第9話 はじめての

 放課後、俺はいつものように部室へと訪れた。

 いつもと唯一違うのは、隣に風賀美がいることくらいだろうか。

 

 ……違いが極端すぎる。

 

「まだ他の部員は来てないみたいだな」


「ねえ、これ誰のリュックかな」

 

 俺と六花が最後列の定位置の席に荷物を下ろすと、ひとつ前の座席に鈴木のリュックだけが置かれていることに気づいた。あれだ、お花摘みにでも行っているのだろう。

 

 そんな矢先、ポケットのスマホが振動する。

 確認すると、南部長が演劇部のLINEグループに南部長からのメッセージが届いていた。

 

 〈すまん! 三年全員、進路説明で若干遅れる!〉

 

 ……進路かあ。そういや、近いうちに先輩たちも引退なんだな。


 ほんのりセンチメンタルな気持ちになっていると、風賀美が画面を覗き込んできた。

 

「どうしたの?」

 

「三年全員、遅れるとさ」

 

「そ、そうなんだ」

 

 風賀美が、やけにソワソワとし始めた。うっかり「風賀美もトイレか?」なんて聞き方になるが、ギリギリ言葉を引っ込める。デリカシー、というやつだ。

 

「どうかしたか?」

 

「その……さ。そうやって、いつでも連絡取れるって、すごく、便利で素敵だよね」

 

 ……? 確かに手のひらサイズの端末一つで連絡が取れるのは便利で素敵だとは思うが、なぜ今そんなことを?

 

「その、ボクともLINE、交換してくれない……?」

 

 なるほど、連絡先の交換か。

 

「そうだな、そうするか」

 

「うん! えーと……登録って、どうすればいいんだっけ」

 

 俺は朧げな記憶を引っ張り出しながら、戸惑う六花に、連絡先の登録方法を教える。


「これをこうしてこうするんじゃよ」


「わ! できた! 見てほら狭間くん!」

 

 そう言って風賀美が見せた画面を見て、俺は言葉を失った。

 

 その友達リストには、友達どころか、親すら載っておらず――。


 最新機種のスマホの大画面の中に『狭間長太郎』という文字だけがぽつんと表示されていた。

 

 ワケありとは思っていたが、風賀美は一体、どんな理由で転校してきたんだ――?

 

 だが、本人が秘密にすると言った以上、今は踏み込むべき時ではないのだろう。

 

 出来る事があるとすれば。部活のグループに風賀美を迎え入れ、そのリストを少しでも埋めてやることくらいだ。

 

「――――じゃ、俺が記念すべき一人目か。身に余る光栄だな」


「よかった……ボクの初めて、狭間くんに捧げられて……」

 

 妙な言い方をするな。

 

 かくして、俺の少ない友達一覧にも『リッカ⭐︎』という名前が追加されたのだった。

 

「狭間……長太郎」

 

 風賀美がぽつりと呟く。

 

「どうした?」

 

 確かに俺は分かりやすさ重視で『狭間長太郎』と、フルネームで名前を登録しているが……。

 

「これからは、“長太郎くん”……って、呼んじゃ、ダメかな」


 上目遣いで尋ねてくる六花に、また胸が高鳴った。


 ――断る理由は、ない。


「――でさ、ボクのことも、“六花”って、呼んでくれないかな……?」

 

「それは……」


 俺は彼女を教室から連れだす際に、「風賀美さん」と呼んで連れ出したことを思い出していた。

 あの方法で風賀美を連れ出せた理由の一つは、このいかにも他人行儀な呼び方があったからだろう。名前で呼び合うなんて、「私たちは仲睦まじいですよ」と公言しているようなものだ。

 

 ……だが、連絡先のあんな状況を見せられては、六花の要望は出来る限り叶えてやりたいと思うのが人の性だろう。

 

 ……少し考え、俺は、折衷案を提案することにした。

 

「……俺たちが名前呼びをする間柄だって知れたら、また今日の昼みたいに、きっとまた面倒な騒ぎになるだろうな」

 

「うん……。そうだよね。やっぱり今の話はなしに」

 

 俺は風賀美の――いや、六花の言葉を遮るように言う。

 

「だからとりあえず、部活の中だけで、ってのはどうだ?」

 

 俯きかけていた六花が、表情を綻ばせる。

 

「ありがとう、長太郎くんっ!」

 

「……おう。……その……り、六花」

 

 ……て、照れくさすぎる……!

 方針は決まったとは言え、まともに呼べるかについては、また別の話だ。女子を名前呼びって……。周囲がどうこうとかじゃなく、シンプルに難易度が高すぎないか……?

 

「……着替えてくる」


「はーい、いってらっしゃい」

 

 俺は内心頭を抱えつつ、体験入部の呼び込みに備えめホームズの衣装一式を持って更衣室へと向かう。

 

 そしてドアノブを捻りかけたその時、無人のはずの扉の向こうから声が聞こえた。

 

「あれー? えーと……ここがこうなって……おかしいですね……」

 

 どうやら、絶賛着替え中らしい鈴木の声だった。

 どうもリュックだけがあると思ったら、着替えてやがったのか……。


 改めて更衣室にかけられたプレートを見ると、案の定と言うべきか、『使用中』の表記ではなく、『空き』の表記のままとなっていた。


 こいつ……、ひっくり返すのを忘れてやがったな……。 

 こうして事故を未然に防いだ自分を褒めてやりたいくらいだ。

 これでもし俺がラブコメ主人公だったら確実に突撃してしてラッキースケベコースだったぞ?

 

「おーい、なんか時間かかってるみたいだが大丈夫かー?」

 

「え、えーと、すみません、エプロンのリボンが後ろで上手く結べなくて……狭間くん、お手伝いお願いしてもいいですか?」


「……はぁ、わかった」

 

 と、今度こそドアを開けようとしてハッとする。

 

「エプロンが結べない」、その言葉から、てっきり他の部分はもう着替えが済んでいるんだろうという前提でいたが、そういえば鈴木の着る町娘の衣装はスカートとエプロンが一体化した構造じゃなかっただろうか……?

 

 つまり、エプロンのリボンをしっかり結べていない今の状態では、スカートがいとも簡単にずり落ちてしまうと言う事だ。

 

 ……全然「お願いしてもいいですか?」じゃねえだろ。

 鈴木には切実に、俺が異性であるという認識をしっかりと持って欲しい。


「――り、六花、鈴木の着替え、手伝ってやってくれないか?」


 当然俺が手助けするわけにはいかないので、俺は六花に任せることにした。

 互いに初対面のような物だが、二人の交友関係を広げるにはちょうどいい機会だろう。

 

 更衣室が埋まっているので仕方なく俺は部室でそのまま着替えることにした。

 ま、他の部員が来る気配はまだない。特に問題はないだろう。

 そうして手始めにズボンを下ろした時だった。

 

「すまん! 遅くなった!」

 

 部長が入ってきた。 

 また俺がパンツ見られるのか……。

 そうして俺はまた、様式美のように言うのだった。

 

「きゃー……えっちー……」

 

 バチン、とビンタの音が響き渡るのもまた、様式美だ。


 どちらがぶたれたのかは、言うまでもないだろう。

 

 ◇

 

 鈴木と共に体験入部の呼び込みを終えた、部室への帰り道。

 

 鈴木は、六花に結んでもらった背中のリボンを上機嫌に揺らしながら歩いていた。

 

「昨日の狭間くんの話を聞いた限りでは、風賀美さんと上手く話せるか不安でしたけど、なんだか仲良くなれる気がします!」

 

 その言葉に、俺は少し驚いた。

 今でこそ鈴木は俺なんかとも普通に話せているが、初対面の時は走って逃げ出された程こいつは人見知りなのだ。

 

 そのため、基本的に、人と交友を深めるのには中々時間がかかるタイプなのだが、着替えの一件で、どうやら六花と波長が合ったらしかった。

 

 控えめで臆病な鈴木に、堂々としていて目立ちまくる六花。

 正反対な二人だが、不思議オーラとでも言うべきか……言われてみればどこか共通する雰囲気があるようにも思う。

  

「よかったな」

 

「はいっ!」

 

 ……こんなふうに笑うと無邪気な表情なるところも、少し似ているかもしれないな。

 

 道中自販機に寄ることにした俺は、いつも通りケミカルな色をしたメロンソーダを買う。

 そして取り出すことなく、再度硬貨を入れ、そして今までに一度も押したことのない、ミルクティーのボタンを押した。

 

「はいよ」


 そのまま取り出したミルクティーを鈴木へ差し出す。

 

「あ、荷物持ちですね、わかりました」

  

「ちげーよ」


 むしろ、どうしてそう思った。


「昨日今日、慣れない表方で死ぬほど頑張ってくれたからな。せめてもの礼だ」

 

「で、でも悪いですよ! 私、そんな大したことしていないです!」

 

「俺が人に物を奢るなんて中々ないぞ? お前はそんな貴重な機会を台無しにするつもりか?」

 

「え、えと……! そんなつもりでは……ー」

 

「じゃ、人の好意は素直に受け取っとけ」


「で、では、いただきます……」


 結局、鈴木はおずおずとミルクティーを受け取ると一口飲んだ。

 

「……でも狭間くん、滅多に奢らないって言ってましたけど、そんなことないと思いますよ?」

 

「そうか?」

 

 なにせオタクと言うやつはいつだって資金不足だ。ゲーム、マンガ、ラノベ、そしてアニメの円盤やフィギュアを筆頭とするコレクションアイテムと、金なんて、幾らあっても足りない。

 そんな事情で、他人に奢る余裕など持ち合わせているはずがないだろう。

 

「でも、私の誕生日の時、図書カードをプレゼントしてくれましたよね……あれも、ある種奢りなのではないでしょうか……?」

 

「ああ、そんなこともあったな……。前にも言ったが、ありゃ元々マンガのアンケートに答えたらたまたま当たったもんだ。俺の奢りじゃない」

 

 当選した記念品と言うこともあって、微妙に勿体無く感じ、自分じゃ使う気にならなかったのだ。


 とはいえ絵柄もしこたまイケメンが写った女性向けのアニメのものだったので、コレクションとして残しておくつもりもなく……。

 鈴木の誕生日と聞いて、読書家のこいつなら、遠慮なく使ってくれるだろうと譲ったのだった。

 

「そういや、アレでどんな本買ったんだ? まあ、あの金額じゃ、よく読んでるような分厚い本は買えないと思うが」

 

 あんなサイズの本、俺はハリーポッターと上橋菜穂子作品でしか知らないぞ。

  

「いえ、使ってません。それに、今後も使う気もありません」

 

 鈴木はなんだか、妙に柔らかな口調で答えた。

 

「勿体無くないか?」

  

「はい、勿体無いです。勿体無くて、使えません……! だから、今も大切に机の引き出しにしまってあります」

 

 使わないことが勿体無い……ではなく。使うことが勿体無いときたか。

 

 ひょっとして、普段アニメを全く観ない鈴木にしては意外や意外、あのイラストの作品のファンだったりするのだろうか。

 

「ま、あれはもう鈴木のもんだ。好きにしな」

 

「はい、そうさせてもらいます!」

 

 そう答える鈴木は、さっきよりも更に上機嫌に見えた。

 

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