第10話 あの時のこと


 部室に戻ると、ざっと十人ほどはいるだろうか、結構な数の新入生が集まっていて、賑やかなことになっていた。

 

 現在は、部員がそれぞれ役者や各種裏方に分かれ、新入生に説明をしているところだ。

  

「おかえり、長太郎くん、実咲ちゃん!」


「た、ただいま戻りました……!」

 

「鈴木のこと、もう“実咲ちゃん”呼びなんだな」

 

「うん、仲良くなれそう! って思ったから思い切ってこの呼び方にしたんだ」

 

「きょ、恐縮です……! か、風賀美さんのことも六花ちゃんって呼べるように頑張ります……!」

 

「別に、呼んでもいいんじゃ無いのか?」

 

「そ、その……恐れ多くて……」

 

 なんじゃそりゃ。

 そう思うのは、俺が既に六花の抜けた部分も見ているからだろうか。

 

 確かに、初対面だと六花は近付き難い雰囲気がある。それをいきなり名前呼びと言うのは、鈴木にとってハードルが高すぎたか。

 

「その……狭間くんは風賀美さんと名前で呼び合ってるんですね」

 

「まあ、紆余曲折あってな」

 

「そう……ですか。なんだかちょっと羨ましいです……」

 

「そうか……?」

 

「い、いえなんでもありません! そ、そうです! 部長から、戻ってきたら音響の機材の説明をするように言われてたんでした!」

 

 鈴木はそう言って、最前列中央の席に置かれた、ミキサー? とか言う、ボタンやらツマミやらが無数についた音響機材の方へと移動していった。

 音響は全くの専門外なのだ。

 

「実咲ちゃん、どうしたんだろう?」

 

「……さあな。もう他の部員とも話したのか?」

 

「うん、一応、もう全員と話したかな。二年生は実咲ちゃんと長太郎くんと、アイドル好きの玉木さんと、ビーエル……? が好きな利根さん。三年は、南部長、副部長の男子の深山先輩、脚本家の樋口先輩。これで全員だよね」

 

「すげぇな、正解だ」

 

 特にBL好きの利根とかな……。

利根佳織とねかおり。三度の飯よりBLボーイズラブ……つまるところ男同士の恋愛物が大好きな、推しのために生き、推しのために死ぬ。腐女子の煮凝りのような女子である。

 

 六花と利根が話したのはまだ一瞬のはずだろうに、なんで既にBL好きとして認識されてんだよ……。

 どうやら六花はBLが一体何なのかは、知らなかったようだが。

 

「にしても、よくこの短時間で全員の名前覚えたな」

 

「うん。ボク結構物覚えは良いみたい」

 

「なんつーチートだ……。そうだ、六花は裏方の説明とか、台本の朗読とか参加しなくていいのか?」


 案外、縦書きの台本を登場人物になりきって読んでいくだけでも、演劇部らしいことをしている気になるもんだ。体験入部にはうってつけである。


「二年生のボクが混じってたら、新入生達は居心地悪いだろうし、別にいいかなって」

 

「……そこまで気にする必要もないと思うがな」

 

 何か転校生なりに、思うところがあるのだろうか。

  

「ま、それならそれでいい。よっぽど裏方の専門的なことじゃなきゃ、俺が説明するしな」

 

「本当? それは頼もしいなぁ」

 

 ふと、肝心なことを聞いていなかったと気づく。


「そういや、六花は裏方やるのか? それとも――」

 

「――役者、やってみたいって思う。なんだか、今よりも自分の事を知れるような気がするんだ」

 

「そうか、それを聞きたかった……!」

 

 六花はルックスは抜群にいいし、声もいい。むしろ、役者以外はありえないと考えていたところだった。

 

「……なあ六花。次の劇、俺の舞台の主演女優ヒロインになってくれないか?」

 

「ヒロイン……?」


「ああ。せっかくだ。やるなら徹底的にやろうぜ?」


 俺は机の上に置かれた、『台本ボックス』とかかれたダンボール手を乗せて言った。

 

「空から降ってくる美少女の活かし方なら、俺はごまんと知ってる。中見てもいいぞ?」


 すると六花は目を輝かせて台本ボックスの中身をを吟味し始めた。 

 

「わぁ、長太郎くん作の台本がいっぱい!」


「樋口先輩が書いた台本も混ざってるけどな」 


 そして六花が、一冊の台本を取り出す。

 

「『空から降ってきた、SFボクっ娘美少女に惚れられている件』……? なんかボクみたい。SF? と美少女かは……分からないけど」

 

 あの時一晩で書き上げ、没をもらった台本だった。


 まさか、この台本も本当に空から降ってきたボクっ娘美少女に拾い上げられるとは思っていなかっただろう。

 

 台本を書いたのは六花に出会う前のことなので、当然六花がモデルと言うことは無いのだが、俺は、姉物のエロ漫画を実姉に見られたかのような気恥ずかしさを覚えていた。

 姉、いないけどな……。

「あらあら〜」と甘やかしてくれる姉が欲しい人生だった。

 

 そんな俺の内心も知らず、六花は台本を取り出してパラパラと台本の中を見始めた。


「これが長太郎の書いた台本……」

 

「ま、その台本に関しちゃ、日の目を浴びることなく没になったんだけどな」


 俺がそう言うと、六花は少し寂しそうな表情を浮かべた。

 

「そっか、じゃあこの台本が劇になることはないんだよね……」

 

「……まあ、そうだろうな」

 

 すると六花は台本を握りしめて言った。

 

「長太郎くん、ボク、これ読みたい……読もうよ!」

 

「……!」


 ……確かに、この台本なら、二人で読んだとしても、十分様になるだろう。

 

 なにより、この作品のヒロインはボクっ娘の中のボクっ娘、春乃である。

 俺は、六花が春乃のセリフを読むところを、純粋に見てみたいと思った。

 

「じゃあ、そうするか」

 

 それぞれ台本を手に取ると、俺たちは向かい会って椅子に座った。


「あ、主人公、翔太郎くんっていうんだ。長太郎くんに名前そっくりだね」


「……まあ、出来心で名前寄せちゃったからな。思春期の至りってやつだよ」

 

「ふふ、何それ」

 

「突っ込むな突っ込むな」

 

「翔太郎くん、約束通り来てくれたんだ」


「……ん?」

 

「ほら、次は長太郎くんのセリフだよ?」


 六花が台本のセリフを読んでいるのだと気づくのに、俺は時間を要した。


 ――それほどまでに自然な演技だったのだ。

 

「あ、ああ……」

 

 戸惑いながらも、俺も台詞を続ける。


『当たり前だろ。……それでも、屋上に呼び出しってのは流石に驚いたが。春乃が四月に転校してきてからもうすぐ一年か。初めて出会った時のこと、覚えてるか?』

 

『もちろん。忘れるわけないよ……ファルノール星のプラネットバーストから逃れて、ハイパーワープドライブで地球にやってきた時のこと……座標指定が上手くいかなくて、この学校の上空に転移しちゃったときはびっくりしたなぁ……」

 

「……なあ、六花って、いままで演技の経験ってあるか?」


「え? ううん、ないけど」


 六花の声は、甘さと可愛らしさを多分に含んだよく通る心地のいい声だ。

 そして、そんな特徴的な声を持ってすれば、単に台本を読むだけでも、自然と演技も魅力的に聞こえる。

 

 だが、それでも演劇経験がないのなら、多少なりとも棒読みだったり、力が篭りすぎていたりと、どこか緊張感が伝わってくるはずなのだ。

 

 だが、俺はさっき今彼女のセリフを、聞き流しそうになった。

 彼女の演技からは、そうした違和感が一切感じられなかった。


 初めてにもかかわらず、ずば抜けた成果を出してしまう。それはつまり――天才というやつではないだろうか。

 

 台本の内容は相変わらず非現実的を極めているが、不思議なことに、彼女の口から語られると、違和感がなかった。


「……翔太郎くん。ボクはね、ずっと前から――」


 六花のい青い瞳が俺を捉える。

 

 この後に続くセリフを俺は知っている。 

 それは、部長ともあろう人が、言うのを躊躇うほど小っ恥ずかしいセリフで、それでいて、いともたやすく人間関係を変えてしまう。大きな力を持った言葉。


 だが、そんなセリフを、六花はためらわずに言い切った。


「――キミのことが、好きなんだ」


 ドクン、と心臓が高鳴った。

 

 芝居だと、演劇だとわかっていても、まるで、本当に六花に告白をされたような感覚になる。

 

 出会ってからたった二日だと言うのに俺は、彼女の天使のようで、小悪魔のような彼女の言動に、すっかり目が離せなくなっていた。

 

 ――ふと、彼女と出会った時のことを思い出す。あの入学式の日のことだ。


「なあ、あの入学式の日、六花はどうして学校にいたんだ?」

  

「ヒミツ、かな」

 

 六花は相変わらず語ってはくれなかった。


「秘密にするほどの理由か……」

 

 やっぱり、答えてくれる気はないらしい。。


「でも……そうだ、あの時ボクがベランダに出ていたのはね――」

 

 どうやら、今度こそ何か答えてくれるらしい。


 


「――誰かに、呼ばれた気がしたから」



 

 ゾワリと、得体の知れない不気味な感覚が全身を駆け巡る。

  

「そうしてベランダに出たら、キミの姿が見えて。気づいた時には君に抱き止められてた」

 

「気づいた時には……?」

 

「落ちた瞬間のこと、あんまり覚えてないんだ」

 

 そうして六花は語る。

 

「落ちる前。最後に覚えてたのは、キミと目があったこと、それから――」

 

 彼女の言った『誰かに呼ばれたような感覚』。

 同じ感覚を、俺もあの時感じていた。

 

 そしてもう一つ――。



 

「――酷い頭痛を、感じたんだ」

 



 あの時俺も、得体の知れない頭痛を感じていた。

 

 同じだ。俺と六花はあの瞬間、同じ症状……いや、現象と邂逅していたんだ。

 

 そして、それはきっと単なる偶然なんかじゃない。

 ――俺の直感が、そう告げていた。

 

 退屈でクソッタレな現実が、少しずつ崩れていくような、形を変えていくような――そんな錯覚を俺は、覚えていた。

 

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