で、六花がベッドに運び込まれるまでは驚くほどスムーズだった。

 

「中島先生、あとはお願いします……」

  

「はいはい、任されました」

 

 中島先生が淡々と言う。

 本名中島依子なかじまよりこ。ウェーブのかかった長い黒髪に、恐ろしいほどにサバサバした性格が特徴的な養護教諭だ。

 彼女とは、何をどう間違えたとしても、えっちな展開には発展しないだろう。

 ちなみに、年齢はおそらく三十歳前後だと睨んでいる。

 

「風賀美さん、休み時間にまたお見舞いにきますから……!」

 

「ありがとう実咲ちゃん……いててて」


 体を起こそうとして、六花はまた悲鳴をあげていた。


「大人しくしてろって……」


「狭間くんもお大事にしてください!」


 そう言って、鈴木は授業へと戻っていった。


 そう。結局、六花だけでなく、俺も保健室に残ることになったのだ。

 

 理由は、六花を運んだ際に腕の筋肉が断裂――なんことはない。どうもヘッドスライディングをした際に、全身に擦り傷をつくってしまったらしく、消毒していけ、とのことだ。我ながら情けない。


 まあ、六花のことが気がかりだったので、保健室に居座れるのは好都合だが。

 

「じゃ、改めてなんだけど」と、中島先生がこちらに向き直る。


「風賀美さん今どんな感じ? どこが痛い?」

 

 中村先生がベッドに横たわる六花に訪ねた。


「右肩と……あと、両足がすごく痛い……です」


 それを聞いた彼女はふむふむ、と何やら考た後、見解を語った。  

 

「断言まではできないけど、スポーツテストが原因となると、肩の炎症……いわゆる肩を痛めるってやつだね。それと両足は、重度の筋肉痛ってところかな」

 

 予想通り、六花はあの場で見たハンドボール投げと、50m走意外にも、反復横跳び、立ち幅跳びの二種目で、出鱈目な記録を出していたらしい。これじゃあ筋肉痛になって当然だろう。寧ろ、それで済んでるのが奇跡だ。

 

 逆に、握力、前屈、上体起こしの三つの結果は、平均の範疇に収まっているのはなぜだろうか。

 ……まあ、握力腹筋ゴリゴリの軟体ヒロインの属性がついても戸惑うと思うので、別に文句は無いのだが。

 

「風賀美さん、あなた普段運動は?」


 教諭が、六花の記録を見ながら神妙な面持ちで尋ねる。


「いえ……あんまりしてないと思います」


「んー、なるほど。そりゃ、そんな状態から、こんなに凄い記録出したら体も痛めるわけだ。脱臼とか、肉離れとかがなさそうだけど、少しでも異常があったら病院行きな」

 

「はい……」

 

 普段の快活さからは想像もできないほど、汐らしくうなずく六花は、正直新鮮だった。

 

「そうそう、風賀美さん。今までにもこういう、無茶しすぎて、自分の限界以上に力を出し過ぎちゃったーみたいなことあった?」

 

「ないと思います」


「そう? 当てが外れたわね」

 

 そう言った教諭は、少し意外そうな顔だった。

 

「当て、ですか?」

 

 俺が尋ねると、中島先生はロングヘアをくるくると指で巻きながら話す。

 

「風賀美さんの身体に起きたことって、いわゆる火事場の馬鹿力みたいなことなの。運動部の子なんかだと、たまにあるんだけどね。部活の試合とかで、自分の限界以上の力を出して、その後、反動でひどい筋肉痛になっちゃう、みたいない事。……どうも体質も関係してるらしいから、風賀美さんとそのパターンかと思ったけど、違ったか」

 

 成程、火事場の馬鹿力か。言われてみれば納得だ。

 

「……そうだ、狭間くん」


 六花が何かを思い出したかのようだった。

 

「どうした?」

 

「入学式の日に狭間くんに会った後、ボク今日みたいに、全力疾走したかも……」


 俺に、会った後……。

 つまり、ベランダから降ってきた六花を抱きとめたと思ったら、いきなり走り出してを消した……というあれの後という事だ。

 

 確かに翌日、六花は筋肉痛だとも言っていた。

 俺はてっきり、どこか死角に隠れていて、それで見当たらなかったのだとばかり思っていたが……それがまさか、本当にただ逃げ切っただけだったとは……。


 六花のカミングアウトに驚く俺をよそに、中島は「へぇ、あなたたち、ひょっとして面白い関係?」なんて、碌でもない事をいいながら冷凍庫の中を漁っていた。

 

 話を広げられても面倒だ。話題を変えることにしよう。


「風賀美の筋肉痛、どのくらいで治りますかね?」

 

「若いんだし、安静にして、ちゃんとアイシング続けてたら、一週間あれば完治すると思うわよ」


 そう言って中島先生は冷凍庫から氷嚢を取り出した。


「ま、三日間くらいは、痛くて動けないかもしれないけど」


 六花が「ひぇっ」と小さく悲鳴を上げる。


「はい、大人しくして」

 

 中村先生はは冷え切ったそれを躊躇いなく六花の肩に当てた。


「ひゃっ、冷たい……」


「我慢しなさい。アイシングするだけでだいぶマシになるんだから」


「はい……わかりました……」


 時々冷やす場所を変えながら繰り返される光景をぼんやり眺めていると、ジャージ姿の女子生徒二人組がやってきた。

 よくみれば、片方の女子は片足を庇うようにしていた。捻挫かなにかしたのだろう。

 

「あの子達のこと見てくるから。はいこれ、足のほうやっといて」

 

「はい……はい?」


 中村は俺に氷嚢を渡すと、ベッドカーテンを閉めて、さっさと行ってしまった。


 天蓋のように仕切られたカーテンの中、俺と六花だけが取り残される。


「長太郎くん……?」

 

 ……医療行為だというのならば、やるしかあるまい。


 俺は、足へのアイシングを始めるべく、ベッドにだらりと仰向けで横たわる六花に再び目を向けた。

 

 グリーンの体操服ズボンから伸びる、健康的で程よく肉付いた太ももに、否応なく視線が吸い寄せられる。


 そしてその体勢は、足は内股、両手はだらんと頭のあたりにまで上げられ、どういうわけか頬は赤らんでいて……、完全に美少女ものの、それも成人向け作品のグッズとして販売されるような、「抱き枕カバー」のポーズになっていた。

 

「…………それじゃあ、はじめるぞ」


「うん……きて……」


 潤んだ瞳で懇願する六花。


 ……おかしい。今俺がやろうとしていることは、単なるアイシング。純然たる医療行為のはずだ。

 だが、これではまるでベッドの上で愛を育む的な……言うなれば

 “愛寝具”がはじまってしまうのではないだろうか。

 

 ――俺は、これ以上考える前に、無心、無慈悲に、その足に氷嚢を押し付けるのだった。




 …………なんだよ、愛寝具って。


 ◇  


 あれだけのことがあって流石に疲れたのか、眠りについた六花の横で、氷が溶けきり、ぬるくなった氷嚢を手慰みにもみしだく。

 ひとしきりアイシングを済ませた俺は、六花が横になっているベッドの端に腰掛け、今度は用事だとかで出ていってしまった中島の帰りを待っていた。

 しんと静まり返った部屋の中、壁掛け時計の秒針だけが響いている。


 そんな中、六花がゆっくりと瞼を開いた。

 

「長太郎くん」

 

「起きたのか。……どうした?」

 

「そういえば、倒れる時にね、頭痛がしたんだ」

 

「……! 俺もだ。六花が倒れそうになった時、俺にも頭痛が起きた」

 

「長太郎くんも……?」

 

「ああ。それだけじゃない。入学式の時も、頭痛が起きると決まって視界がスローになる」

 

「スロー……? ごめん、それは分からないや……」


「……時間の流れがゆっくりに感じて、その分咄嗟の判断を考える時間に使えるんだ。二度も六花を助けられたのは、そのお陰だ」

 

 六花にも心当たりがないとすれば、一体、この現象は何なのだろう。

 ひょっとして朝倉の言うように、本当に突如として俺に目覚めた能力か何かなのだろうか。

 

 少なくとも、六花に会う以前に同じ状況になった事はない。

 中学の時、後輩の女子が目の前で四メートルの木から足を滑らせ落下し、腕を骨折した事件があった。

 

 結果からわかるように、その時は、頭痛も、スローモーションも起きることはなかったわけだ。

 

 ――風賀美六花。王子様に憧れる白髪碧眼のボクっ娘美少女。

 発熱や、筋肉痛などの反動こそあるものの、天才的な学力と、超人的な運動能力まで持っていて、極め付けは、俺と同時に『呼ばれる感覚』や『頭痛』まで感じていた。そして口癖は「ヒミツ」。


 これだけ並べれば流石にわかる。

 その言葉通り、彼女には、きっと何か、秘密があるのだろう。

 

 きっと、厄介ごとだって沢山運んでくるのだろう。

 自己保身を最優先に考えれば、六花から距離を置くのが最善なのはわかっている。

 

 だが、普段は毅然としている六花から、ふとした時に覗く、不安げで、まるで迷子の子供のような瞳を見ては、そんな非情になれるはずもなく――。


「長太郎くん、ボクのこと、助けてくれて、ありがとう」

 

 そこから一転して花の咲くような笑顔を間近で見てしまえば、今更離れられるはずもなかった。


「やっぱり間違いなかったよ」


「……何がだ?」


「――――長太郎くん、やっぱりキミは、ボクの王子様だ」


 秘密主義の六花の事だ。彼女が何を考えているのか、未だに分からないことも多いが、まだ俺にそんな言葉を投げかけてくれるあたり、少なくとも嫌われているわけではないらしい。

 

「王子様かどうかはわからんが、今日みたいに、俺にできることなら大抵のことはさせて貰うつもりだ」


「ふふ……、そっか。嬉しいこと、言ってくれるね。それじゃあ、もしボクが、「助けて」って言ったら」

 

 六花は、どこか遠くを見つめながら言った。


「―――ボクのこと、救ってくれる?」

 

 これは、彼女の本音なのだと、そう思った。

 

「…………任せろ。俺にできることならな」

 

「ふふ、そっか、なら安心だなぁ」

 

「そうか?」

 

「うん。だって、長太郎くんは、なんだってできるでしょ?」

 

「……期待しすぎだ」



  

 ――ボクのこと、救ってくれる?




 六花が一瞬見せた、今にも消えてしまいそうなほど切なげな表情が、暫く脳裏に焼きついたように離れなかった。 


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