第7話 美少女転校生、襲来

「で、昨日、例の女子には会えたのか?」


 翌日。朝倉は登校してくるなり問いかけてきた。その様子から察するに、相当気になっていたらしい。


「ああ、会えたし、なんなら既に入部してくれた」

 

「へえ……。そりゃ、そいつも随分と王子様にお熱なんだな。となると、俺の見立ては概ね当たってたわけだ」

 

「それは、どうだかな」


 HR開始五分前のチャイムが鳴ると、担任の体育教師が教室に入ってくる。


「ホームルームの前で悪いが、お前ら話聞けー」


 いつもより五分ばかり早い呼びかけに、クラスが若干どよめく。

 そして当然、俺はその理由を知っていた。


「えー、実はだな、諸事情あって若干遅れたが、今日からうちのクラスに転校生が入ることになった」


 その担任の言葉にクラスのどよめきは一気に大きくなっていく。


「よし、入ってきていいぞ」


 担任が扉を開けて手招きをすると、風賀美が真っ白な髪を靡かせながら現れた。


 すると、さっきまであれほど騒がしかった教室が、まるで時でも止まったかのように静まりかえる。


 唯一、おおよその事情を知っている朝倉だけは、彼女が新入生ではなく転校生だったことに驚いたのか、はたまたその存在感に圧倒されたのか、「はっ?」と、言う声が後方から声が聞こえてきた。

 見なくてもわかる。奴は今頃、「なぜさっき、転校生であることを黙っていた」と、俺を呪い殺さんばかりの視線をぶつけているのだろう。

 

 風賀美は、黒板の前に立つと、黒板に名前を書き始めた。


 カツ、カツ、とチョークの音だけが教室に響く。

 きっと誰もが、彼女と初めて出会った日の俺のように、その髪色に、瞳に、魅入っているのだろう。

  

 名前を書き終えた風賀美は、こちらに向き直る。

 

「風賀美六花です。これからよろしくお願いします」

 

 六花が流れるように礼をした。

 心なしか、その挨拶が妙にそっけないように感じたのは気のせいだろうか。

 

 だが、他の生徒にとってはそうでは無かったようで、「え、めっちゃかわいくない……?」「やばくね?」というような会話があちこちから聞こえ始める。

 そして、すぐに教室は爆発でも起きたかのような騒々しさとなっていた。

 

 そして、そんな状況は、担任が「質問はあとにしろー」と強引にホームルームを再開させるまで続いた。

 

「風賀美の席は……狭間の隣だな。座っていいぞ」


「はい」


 そしていよいよ風賀美が、右隣の席にやってきた。

 周りからあまり注目されないように「よう」と軽く手をあげる。


 目が合うと、風賀美は意図を汲んでくれたのか、微笑みながら小声で挨拶を返してくれた。

 

「もっはろー、狭間くん」

 

 もっはろー……⁉︎

 なんだそのラノベヒロインじみた挨拶は。

 具体的には、なんだその某千葉県が舞台の青春ラブコメに登場するピンク髪ヒロインじみた挨拶は。

 

 そして俺は忘れていた。彼女は、初対面で手を触れてくるような、小悪魔的な一面を備えているということを。

 

「(狭間くん、クラスでもよろしくね)」

 

 席についた風賀美は、ただの小声と明らかに違う“囁き声”で、ぽしょりと耳元でつぶやいた。

 

 至って普通の言葉ではあるが、美少女からの囁きというだけで、その破壊力は桁外れなわけで……。

 ゾワリとした感覚が一瞬で全身を駆け巡り、脱力しきった俺は、机に額を打ち付ける羽目になった。

 風賀美六花。末恐ろしい奴だ……。

 

 ◇

 

 ホームルームが終わると、俺と風賀美の席はあっという間に風賀美目当ての輩たち包囲されていた。

 

 アニメで散々見たことあるぞこの光景……。

 現実じゃ転校生なんて、大したイベントでもないと思っていたが、風賀美レベルの容姿ともなるとやはり大騒ぎになるらしい。


 そんなわけで、押し出されるようにして廊下に出てきた俺は、廊下から窓越しに、質問責めに合っている風賀美を見ていた。

 

「すごいことになってるな……」

 

「どの口がそれを言うんだ?」

 

 独り言に返事があったことに驚き振り向くと、見るからに不貞腐れた表情の朝倉が立っていた。

 

「なんだ、文句でも言いにきたか?」

 

「その通りだよアホ」

 

 見事なまでの売り言葉に買い言葉だな。

 

「……お前が何を言いにきたのかは大体分かってる」

 

「そうか、なら話は早い。……転校生とか聞いてないんだが?」

 

 よほど不満なのか、朝倉が詰め寄ってくる。

 

「そう言われても、俺だって昨日の放課後に初めて知ったんだっての」

 

「ならホームルームの前に教えることだってできたよなぁ……?」

 

「……登校してすぐに伝えたところで、差は数分だ、誤差だよ誤差。……まあ、黙ってたのはわざとだけどな」

 

 そう言い放つと、朝倉が呆れた表情を浮かべる。

  

「んなこったろうと思ったぜ……。ま、今回だけは美少女転校生に免じて許してやる。次やったら許さんけどな」


「……ん? お前今、風賀美が美少女って認めたか?」

 

 昨日、風賀美の考察をしていた時、俺にとって好みの顔だから美少女に見えた――なんて、言っていたこいつが……?

 

「そりゃ、あそこまでのレベルに出てこられたらな。あんなん、雑誌の表紙飾ってたって誰も文句言わねぇだろ。あのレベルでケチつけてたら、そいつは美醜の感覚が完全に狂ってると思うぜ。もしもそんな奴がいたら、俺は医者に脳を見てもらうように勧める」

 

 美少女転校生一つで医者を勧めようとするな。


「ったく、あのルックスでボクっ娘電波系とか、属性過多にも程があるだろ。……ここまでくるともう痛いを通り越して、もはや長所の域だな」

   

「同感だ。……どうだ、考察を外した罰として、ここらで俺にラーメンでも奢ってみるか?」

   

 すると、朝倉が諦めたようにため息をついた。

 

「わかった。次行った時は奢ってやる」

 

「……マジ?」

  

「今回ばかりはな。……悔しいが、あんなとんでもない奴と、とんでもない出会い方されちゃ俺の負けだ。一杯でも十杯でも奢ってやるから好きにしろ」

 

「……なら、遠慮なく奢ってもらおうか。それと十杯は死ぬ。一杯で十分だ」


 なにせ俺と朝倉がよく行くラーメン屋『にくちゃ〜しゅ〜』はボリュームとコッテリさがウリなのだ。それを十杯も食べれば、俺は人の形を保てなくなってしまうだろう。

 

「それにしても、席が隣で部活も一緒となると、一日中風賀美とベッタリだな」

 

「おい、ベッタリとか言うな」


 意識しちゃうだろうが。

 

「ま、精々他の男子に嫉妬で殺されなようにな」

 

 

 そう言って朝倉はひらひらと手を振りながら去っていく。

 きっと自販機かどこかへ行ったのだろう。

 

「洒落にならねえ……」

 

 思春期高校生の嫉妬や恨みほど恐ろしいものもそうそうないだろうに。

 そんな矢先、背後から声をかけられる。

 

「もっはろー、狭間くん」

 

 振り向くと、立っていたのは予想通り風賀美だった。


「よう。……よくあの質問包囲網から抜け出してこれたな」


 すると風賀美は「むう」と昨日のように頬を膨らませた。


「長太郎くん酷いよ、ボクを置いてっちゃうなんてさ」

 

 置いて行ったというか、押し出されただけなんだけどな。

 

「それは……まあなんだ、すまん。……でも、クラスに馴染む良い機会だったんじゃないのか?」

 

「うーん、正直クラスの人とかどうでもいいかな」

 

「……おいおい」

 

 なるほど、自己紹介の時、やけに素っ気なく感じたのはそれか。


「今も面倒になって『職員室に呼ばれてる』って言って抜け出してきちゃったし」

 

 ……どうやら、風賀美は案外ちゃっかりしているのかもしれない。

 

「ならとりあえず、こうやって教室の前で喋ってちゃ、まずいんじゃないのか」

 

「うん。それもそうだね、じゃあまた、散歩しながら話そ?」

 

 こうして、いつの間にか風賀美と校内を散策することになった俺は、理科室や音楽室などの特別教室の立ち並ぶ、薄暗い特別棟を歩いていた。

 この辺りは人通りが少ないので、教室のような騒ぎにはならないだろう。

  

「なあ、あのもっはろーって挨拶、元ネタ……というか、由来はあるのか?」

 

「もっはろーはボクのオリジナル挨拶だよ? モーニングとハロー。合わせてもっはろー。いいでしょ?」


  

 胸を張って得意げに言う風賀美。

 まさかのオリジナルだった。


 そしてふと気づいた、分厚いブレザー越しにでもハッキリとわかるほどの胸の膨らみに。

 ……これはひょっとしてかなりのサイズが……。

 

「狭間くん?」

 

「うおっ……!」

 

 まじまじと見ていたところに風賀美が不意にこちらを覗き込んでくる。顔が整っているだけにインパクトがあって心臓に悪い。

 

「すまん、あー、何の話だったか……」

 

「もっはろーの話。もう……ちゃんとボクの話聞いてくれないとボク、また泣いちゃうよ?」


 風賀美がいたずらっぽく笑う。

 なんて恐ろしい脅しだ。また昨日のような事になってはたまったもんじゃない。

 昨日は誰も見ていなかったからよかったようなものの、誰かに見られれば、俺が風賀美を泣かせたと濡れ衣を着せられ、たちまち晒し首にされてしまうだろう。


「なんて、冗談だよ?」

 

 くすくすと笑う風賀美についつい見惚れてしまう。


 転入してきてからまだ十分そこらしか経っていないのに、こいつはどれだけ俺を揺さぶってくるんだ……。

 

「そういえば、さっきのメガネの人は友達?」

 

「ああ、奴は朝倉。朝倉一郎だ」

 

「そっか。朝倉くんはいいなぁ……」

 

「……あんな胡散臭いメガネのどこがいいんだ?」

 

 根暗だしオタクだし捻くれてるしオタクだし、いいところなんて一つもないぞ?

 

「だって、狭間くんと今までいっぱい色んなことを話してきたんでしょ?」

 

「……そんな大それたもんじゃない。さっきだって、ラーメン食いに行く話しかしてないしな」    


 流石に本人を前に、風賀美の素性を散々考察してました、なんて言えるはずもなかった。

 

「ボクは狭間くんと、そういうなんでもない話を沢山したいんだ」

 

「そ、そうか……」

 

 鈴木にも負けず劣らずに純粋な笑みに俺の心がざわめく。

 

 今の所、彼女に何か裏があったり、盛大に中二病を拗らせているようにはとても見えなかった。

 ……まあ多少メルヘンな傾向はあるが。

  

「ああ、なんでもない話ならいくらでも話そう。ま、アニメや漫画くらいしか話せることなんてないけどな」

 

「なら、それを聞かせてよ。ボクはキミのこと、もっと知りたいんだ。……そうだ!ボクも一緒にラーメン、食べに行きたいな」


「じゃあ、次行く時、朝倉に風賀美も一緒に行くって伝えとくよ」


「ボクは……狭間くんと二人で行きたいんだけど……だめ、かな?」

 

「……」


 二人で……だと……?

 ……だが、風賀美ほどの美少女に、上目遣いで言われてしまっては、断れるはずもない。


「よしそうしよう。いつでもいいぞ、部活帰りでもいいし、次学校が半日で終わる日でもいい」

 

 朝倉? 先約? あんなメガネのオタク、白髪碧眼美少女に比べたらその辺に落ちてる石ころみたいなもんだ。知ったことではない。

 

「やった。ありがと、狭間くん」

 

 可愛らしく小さくガッツポーズをする風賀美を見て、俺の判断は間違っていなかったことを確信する。

 

「あー……ただ、いつも行ってる店、ニンニクとか油とか結構きついから、別の店にするか? 匂いとか気になるだろ?」

 

 イメージ的に、風賀美はパスタとか好きそうだ。そうだ、サイゼじゃ、サイゼじゃダメか……?

 

「なーんだ、そんなことか」


 風賀美は拍子抜けした様子で言うと、徐に俺から数歩離れ、そして振り返った。


「狭間くん、知ってる?」


 風賀美がくるりと回ると、スカートがふわりと膨らむ。


「―――女の子は、いつだっていい匂いなんだよ?」


 花のような香りが、俺の鼻腔をくすぐった。


 その香りはシャンプーか、柔軟剤か、俺にはよくわからないが――


 その言い分も、あまりにめちゃくちゃで、理屈もなくて、正直イタい台詞だと思ったが――

 

 有無を言わせないほどの魅力を、風賀美は放っていた。


 そして俺は教室に戻るなり、朝倉に言った。

 

「朝倉、ラーメンは当分先だ」

  

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