第5話 運命の再会

 俺は弁当を食べ終えると、衣装を持ってステージの向かって右側の舞台袖にある更衣室へと入る。

 

 着替えを終えると、鏡には紺色のトレンチコート姿の、いかにも探偵といった風貌の中肉中背の男が映っていた。

 

 今回の新歓公演で行う劇は、久城高校演劇部に受け継がれる伝統シリーズ『御伽探偵ホームズシリーズ』の新作。

 『御伽探偵ホームズ 走れメロス事件』だ。

 

 シャーロック・ホームズとその助手ワトソンが、童話や御伽話の世界に赴き、事件を解決していくという探偵ものである。

 そして、俺の入部のきっかけとなったのも、このシリーズだった。


 ……思わず走れメロスはもはや御伽話じゃないだろ、とツッコミたくなったが、こればっかりは文学作品好きの樋口先輩の趣味である。

 

 そして服装からわかるとおり、今回の劇で俺はホームズ役だった。

 ……と言っても、主役ではないが。

 

 今回の『御伽探偵ホームズ 〜走れメロス事件〜』では、助手たるワトソン氏が主役なのである。

 あろうことかホームズは今回、冒頭でセリヌンティウスと共に人質にされてしまい、最終盤まで出番がないのだ。

 

 せっかく名の知れた役にも関わらず脇役並の出番とは、いかにも中途半端な俺らしい。

 自重気味に笑うと、俺は仕上げに白髪のウィッグを被り、さらにその上にハンチング帽を乗せた。


 どういうわけか知らないが、久城高校演劇部のホームズは代々白髪なのだ。

 まあ、俺自身白髪には憧れがなかったと言えば嘘になるので、満更でもないというのが本音はある。

 五条悟とか一方通行アクセラレータとか、白髪キャラって大概かっこいいんだよな。


 だが、そんな白髪も、今ではすっかり例の彼女の方が先に思い浮かぶようになってしまった。 

 

 ぼんやりと考えながら更衣室を出ると、丁度衣装を手に抱えた鈴木がこちらに向かってきていた。

 

「着替え、次いいですか?」


「ああ、悪い」

 

 鈴木は、てちてちと小刻みに歩いて、さっきまで俺が入っていた更衣室へと入っていった。

 

 この更衣室。恐ろしいことに、男女兼用であり、その上、鍵もついていないのだ。

 もちろん、事故が起こらないよう、ドアにかかったプレートが『空室』の表示になっていても必ずドアをノックするという決まりはあるものの、それでも年に一度くらいは起きてしまうのだ……不幸な事故が。


 ――あれは去年の九月頃、秋の発表会を目前にして、部員の誰もが疲れ切っていた日のことだ。


 俺も疲れていたのだろう。あろうことか、更衣室のプレートを『使用中』の表記にすることなく着替えを始めてしまっていた。

 そして衣装を脱ぎ切り、ちょうどパンツ一丁になってその瞬間。背後から聞こえるキィ……とドアの開く音が聞こえてきたのだ。

 振り向くとそこには疲労からか、死んだ目をした南部長の姿があった。

 

『あっ……えー……キャーエッチー(棒)……』

 

『……ろす』

 

『……はい?』

 

『……殺す‼︎』


 あの時は本当に殺されるかと思った……。 ロクな思い出じゃ無いな。 

 幸い、南部長が男の裸を見慣れていたため――訂正、男兄弟の裸を見慣れていたため、お互い気をつけましょうの一言だけで済んだが、これで男子に免疫のない女子―――例えば鈴木だったとしたら、もれなく盛大な悲鳴と共に大惨事へと発展していただろう。


 もっと言えば、立場が逆で、女子の着替え中に俺が入ってしまったら……考えるだけでゾッとする。


 少年漫画やラノベに置いては、もはやなくてはならない存在であるラッキースケベ。

 側から見る分には大いに歓迎だが、現実で起きればたまったものではない。

 うん、やっぱ現実こっちはクソだな。


 俺は背筋を凍らせたまま、この後の流れを再確認していると、鈴木が着替えを終えて戻ってきた。


「お、お待たせしましたー!」


 鈴木の衣装は中世の町娘を思わせるもので、パステルグリーンのシャツの上から、茶色いエプロンドレスを身につけたものだ。

 腰の後ろあたりで見え隠れする大きなリボンが可愛らしい。


「は、狭間くん。ちゃんと着れてますか……? や、やっぱり私なんかが衣装なんて……変じゃないでしょうか……?」

  

 鈴木は俺と違い、ウィッグはつけておらず、衣装も茶色が主体で、あまり派手さはない。だが、それがかえって、安っぽさを感じさせない印象で、よく似合っていた。


「毎回言うが、変じゃないぞ。これだけ見てくれがよけりゃ、男子も女子もイチコロで、新入部員ザックザクだ」


「か、揶揄わないでください……!」

 

 鈴木は腕をぶんぶんと上下に振って抗議してくる。ぷんすこ、って感じだ。

 

 実際、鈴木は愛嬌があって男女問わず好印象だと思うが、そんなことを本人に言ったところで、「わ、私が子供っぽいってことですか……!」と、言い掛かりのように怒られてしまうのが関の山だろう。


 いや、むしろ自己評価の低い鈴木のことだ「わ、私目当てで新入生が……? 何言ってるんですか狭間くん。そんなことあるわけないじゃないですか。怒りますよ?」と、言われるかもしれない。

 ……結局最後は怒られるのかよ。

 

 ◇

 

 部活紹介の会場である体育館に向かうと、すでに前方には新入生が集まっており、体育館の両端には各部活が出番順に並んでいた。

 ユニフォームに道着、和服なんかがずらりと一堂に会す様は中々にカオス。まるで部活のスマブラだ。

 

 俺たちも所定の場所に並び、壁にもたれかかるようにして部活紹介が始まるのを待つ。

 それまでの間、俺は一年生の中から、白髪の頭を探していた。

 A組からF組まで順に並んだ列を見渡していく。

 

 だが、ざっと見渡す限り、生徒の中に白髪は見つからない。

 強いて言うなら、体育館の出入り口付近に立つ、国語教師の白髪くらいだ。

  

 そうこうしていると、不意に、隣に座った鈴木が手をグーパーと閉じたり開いたりしているのが視界の端に映った。

 見れば、その手は緊張で震えている。

 

 初めて人前に立つこととなる鈴木の境遇を考えれば無理もない。部活紹介は三分に満たない短い時間ではあるが、それでも、多くの人間の視線を浴びながら何かをするというのは、鈴木にとっては相当なプレッシャーだろう。


 こういう時、何か気の利いたことでも言えればいいのだが、生憎、俺にはそんな気の利いたスキルは備わっていない。

 さて、どうしたもんか……。

 

 とはいえ、気づいていながら全く何もしないというのは、一年間を共にしてきた部活仲間に対してあまりにも薄情だ。

 とりあえず、どうにかこうにか励ましてみるか。


「……えーと、あれだ、大丈夫だ。お前ならできるぞ、うん」

 

 ……あれだな、多分何にも言わない方がマシだったな。


「そう……でしょうか……」


 案の定鈴木は、不安げな表情でこちらを見つめてくる。

 ……さて、どうしたもんか。とりあえず俺に真っ当な励ましは無理だ。

 考えた末、俺は開き直ることにした。

 

「なら、間違えていいぞ」


「え?」


 予想外の返しだったのか、鈴木が目を丸くして驚いた。


「俺はアドリブ力にだけは定評があるからな。もしセリフを忘れたり言い間違えたりしても、いい感じにフォローしてやるよ。だから間違えていい」


 演技については……まあ大根に毛が生えたくらいのものだが、咄嗟の思考力が俺にはそこそこ備わっているようで、俺は入部以来、途中でセリフを忘れてしまった部員を、ものの見事にフォローしてきたのだ。

 

「たしかに、狭間くんはそうでしたね」

 

 鈴木は胸に手を当てていた。

 

「どうした?」

 

「……不思議です。もし間違えても、狭間くんがフォローしてくれるって考えたら、なんだか大丈夫な気がしてきました」

 

 強張っていた鈴木の口元が、ふと緩む。

 その表情に、さきほどまでの不安の色は見受けられなかった。

 

「そいつはよかった」


「はいっ!」


 タイミングよく、司会進行を務める生徒による、演劇部の登壇を求めるアナウンスが聞こえてくる。

 

「じゃ、行きますか」

 

 新入生が拍手で出迎えてくれる中、俺は練習通り、堂々……というか、やたらに偉そうな足取りでステージに出た。

   

 そして息を吸い込み第一声。


『やあ新入生諸君! 今日は諸君らが、最高の青春を送れる部活を紹介させてもらう!』

 

 偉そうな口調で新入生に挨拶をする。

 こういうマンガに出てくるカリスマ生徒会長みたいな挨拶、一回やってみたかったんだよな。

 もちろん、これも台本通りである。


『ま、真面目にやってください! 新入生の方々に失礼ですよ! す、すみませんみなさん。改めまして、私たち、演劇部です!』

 

 鈴木が続いてセリフを言う。順調な滑り出しだ。

 そして、やたら偉そうな探偵と小動物系町娘による部活紹介は、そのまま問題なく、練習通りに終える事ができた。

  

 鈴木の締めのセリフを合図に、俺たちは舞台から退場しようとする。

 

 ――その時、視界にふと、一際目立つ白髪が見えた。

 

 中央の列の最後尾に、確かに彼女はいた。だが、間違いなく、出番を待っている時にはいなかった筈だ。

 だとすれば彼女は一体いつの間に……?


 疑問で埋め尽くされた頭のまま、ステージから降り、待機場所に戻る。

 

「狭間くん、最後、ボーッとしてましたけど大丈夫ですか……?」

 

「ああ、大丈夫だ。……さっき、例の白髪の女子を見つけてな。ほら、中央列の後ろの方に……」

 

 さっき彼女が座っていた、列の最後尾に目を向けながら言いかけ、止まる。

 

「――いない……?」

 

 さっきまでいたはずの彼女は、そこにはいなかった。

 慌てて体育館中を見渡すが、それでも彼女は見つからない。

 

「いなくなっちゃったんですか?」


「……ああ、どうもそうらしい」


「……途中でいなくなるなんてちょっと不思議ですね。部活紹介もまだ途中ですし」

 

 鈴木の言う通り、部活紹介はまだ中盤で、半分ほどの部活がいまだ出番を控えている状況だった。

 

「ああ。それにそもそも、俺たちが入ってきた時にはまだ、彼女はいなかった」

 

 俺がそう言うと、鈴木は何かを考え、大きく首を傾げていた。

 

「……変ですね。それだと、その方が体育館にいたのは、“演劇部の部活紹介の間だけ”ってことになりませんか……?」

 

 確かにそうだ。時間にして五分間程度だろうか。

 

「それほど演劇部の紹介が見たかったのでしょうか? あ、だとしたらきっと、部員になってくれるかもですね!」

 

 鈴木がぽやんとした顔で言う。

 

「それはまあ……そうかもしれないが」

 

 白髪の彼女が、朝倉の言うように夢見がちな中二病だったとすれば、その可能性は十分あり得るだろう。

 きっと、ウィッグやドレス、武器や防具など、様々な中二心をくすぐるアイテムが詰まった衣装部屋を見せれば卒倒するに違いない。

 

「そうです狭間くん、この後の新歓公演の呼び込みの際、その方がいたら最優先で声を掛けてきてはどうでしょうか!」


「ああ、元よりそのつもりだ」


 ◇


 部活紹介を終えた俺と鈴木は新歓公演の宣伝のため、昇降口の近くに待ち伏せして一年生のホームルームが終わるのを待っていた。

 

 昇降口は全ての生徒が下校時に必ず経由する必要がある。

 だから、ここにいれば必ず彼女と再開することができると踏んだのだ。


 待っていると、やがて上の階から赤色の校章をつけた新入生たちがぞろぞろと降りて来た。

 俺はすかさず『やあ諸君ら!』と偉そうに声を掛けて呼び込みをし、続くように隣の鈴木も声を張り上げていた。


『え、演劇部! 新入生歓迎公演がはじまります! 場所は四階一番奥! 視聴覚室でやります! え、えと……面白いです!』

 

 自分で面白いって言っちゃうのかよ……。

 そんな鈴木の天然発言もあってか、結果的にはそこそこの人数が部室の方へと向かってくれた。

 さらに、四階は四階で、部室前で呼び込みをしているはずなので、今頃会場はほぼ満員だろう。


 ――それから、頃合いを見て鈴木には先に帰ってもらった。

 現在は俺一人で呼び込みを行なっている状態だ。


 スマホを取り出し、時間を確認すると、もうまもなく上演時間となるところだった。

 そろそろ俺も帰らなければ。

 

 ……だが、一つだけ気がかりがあった。

 そう。結局、白髪の彼女の姿を見ていないのだ。

 

 下校の際には必ず昇降口を通る以上、見逃すということはないはずだ。

 だとすれば、他の部活の見学に行ってしまったのか、それとも、まだどこかの教室に残っているのだろうか。

 なんにせよ、今日のところはタイムリミットだ。一度引くべきだろう。

 

 そう思い、階段に足をかけたその時だった。


 ――たん、たん、と小気味よく、誰かが降りてくる音が聞こえてきた。


 まだ降りてくる一年がいたのか……?

 

 俺は、この足音の主だけ確認していこうと、階段の麓で待つことにした。


 足音は大きくなっていき、やがて足音の主の姿が徐々に露わになる。

 

 膝の上まで伸びた黒いソックスにチェック柄のスカートが見えた。

 足音の主はこの久城高校の制服に身を包んだ女子生徒のようだった。

 

 濃い紺色のブレザーに、ホワイトのストライプの入った真紅のリボン。

 まだノリが効いている、真新しい制服だった。

 

 左襟についた校章が目に入る。

 その色は緑。それはつまり、彼女は二年生であることを示していた。

 

 彼女は、二年生にも関わらず真新しい制服を着ている。

 その矛盾が示すところは一つ。

 

 ついに彼女の首から上の部分が顕になる。

 首の中ほどまで伸びた純白の髪が、窓から漏れる光を受けて、ダイヤモンドダストのように煌めいていた。

 

 そんな特徴を持った生徒は、この久城高校に一人しかいない。――彼女だ。


 ――昨日の部活前、俺が受けとめた少女。

 

 ――朝倉が、こじらせ中二病と評した彼女。

 

 そして俺は、そんな朝倉の導き出した、悲しいくらいに現実的な考察に、納得しかけていた筈だった。

 

 だが、こうして再度、彼女を目の前にして理解する。


 ――朝倉の考察は、全くもって、完璧ではなかった。


 朝倉は彼女を一年生と言ったが、彼女は転校生だった。

 なにより、彼女の神秘的な雰囲気はやはり本物で、絶対にただの中二病電波女子でないと、俺の直感が告げていた。

 

 普段から屁理屈ばかりで、占いもオカルトも、面白がることはあっても全く信じてはいないはずだった。

 だがなぜだろう。俺はこの直感を無性に信じてみたくなった。

 

 彼女も俺の存在に気づいたようで、視線が交差する。

 彼女の碧い瞳を前に俺は、ピクリとも動くことができなかった。

 まるで、その場に磔にでもされたような気分だった。

 

 彼女が、ゆっくりと階段を降りてくる。

 

 一段降りるごとに、彼女との距離が近づいていく。

 

 そして彼女は、階段を降り切ると、微笑みながらついにその喉を震わせた。

 

「やあ、昨日ぶりだね」


「あ、ああ……」

 

 彼女の放つ存在感に圧倒されながらも、声を絞り出して、なんとか頷く。


「昨日はボクの事、“救ってくれて”ありがとう」


 彼女がまた一歩、距離を縮めてくる。

 気づけば目と鼻の先に、彼女の碧い瞳があった。

 

 ち、近い……!

 

 同時に、甘ったるく魅力的な香りが鼻腔をつく。

 

 一歩離れようとすると、彼女の両手が、俺の両手を取った。

 瞬間、バクン、と。心臓がかつてないほどの力強さで脈打つ。

 

 なんだか、頭がどうにかなりそうだった。

 

「痛かったよね……。怪我、してない……?」

 

 それは、宝物にでも触れるかのような、慈愛の表情だった。

 

「う、腕のことなら、多少筋肉痛になったくらいで大丈夫だ。それより、そっちこそ大丈夫なのか?」

 

 本当は今だって死ぬほど全身が痛いが、これ以上彼女に触れられていては心臓に悪い。

 俺は、さりげなく彼女の手を振り解きながら尋ねる。

 

「うん、ボクは大丈夫。キミが、狭間くんが、受け止めてくれたから……だからボク、キミに恩返しがしたい」

 

「恩返し……?」

 

 どうしてそんな大袈裟な言い方を……。なんて思っていると、彼女は真っ直ぐこちらを見て、言い放った。

   

「―――狭間くんのためならボク、なんでもするよ」

 

「冗談なら言ってくれないと本気にするぞ」と言ってやろうと思ったが、その言葉には、一切の誇張も、冗談も感じられず、本当に、俺のためになんでもしようという、強い意志を感じた。

 この世に、美少女からのなんでもするという申し出よりも魅力的な提案はないだろう。

 

 ――だが、それをも上回る違和感が、俺の頭をよぎっていた。

 

 なんだ? 今、俺は何に違和感を――

 

「……? どうしたの? “狭間くん”」

 

 そうか……。

 彼女は俺を“狭間くん”と呼んだ。

 昨日まで面識は無く、言葉を交わすのは今が初めてだと言うのにだ。

 そして当然、俺は彼女に名乗っていない。

 

 ――どうして俺の名前を知っている?

 

 まさか、過去の知り合いというわけではないだろう。

 彼女のような美少女の知り合いがいたら、例え幼少だったとしても、俺は絶対に忘れない自信がある。


「……なあ、どこで、俺の名前を知ったんだ……?」


 尋ねると、彼女は人差し指を口元に当て、まるで小悪魔のように微笑んで言った。

 

「ヒミツ♪」


「なっ……」

 

 予想外な返しに、俺は返す言葉を失った。

 きっと今俺は、世にも間抜けな表情をしている事だろう。 

 

 そのやけに意味深な返答に、俺は更に彼女のことがわからなくなった。

 堂々と名前を呼んでおきながら、どうして名前を知っている理由を隠そうとするのか……? いや、そもそも――


 そんな思考を中断させたのは、ポケットのスマホの振動だった。

 取り出して画面を見ると、南部長から電話が掛かってきていた。

 

 ふと画面に表示された時刻を見ると、開演時刻である、十六時を過ぎ、十六時〇二分を示していた。

 ……嫌な予感がする。

 俺はしぶしぶ応答ボタンを押した。

 

『おい狭間! もう舞台始まるぞ!』

 

 舞台裏にいるからなのか、小声なのに大声風に聞こえる、妙に器用な話し方で部長が問い詰めてくる。

 

「すんません、すぐ行きます」

 

 俺は手短に伝え通話を切った。


 ……内容、案の定だったな。 


 本当は、謎めいた彼女との会話を続けたいところだが、ここですっぽかして、部員たちの練習の成果を台無しにするわけにはいかないな。

 

「……悪い、俺はこのあとすぐ劇に出なくちゃならん。だから話はまた後で――」


 言いかけたところで、彼女の瞳に涙が溜まっているのに気がついた。

 

「うぅ……」

 

「お、おい……?」

 

「……ご、ごめん、ボク……うぅ……いきなり迷惑だったよね……グスン、嫌だった……よね……ヒック……」


 彼女はあっという間に大粒の涙を流しはじめ、その端正な顔はみるみるうちに涙でぐずぐずになっていき、ついにはずずっと、鼻を啜る音まで聞こえてくる始末だ。

 

 おい……おいおいおい……!

 まるで訳がわからんぞ……⁉︎ なんだ⁉︎ 一体何が彼女が泣き出すきっかけになったんだ……⁉︎

 

 そりゃあ、確かに会話を中断するような形にはなったが、それだけでこうまで取り乱すことはないだろ……⁉︎

 

「うわああああああん‼︎」

 

 本格的に泣き出してしまった彼女を前に、俺は頭を抱えていた。流石にこの状況の彼女をこのまま放置して行くわけにもいかない。


「お、おい……! 聞く! 話なら後でいくらでも聞いてやるから一旦落ち着いてくれ……! 驚きはしたが、別に迷惑だなんて思ってないし、嫌でもなんでもない。むしろ、君みたいな白髪碧眼ボクっ娘美少女と会話できるなんご褒美でしかない! 金を払ってでもこのままずっと話してたいくらいだ! だからとりあえず、一旦、一旦落ち着かないか……?」


 なんとか彼女をなだめようと、思いついた言葉を次から次へと反射で繋げていく。

 明らかに言うべきではないことまで言ったような気もしたが、そんな奮闘にもどうやら効果はあったらしく、彼女の鳴き声がぴたりと止んだ。

 

「ほんと……? ボクのこと、嫌いになってない……?」

 

 手で涙を拭いながら彼女が見つめてくる。

 

「ないない……こんなんで嫌うわけないから……だから、まあ、とりあえず劇の会場まで、一緒に行かないか?」


「……うんっ!」


 彼女は、心底安心したように微笑んだ。

 泣き腫らして赤みがかった瞳も相まって、その表情はまるで、ようやく親を見つけた迷子の子供のようにも見えた。

 


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