第11話 美少女ハイスペック
これからきっと何かが起きる…!
そんな俺の妄想とは裏腹に、特に何も起きないまま、体験入部の初日から一週間が経った。
その渦中の人物たる六花も、そろそろ俺への王子様補正も無くなり、俺から離れていくのだろうと思っていたのだが……。
「狭間くん! 見てよ、ボクのテスト!」
六花は相も変わらず、俺の隣で楽しそうに笑っていた。
現在は放課後。クラスは先ほど返却された学力テストの結果で大盛り上がりだった。
六花の学力か……。
この一週間、隣で授業を受ける姿を見てきたが、真面目にノートを取っていると思えば落書きをしていたり、寝ていたかと思えば、教師からの問いに完璧に回答をしていたりと、その実力は正直未知数だ。
さすがに、からっきしという事はないだろうが……。
俺は、六花の差し出したテストを受け取ろうとするが、それは失敗に終わった。
「風賀美さん、テストどうだった⁉︎」
「あ、ウチも気になるー!」
「ね! 風賀美さんめっちゃ勉強できそうだもんね!」
六花は瞬く間に女子の軍勢に取り囲まれ、俺はまたしても教室から追い出されてしまった。まるで、転校初日の焼き直しである。
今ではさすがに初日のような質問ラッシュは無くなったものの、他の生徒とも積極的に関わるようになった六花は大人気となっていた。
『風賀美さん、先に部活行ってるから』
俺は、例のクラス用の他人行儀な口調で六花に一声掛け、部室へと向かった。
◇
「狭間くんはテストの結果、どうでしたか?」
部室に入るなり開口一番、鈴木が尋ねてくる。
「あー……まあ、ぼちぼちだな」
そう言って俺はリュックから点数や全国順位がひとまとめに書かれたプリントを取り出す。
年度始めのテストということもあり、内容は、一年生の復習がほとんどだった。
その結果は、暗記要素の強い歴史や化学はそれなりの得点だが、数学と英語については見るも無惨な結果だった。……まあ、いつも通りだ
「さすが狭間くんですね!」
暗記科目の点数を指して言っているのだろうがなぜだろう「さすが、苦手科目については本当にゴミのような点数ですね!」と言われているような気がしてならない。
……そして当の鈴木は毎度の如く「恥ずかしいので!」と言って結果を見せてくれないのだ。
おい、理不尽すぎるだろ。
その後、何度か問いただしているとどうやら相当な上位であることがわかってきた。恐らく、十分に有名な大学を狙えるような結果だろう。
「今回、範囲広いし大変だったろ」
「そんなことないですよ。ほとんど去年やったところの復習だったので、ざっくりと一年分の復習をすればいいだけでした」
ざっくりと一年分。
本人は言うが、一ヶ月足らずで一年を振り返らなければならないのだから、少なくとも俺の感覚からすれば苦行でしかない。
相変わらず、鈴木の努力に対する基準は、すっ飛んでいる。
部活が始まるまでまだ少し時間があったので、南部長の高いとも低いとも言えない点数を小馬鹿にし、危うくキン肉バスターを食らいそうになるなどしていると、何やらヘロヘロな様子の六花が入って来た。
「もっはろー……長太郎くん、実咲ちゃん」
心なしか、そのもっはろーにも覇気がない。
「もっはろーです、風賀美さん。……体調の方は、もう大丈夫なんですか?」
鈴木が心配そうに尋ねる。
実はテストのあった翌日から数日間。六花は発熱で学校を休んでいたのだ。
本人は、「テストで頭使ったからかな」なんて言っていたが、鈴木曰く、高校二年生にもなって知恵熱が起きるなんてことはまず無いらしい。
おそらく、転校に一人暮らしと、環境が大きく変わった事による疲労で体調を崩したのだろう。
「沢山寝たからもう大丈夫。元気いっぱいだよ」
「そうですか、よかったです……」
ガッツポーズを作って見せた六花を見て、鈴木がほっと胸を撫で下ろす。
「結局、六花はテスト結果どうだったんだ?」
「そうだ。これ、ちょっと見て欲しいんだ」
その言い方に、少し引っかかった。
点が高くとも、低くとも、こんな言い方にはなるまい。だとすれば、結果に何らかの不備があった、とかだろうか。
「自分でもびっくりしたよ……」
そう言って六花は苦笑い混じりに結果表を机の上に置いた。
「「は……?(え……?)」」
俺と鈴木の口から同時に、間抜けな声が漏れた。
国語、数学、英語、理科、社会。全てにおいて、点数の欄には同じ数字が並んでいた。
1と、0と0。
つまるところ、オール百点満点であり、その順位は、当然全国一位。
「ぜ、全部百点……ですか……?」
鈴木がぽかんと口を開けている。
空いた口が塞がらないとはまさにこういうのを指すのだろう。
「うん……自分でもびっくりしちゃった」
心底不思議そうに六花は首を傾げていた。
「単にそれだけ頑張って勉強したってことじゃないのか?」
「ううん。実は今回のテスト、実はほとんど勉強できてなかったんだ――だけど、何て言うのかな……。問題を見たら、パッと答えが頭に浮かんで来て、そうやって回答していったんだ。でもまさか本当に全部百点だなんて……」
六花の声色に、決して点数を自慢するような雰囲気はなく、本当に困惑しているようだった。
ふと、努力の成果を易々と越えられてしまった鈴木が心配になったが――。
「見ただけで答えがわかるなんてすごすぎです! ひょっとして風賀美さんは天才……いえ、将来偉人になれるんじゃないでしょうか!」
どうやら、問題はないらしかった。
「はは、大袈裟だよ」
六花本人はそう言うが、俺は決して大袈裟だとは思わなかった。
――『驚異的な計算能力と記憶力を持っており、どんな教科でも問題を見るだけで答えがすぐに分かった』
なにせ、これが事実なら、まさに偉人のエピソードそのものだからだ。
――だが、六花のハイスペックぶりはこんな物ではないということを、この時の俺はまだ知らなかった。
◇
「――はあ? 全部満点?」
テスト返却の翌日。
俺から六花のテスト結果を聞いた朝倉は、口をあんぐりと開けてグラウンドに突っ立っていた。
今日は年に一度、この時期になると必ず訪れる忌まわしき行事、スポーツテストである。
反復横跳びだったり握力だったり、シャトルランだったりと、何かと点数をつけて身体能力を測るあれだ。
人はなぜ、こんな複雑なルールや基準まで設けて、己を計り、比べたがるのだろうか。
みんな違ってみんないいみたいな、そういうふわっとした感じでいいじゃないか。
現在俺と朝倉は、ハンドボール投げの順番待ちの最中。持て余した待ち時間で雑談をしていたのだった。
「なあ朝倉、彼女の転入からしばらく経つが、お前から見て風賀美はどう見える?」
六花と出会ったあの時に感じた、誰かに呼ばれたような感覚と頭痛。
俺はやはり偶然には思えず、ずっと引っかかっていた。
以前は朝倉に「気のせいだ」と一蹴されてしまったが、六花も同じ状態だったと分かった今は事情が違う。
だから、風賀美の転入から少し経った今、諸々のことを改めてもう一度聞くことにした。
「そうだな……白髪碧眼のボクっ娘で、本人が一番フィクションみたいな癖して王子様に夢見てて、しかも頭脳明晰でクラスの人気者……演劇部なんて、稀有な人間しか入らん部活にも馴染んでいる――総評として、オーバースペックの変人だな」
「……もっとマシな表現はなかったのかよ」
「どう考えたって妥当だろ。美少女の癖して、お前のような捻くれ拗らせオタクと仲良くやってる奴が、変人じゃないとでも?」
「なるほど、それもそうだ。……それで、なんだが――」
そうして俺は、例の呼ばれる感覚と頭痛について朝倉に話した。
「――本当だとしたらたしかに妙だな」
流石に気になったようで、朝倉は顎をしゃくって考えていた。
「何か理由をこじつけるとしても、奇跡的なまでの偶然か、あるいは、偶然その瞬間だけ低気圧になって偏頭痛が起きた……くらいしか現状思いつかないのが正直なところだ。……となると、そのスローモーションってのも気になってくるな」
「ああ……。実はあの後色々と調べたり、それとなく鈴木に聞いたりしたんだが、他人の命の危機に反応してスローモーションや走馬灯が起きるなんて話は出てこないんだよな」
すると朝倉は冗談めかして言った。
「ひょっとすると、お前自身の特異体質かもしれないぜ? それこそ『異能力』みたいな」
「異能力って、急に中二病じみてきたな……」
「まあいずれにせよ切羽詰まった問題でも無いんだ、気長に考察していけばいい」
「……それもそう、か」
朝倉との雑談を終えボールを投げ終えた俺は、十点満点中二点という、記録することすら憚られる点数を評価シートに記録していた。
すると室内での種目を終えたらしい女子の集団がグラウンドに出てきた。
なにやら異様に盛り上がっている様子だ。
気になって見ていると、その輪の中心には、六花の姿があった。
「ひょっとしてまた――」なんて考えが頭をよぎる。
すると集団は、俺のいるハンドボールの方へとやってきた。
体育は二クラス合同のため、その中には鈴木の姿も見える。
「もっはろー、狭間くん」
「も、もっはろーです」
「随分騒ぎになってるみたいだが、何かあったのか……?」
尋ねると、六花が意味深な笑みを浮かべた。
「折角だから見ていってくれないかな、ボクが頑張るところ!」
「……だな、そうさせてもらう」
俺は邪魔にならないよう、数歩下がったところで六花の勇姿を見届けることにした。
「俺は風賀美の投球見てくけど、朝倉は?」
「……俺は先に体育館行ってるわ。多少スポーツテストの結果が良かったところで正直どうでもいいしな」
そう言って朝倉はあっさりとその場を離れた。なんで薄情なやつだ。本当に血の通った人間か?
六花が投げる番になると、それまで騒がしかった女子たちが一斉に押し黙る。
……それほどまでにすごいのだろうか。
「よし……いくよ……」
六花はつぶやくと、手本のように綺麗なフォームでボールを投げた。
びゅん、と凄まじい音をたてながら投げられたボールは見事な放物線を描き、地面に白線で書かれた最も大きい数字、五十メートルのラインを大きく越えて落下した。
測定係の生徒がメジャーで計測すると、正確な数値を発表する。
「ろ、六一メートル‼︎」
「んなばかな……」
俺は、以前テレビでやっていたスポーツバラエティ番組を思い出していた。
そこでは、髭を蓄えた筋骨隆々のハンマー投げ金メダリストが、「高校の時はソフトボール投げで六五メートルくらいでした」と言い放ち、他のスポーツ選手選手達から驚愕されていた光景を思い出していた。
六花が出した記録は、そこから、たった四メートルを少ないだけ。
それも、決して普段運動しているようには見えない、華奢な普通の女子高生が、だ。
規格外にも程があるだろ。
六花の周りでは歓声が巻き起こっていた。
おそらく、他の競技でも同じように出鱈目に突出した記録を出してきたのだろう。通りで、妙な盛り上がりを見せているわけだ。
だが、あれだけの記録を出したとなると、六花の体はなんとも無いのだろうか……?
そんな懸念もあり、俺は六花から目が離せずにいた。
やがて五十メートル走が始まり、六花の走る番が来た。
「位置について! よーい‼︎」
係の女子が、スターターピストルの銃口を上に掲げる。
打ち出された銃声を合図に、六花が飛び込むように勢いづいたスタートを決めた。
隣で走る陸上部の女子とも、瞬く間に差が開いていき、その速度は落ちるどころか増していった。
……ソフトボール投げに比べ、五〇メートル走は、そのタイムの凄さにも気づく奴は多いだろう。
先ほどとは比べ物にならないほどの騒ぎになることは予想できる。
――だが、中間地点を過ぎた辺りで、異変は起きた。
「あっ」と、観客の誰かが、声を上げた。
その視線の先では、六花が足をもつれさせ、今まさに、前のめりに体勢を崩さんとしていた。
――そうだ。室内の競技でも出鱈目な記録を出してきたのだとすれば、そこには『反復横跳び』や『立ち幅跳び』も含まれる。
だとすれば、既に六花の足には相当な疲労が蓄積されていたはずだ。五〇メートルの全力疾走に耐えられなくても無理はない。
六花は右肩が下になるような体勢で、地面に倒れ込もうとしていた。……さっきのソフトボール投げで痛めているはずの右肩が下になるように、だ。
このままでは、命を落とすような事はないにしても、脱臼や筋肉の断裂などの怪我に発展する可能性がある。
最悪全治数ヶ月――いや、後遺症が残るような事故になりかねない。
そう思った時だった。ズキンと頭に刺すような痛みが走った。
そして視界には、ゆっくりと地面に倒れ伏していく六花の姿が写っていた。
――スローモーション。
あの時と同じだ。六花と初めて出会った、入学式の時と。
そう気づいた瞬間、俺のすることは決まっていた。
強烈な頭痛を堪えながら、地面を蹴って走り出す。
だが、スローモーションだからこそ、最高速度で走ったところで一歩……あと一歩だけが、六花には届かないと言う現実を悟ってしまう。
……だけど、入学式の時と違って、俺が動かなかったとて、六花は死ぬわけじゃない。
そんな考えが脳裏を掠めるた時のことだ。
痛みに歪んだ六花の顔が視界に飛び込んできた。
――――バカか俺は。
目の前で女の子がピンチなら、どれだけ身体を張ってでも助けるべきだろうが。
そんな考えで行動する
ここで六花を助けなければ、俺は今までの自分を否定することになる。オタク失格だ……!
今すべきことはたった一つ……!
「六花っ……!」
――ただ走っていては間に合わない。
そう悟った俺は、彼女の体と地面の間に滑り込むように、頭から飛び込んだ。いわゆるヘッドスライディングだ。
ズザアッという音と共に、荒々しい小石まみれの地面に全身が擦り付けられる。
体感時間が伸びている分、ヒリヒリとした痛みも、長く感じる。
まるで、卸金の上の大根にでもなったような最悪の気分だ。
そして、とどめとばかりに、背中に米俵でも落とされたかのごとき重さ衝撃が――
「「ぐえっ!」」
カエルが潰れるような声が二つ重なった。
俺と、それから、六花の声だ。どうやら、なんとか滑り込めたらしい。
六花の無事を確認したからか、スローモーションも解け、一安心したその時だった。
「うう……」
背中から、六花のうめくような声が聴こえてくる。やはりどこか負傷していたのか……!
どこだ……? 肩か……、それとも脚か……⁉︎
ひょっとして、もっと安全な受け止め方があったのではないか……?
いやいや落ち着け、どうあれ、まずはどうにか六花を保健室へ連れて行くのが先決だ。
「六花……大丈夫か……?」
俺は、うつ伏せで押し潰されながら問いかける。毎度毎度、格好悪いことこの上ないな。
「ぜ、全身が激痛……動けないぃ……! ぼ、ボク、ちゃんと手足ついてる……?」
痛そうではあるが…そのコミカルな様子に気が抜けた。
まずは六花の状態を確認しなければ、と、思ったが、体を起こそうにも、六花が背中に乗ったままでは身動きを取ることもできない。
そんな中、駆けつける助っ人が一人。
「風賀美さん! 狭間くん! 大丈夫ですか⁉︎」
「鈴木……、ちょうどいいところに。六花は大丈夫そうか……?」
「えと……えと……、す、少なくとも外傷は無いみたいですが……」
「ならよかった。六花が立ち上がる手伝いしてやってくれ」
「は、はい……!」
「ごめんね、実咲ちゃん……いたたたた……」
「しゃ、喋らない方がいいと思います!」
六花が立ち上がったのを見て、ようやく俺も立ち上がる。
「助かった。六花のこと、後は任せてくれ。俺が保健室に連れて行っとく」
「わ、私も手伝います……!」
「いや、俺とお前じゃ体格差がありすぎて下手すれば六花を落としかねん。多分、俺一人で運んだ方が安全だ」
「た、確かにそれはそうかもです……」
「六花も、それでいいか……?」
「うん……おねがい、長太郎くん。実咲ちゃんもありがとね」
「……はい」
鈴木は一瞬だけ俯くと、すぐに顔を上げた。
「では、私は先回りして養護教諭の中島先生へ事情を説明しておきます。それだけでもさせてください!」
「助かる……! ……あとは騒ぎを聞きつけて次々集まり始めている生徒への状況説明か。顔の広い奴に頼めればスムーズなんだが、そんな知り合いいないしな」
俺の悲しいぼやきに、鈴木が「あ」と反応した。どうやらアテがあるらしい。
「さ、“さなみー”! ちょっといいですか?」
……どこかで聞いた名前だ。
そう思っていると、野次馬の中から飛び出してくる女子が一人。
「みーちゃん! りっちゃん大丈夫そう!?」
隈取のような赤いアイメイクにぱっつんの前髪、巻かれたツインテール。いわゆる地雷系の女子は確か、同じクラスの遊佐とか言ったか。
みーちゃんとりっちゃんとは、実咲と六花の頭文字をあだ名にしたものだろう。
「さなみー! ありがとうございます!」
……そう言えば、以前鈴木が転校生の噂を俺に教えてくれた時、さなみーから教えて貰ったと言ってたな。
遊佐のことだったのか……。
下の名前を覚えていないので、何故「さなみー」と呼ばれているのかは分からないが、そんな事今はどうだっていい。
「遊佐、今から六花を保健室に連れて行く。他の生徒に事情を説明しておいてくれないか?」
「わ、私からもお願いします!」
「……いけすかない狭間からってのはともかく、みーちゃんからも頼まれちゃ引き受けないわけにはいかないかな」
今まで碌に話したこともないのに、いけすかない呼ばわりなのは癪に触るが、頼りになる返事だ。
「それで、りっちゃんが倒れた原因って?」
「『久々に本気で動いて体痛めた』……とりあえずそう伝えておいてくれ」
「ん、りょーかい。多分それでみんな納得してくれると思う」
そう言って、遊佐はすぐさま説明に向かった。
「私も、先に保健室行って来ます!」
すると鈴木は、少しばかり走ったところで、引き返してきた。
「運ぶ時は、なるべく風賀美さんに負担がかからず、衝撃が伝わらない運び方をしてください!」
それだけ言い残すと、鈴木は今度こそ走り去っていった。
できれば、その運び方とやらを具体的に教えて欲しかったのだが……。ああ見えて、鈴木も結構、テンパっていたのだろう。
……いや、一言足りないのはいつものことか。
――それにしても、六花に負担が掛からず、衝撃が伝わらない運び方か。
おんぶは……ダメだ。安定はするが、歩く際、結構な衝撃が六花にかかるだろう。
では米俵のように肩で担ぐのは……論外だな。
だとすれば、俺の思いつく運び方は、一つ思いつかなかった。
俺は、六花の肩を担いで、人目の無い植え込みの裏手に回ると、念の為もう一度辺りを見回して、周囲に人目がないことを確認する。
「六花悪い、失礼するぞ」
「長太郎くん?」
言葉の意味が分からない、といった様子の六花を、俺は横から抱き上げる。
「わわっ!」
「暴れると危ないぞ。左手、首にかけられるか?」
「う、うん。左手なら、なんとか。……長太郎くん。それより、この体勢って……」
――そう。六花の言う通り、この体勢はいわゆる。
「お姫様抱っこ、だな」
「うう……お、重いでしょ……? 早く、早く降ろして……!」
「でも今、歩くのもキツいだろ……?」
「どうしてそれを……」
「あんなことがあったんだ。そのくらい予想はつく。それに、肩の痛みがちょっと、なんてのも嘘なんだろ?」
「うん……」
「……お前、やっぱポーカーフェイス上手いな、全く気づけなかった。流石演劇部だ」
俺は六花をしっかり抱えると、歩を進めだす。
校舎に入り、しばらく廊下を進むとようやく、保健室が見えてきた。
今まで、無言を貫いていた六花が、不意に口を開く。
「長太郎くん、さっきからずっと無理してるでしょ」
「なんのことだ?」
「長太郎は、いつも仏頂面なだけで、ポーカーフェイスは上手くないね。……それと腕、震えてるよ」
……そう、そうなのだ。
六花の言う通り、ここまでの道のりで、俺の細腕は、とうに限界を超えている。今は歯を食いしばりながら、意地と根性でなんとか支えているだけの状態だ。
明日どころか、数日筋肉痛に悩まされることは必至だろう。
「六花……前にも同じようなこと言ったと思うが、もう一度言っておく。……男は弱ってる美少女相手にゃ格好つけずにはいられないんだよ」
……しばらく反応が返ってこない。
さすがに滑ったか……? と不安になっていると、六花がいきなり俺の胸に顔を押し付けてきた。
「もうっ、調子乗りすぎ……!」
「おわっ、いきなりどうした。そんなことしても息苦しいだけだぞ?」
「無理だよ……。今長太郎くんの顔、見れないよ……」
その理由を、六花は聞くまでもなく答えてくれた。
「長太郎くんが自分の言葉で、ボクのこと、美少女って言ってくれたの、嬉しすぎるよ……」
なんだ、そんなことかよ。つーか、なんだよこの可愛すぎる生き物は……!
……確かにいつだかの昼休み、そんな話もしたっけな。
言われてみれば、確かに体操服越しに感じる六花の顔は――俺の胸が焦げそうになるほどに熱かった。
六花の表情を見る事が出来ないのは惜しいが、今回ばかりは寧ろ好都合だったきもしれない。
――なにせ、六花が俺に表情を見せたくないように俺も今の表情を六花には見られたくない。
……手で触れずとも、顔が熱くなっているのがわかるくらいだ。
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