第6話 ようやく話せる

 結局、新歓公演は五分ほど遅れて始まったものの、劇自体は順調に終わりを迎えることができた。

 

 事件を解決し終え、探偵事務所に戻ったワトソンが、事件の顛末を語り終えると、舞台は幕を閉じる、

 客席から拍手が響き渡る中、無事に新歓を終えることができた安堵感で、一気に疲労が押し寄せてきた。

 もっとも、今回に限っては、疲労の原因はそれだけではないのだが……。

 

 最後の挨拶と、今後の体験入部についての説明が終わると、俺はまっすぐに彼女の方へと向かった。


 あの号泣事件によって、正体不明の美少女から、大分愛嬌のある美少女へと印象が変わったとはいえ、相手が白髪碧眼の美少女であることには変わらない。

 ……要するに俺は緊張しているのだ。


 なんて声を掛けたらいいんだ? と、散々悩んだ末、ひとまず一番手近な話題から振ってみることにした。


「その、なんだ。劇はどうだった?」

 

 すると、直前まで泣きじゃくっていたのが嘘のように彼女は笑顔を浮かべた。

   

「すっごく面白かった! ……明るくて、楽しくて、でもちゃんとミステリー? もあって、夢中で見入っちゃって……なんか、不安とかも、全部吹っ飛んじゃっかたも」


「そうか、そいつはよかった」


 それだけ楽しんでくれたのなら、尚更公演されるのが俺の台本でなくてよかったと思う。

 改めて、台本を書いてくれた樋口先輩に頭が上がらない。

 

「……それじゃあ、歩きながら話そうか」


 俺は彼女に言うと、後ろを振り返る。

 すると、案の定部長を筆頭に、部員たちの「その美少女は誰なんだ、一体どう言う関係だ」とでも言いたげな好奇の視線が突き刺さった。

 こんな状況で落ち着いて話すのは無理ゲーだろう。

 

 俺たちは部室を出ると、昇降口までの道のりをゆっくりと歩きながら話していた。

  

「いてて……」

 

 彼女が不意に、太もものあたりをさする。

 

「ん? どうした?」

  

「ちょっと足、筋肉痛になってて……」

 

「そりゃ、災難だな。何か運動でもしたのか?」

 

「ううん、そう言うわけじゃないよ」


「そうなのか?」


「そうだ狭間くん、そのー……」

  

 彼女は何かを思い出したように、頬を赤く染める。


「さっきのことは……忘れてくれないかな?」

 

「さっきのこと……?」


「その……、さっき狭間くんが電話に出た後に……」

 

「ああ、いきなり泣き出した事か」

 

 勢いで、つい思ったままを口に出してしまう。

 だが、どうやら失言だったようで、彼女はぷくーっと、まるでフグのように頬を膨らませていた。

 

「もう、口に出さなくたっていいじゃないか」

 

 あざとい……。

 だが、それでも尚、様になっているのが、彼女の凄いところだ。

 正直可愛すぎるし、ハッキリ言ってドストライクだった。

 尤も、たとえ王子様なんて呼ばれたとしても、俺が彼女とどうこうなる、なんて可能性はゼロだろうが。


「悪い……。忘れればいいんだな」

 

 と言っても、あれだけインパクトのある出来事、記憶喪失にでもならない限り、中々忘れることできないだろうが……本人には黙っておこう。

 

「なら、いいよ、許してあげる」

 

 ……どうにか許されたらしい。

 俺はついでに、さっきはぐらかされた事を、もう一度尋ねることにした。

 

「なあ、やっぱり俺の名前を知っていた理由が気になるんだが……やっぱり秘密のままか?」

 

「そう、ヒミツ……! って、言いたいところだけど、意外と単純だよ?」

 

 そう言って風賀美は、俺の背後を指差した。

 その先にあったのは、掲示板に貼られた新歓公演のポスターだった。

 

 紙面には、ワトソンとメロスを中心に、デフォルメされた登場キャラクターのイラストが描かれていた。もちろん俺の演じるホームズの姿もある。

 そして、下の方の出演者の欄には『ホームズ 狭間長太郎』と名前が掲載されていた。

 

 ……なるほど、部活紹介で俺がホームズの格好をしているのを見た彼女は、このポスターを見て、俺の名前を知ったわけか。

 

 彼女がやけに意味深な言い方をするから、何か裏があるような気がしてしまったが、タネを明かせばこうも単純だったとは……。

 

「確かに、これを見れば、俺が狭間長太郎だってのは丸わかりだな」


「ごめんね、なんだか驚かせちゃったみたいで」


「別にいい。考えてみりゃ、一方的に名前と顔を知られてるなんて、演劇部じゃよくあることだしな」

 

 実際、役者陣は「あの役やってましたよね」と、見知らぬ生徒から声をかけられることも多いらしい。

 俺にはその経験はまだ無いが、その時はちょっとした有名人にでもなった気分だろうな。

 

「……じゃあ、そろそろ君の名前を聞いてもいいか?」


 大方予想がついていたので、つい尋ねるのを先延ばしにしてしまっていたが、そろそろ答え合わせをしてもいい頃合いだろう。

 

「そっか、まだ名乗ってなかったね。――ボクは『風賀美六花』。これからよろしくね、狭間長太郎くん」

 

 返ってきたのは、予想していた通りの名前だった。

 『風賀美六花』。俺と同じ二年D組の転校生で、席は俺の右隣。

 つまるところ彼女は、空から降ってきた謎の白髪碧眼美少女であると同時に、『隣の席の美少女転校生』であるということだった。

 

「……はは」

 

 思わず、乾いた笑いが漏れた。

 鈴木でさえキャラは濃い方だというのに、これだけのキャラ属性を一挙に揃えた奴など、この現実に限っては、彼女しかいないだろう。

 

 ――間違いない。俺は彼女と、運命の出会いを果たしたのだ。

 

 そんな確信は、じわじわと高揚感となって湧き上がってくる。

 無意識に、口角が上がっていくのがわかった。

 

「どうしたの? ひょっとして、同じクラスとか……!」

 

 よほど顔に出ていたのか、風賀美が問いかけてくる。

 

「ああ…、それに……偶然なことに、席も隣同士だったりする」

 

「……そうなんだ! ……ふふ、ふふふ……!」

 

「どうした……?」 

 

「ううん、ボクのこと助けてくれた狭間くんが同じクラスで、しかも隣の席だなんて、夢見たいだなって。やっぱりこれって、“運命”なんだよ……!」

 

「かもな」

 

 風賀美が同じ、『運命』という言葉を使ったことに、一瞬どきりとした。


 こんな時「俺も、同じようなことを考えてた」なんて素直に言えればいいんだろうが、ラブコメ度数が高すぎて俺には口が裂けても絶対に言えないセリフだ。

 

 そうこうしているうちに、もう昇降口の前に辿り着いてしまう。

 

「ねえ狭間くん。体験入部のとき、どうしてボクが演劇部だけ観にきていたか知ってる?」


 その問いに、俺は目を見開いた。


「やっぱり、そうだったのか……」


「あはは、やっぱり見つかっちゃってたか、恥ずかしいなー」

 

「……まさかあの時は、風賀美が転校生だとは思ってなかったけどな」

 

 なにせ、彼女は一年生の列に並んでいたんだ。転校生だと気づけるわけがない。

 

「確かに、紛らわしかったかもね。でも、他に座れるような場所もなかったし――それに、あの場所が、キミが一番よく見える位置だったから」

 

「俺が……?」 

 

「うん――だってボクは今日、キミのことだけを見に、学校に来たんだから」


 俺の、事を……?


 そして俺はようやく気づいた。

 ――そもそも今日、彼女は学校を休んでいたじゃないか、と。

 

「本当は朝から登校するつもりだったんだけど、目を覚ました時にはもうお昼過ぎでさ。でも、演劇部の公演があるって聞いてたからもしかしたらキミに会えるかもと思って来てみたんだ」


「そうだったのか……」


「うん。そしたらちょうど部活紹介がやってて、一足早く会えて嬉しかったなー! ……まあ、他の部活には興味なかったからすぐ退室しちゃったんだけどね」


 あっけらかんと、風賀美が言う。

 なんつー自由人だ……。ああいや、気にすべきはそこじゃない。

 

「そうまでして、俺になんぞに会いたい理由なんて、あるのか……?」 


 俺はつい自嘲気味に、尋ねてしまう。

 そして彼女は、また、なんだか意味深に答えるのだった。

 

「あるよ、キミに会いたい理由。……だって狭間くんは、ボクの王子様かもしれないから」

 

 王子様。彼女と出会った時、言い残した言葉だ。


 ――朝倉の考察は、外れている部分もあるが、当たっている部分もちゃんとある。

 彼女はきっと、自分を救ってくれた俺に運命を感じ、それを『王子様』という言葉で表しているのだろう。


 だが、こんなとびきりの美少女の期待に応えるなんて、俺には荷が重すぎる。

 

「期待はしないほうがいいぞ」


「ボクは、そうは思わないよ」

 

 風賀美が俺を真っ直ぐに見つめる。

 ……彼女は は一体、俺にどんな振る舞いを求めているのだろう。

 例えば、もしも俺に少女漫画に出てくるようなイケメンを演じてほしいと言うのなら、それは無理な話だ。

 なにせ、俺にはヒロインをまともにお姫様抱っこできるほどの筋力もなければ、緊張してる女子に気の利いた言葉一つかけてやる事もできないからな。

 

「それじゃ、本当はもっと話してたいけど、これ以上は迷惑になっちゃうかもだし、今日はもう帰ろうかな」

 

「じゃあ、また明日教室で、だな」 

 

「うん。それと、部室でも」

 

「部室?」

 

 俺はなんだが、この先更なる波乱が待ち受けているような気がしてならなかった。

 

「うん。実はもう、入部届出したから。これで、放課後も一緒だね、狭間くん」

 

 彼女はそう言って、今日一番の、とびっきりの笑顔を浮かべた。

 

 そして俺は、その笑顔に心底見惚れてしまった。


 なんだかこのまま、本当に美少女とのラブコメが始まってしまうような気すらしていた。

 

 決して動くことのなかった俺の青春が、ついに始まる――。

 

「……なんてな」

 

 浮かれすぎだアホ。

 どうせすぐに俺に興味をなくすか、「実は罰ゲームで言い寄ってましたー」なんてネタバラシがあるに決まってる。

 変な期待は絶対にするんじゃないぞ、狭間長太郎。

 

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