第3話 あの美少女は一体?

 謎の美少女との出会いから一夜が明け、迎えた新歓公演の本番当日。

 

 案の定、白髪の彼女を受け止めた代償として、俺の手足は筋肉痛になっており、駅までの自転車での道のりは地獄のようだった。


 まあそれも、美少女の命を救った結果だと思えば、この痛みも立派な勲章か……。

 ……というか、そうとでも思い込まなければ、痛すぎてやってられないというのが本音だけどな。

 

 さあ本番頑張るぞ、と気合を入れて登校してきたのはいいものの。新歓公演は放課後だ。

 本番前には体育館で部活紹介を控えていたりもするが、それも五、六限目。

 つまり、午前中は普段通りの授業なのである、救いはないのだ。

  

 現在は朝のホームルーム前。

 俺はいつも通り、廊下側から二番目、最前列に位置する自分の席に座ると、後ろから声をかけられた。

 

 このクラスで朝っぱらからわざわざ俺に話しかけてくるような物好きは一人しかいない。


「どうした朝倉」

 

「どうしたもこうしたも……昨日送ってきたLINE、ありゃなんなんだ?」

 

 いつも通り眉を顰めた表情をしたこいつは朝倉あさくら一郎いちろう

 のらりくらりとした雰囲気に適当な話し方。

 それとブラウンがかったレンズのメガネが様になる、胡散臭いを体現したかのような男だ。

 いわゆるオタク仲間である。

 類は友を呼ぶという言葉があるように、こいつも大概面倒な性格で、そして漏れなくモテない。

 

「LINE?」 

  

 俺はスマホを取り出して昨日朝倉に送りつけたメッセージを確認すると、そこには何の脈絡もなく送られた『ボクっ娘美少女が空から降ってきて意味深な言動をとった後消失したんだが』の文字列が。

 

 そういえば昨日のあの後、俺は興奮のままに朝倉にメッセージを送ったんだったな。

  

 自分で送っておいてアレだが、意味の分からん文章だ。いきなりこんな文章を送られてきたら、問い詰めたくなるのも分かる。

 もし逆の立場たったとしても、俺は迷わず朝倉を問い詰めるだろう。

 

 ……それにしても、この突飛なメッセージの内容が、ほぼ全て事実なのだから、改めて驚きだ。

 

「ああ、実は昨日――」

  

 朝倉に説明しかけるが、俺は言い淀んだ。

 俺自身でさえ昨日の出来事に理解が追いついていないんだ。

 

 それを、日夜インターネットに入り浸り、人の足を掬う事と重箱の隅をつつくことが生きがいのようなこの男に説明しても、嘘だとバッサリ切り捨てるだろう。


 言い淀んでいると、それを怪訝に思ったのか、「どうした?」と朝倉は尋ねてきた。

 

「……このメッセージの件だが、どう説明しても作り話にしか聞こえないんで、どうしたもんかと思ってな。……正直、俺だって未だに混乱してるくらいだ」

  

 すると、朝倉はやはりというべきか、更に眉を顰めた。

   

「何が言いたいのかよく分からんが、当人が信じきれてないような話を聞かされても、確かに俺は信じないだろうなぁ」

  

 疑い深いという自覚がある辺り、潔いんだか厄介なんだか……。

 すると朝倉は少々意外なことを言い出した。


「とは言え、話を聞かない事には何も始まらないのも、また事実だ


「信じないんじゃなかったのか?」

 

「ああ、もちろん信じない。だが、それはそれとして、何があってあんなLINEを送るに至ったのかは、正直気になるところだ。まさか、本当に空から美少女が降ってくるはずもないしな」

 

 朝倉は「とりあえず聞くだけ聞いてやる」と、俺の右隣の席に座った。

 

「ちなみにここ、誰の席だ?」

 

「さあ? 昨日の始業式もこの席の奴、欠席だったからな」


「そうか。ま、もし登校してきたら譲ればいいだろう。さ、早く話せ」


「はいはい」


 そして俺は朝倉に昨日のことを話した。

 ベランダで彼方を見つめる白髪碧眼の美少女を見た事。

 彼女を受け止めたこと。

 そして、「キミがボクの王子様?」と言い残して、その場からいきなり消えた事を。

 

「――妄想乙」


 俺の話を聞き終えた朝倉がばっさりと言い切る。

 予想通り、話の内容を微塵も信じていないらしい。


「さすが演劇部の脚本家サマだ。よくそんな突拍子もない話を、さも本当の出来事みたいに語れるな」

 

 朝倉が呆れた様子で語る。だが、そんな反応も予想の範疇だった。

 この朝倉との会話において、“信じてもらう”という事は、さして重要なことではない。

  

「別に信じなくていい。ハナから、信じてもらえるとも思ってなかったからな。なら、作り話だと分かった上で、お前はこの話をどう思った……?」


 そう。今この会話において重要なのは、信じるにせよ信じないにせよ、朝倉に考察をさせることだった。

 

 俺は、こと物語の考察においては、朝倉にそれなりの信頼を寄せている。

 こいつはアニメや漫画、小説に関する謎についての考察を、高確率で的中させる男なのだ。

 

 参考までに、こいつは『シン・エヴァンゲリオン』のラストシーンの予想を、ほぼ完璧に的中させていた。

 

 俺が考察を頼み込むと、朝倉はどういうわけか、目を丸くしていた。

 

「……お前がそこまで食い下がるのは、中々珍しいな」


「そうか?」

 

「……まあいい、多少真面目に考える事にしよう。……言っておくが、お前の話を信じたわけじゃないからな」

 

「それでも、多少真面目に考えてくれるならそれで十分だ」

 

「ったく、気取りやがって。ちっとばかし考えてやるから、大人しく本でも読んでろ」

 

 そう言って朝倉は目を瞑ると、眉間を揉みしだく。

 

 どうも、この体勢だと思考が捗る、とのことらしい。わざわざ推理用のポーズがあるなんて、格好良くてご苦労なこった。

 

 そして朝倉は、三十秒ほどしてから、目を開いた。

 

「……まあ、こんなところか」

 

「わかったのか……?」

 

「まあな。……で、結局俺は何を答えればいいんだ? その白髪の女子があんなところにいた理由か? 王子様がどうとかいうセリフの意味か? いきなり消えた理由か?」


「全部だ」


「……だろうと思ったよ。ま、どちらにせよ、彼女の正体から話すことになるんだろうが」

  

 朝倉は、大した事でもないという風に、淡々と答えた。


「実際とは異なる部分も多少はあるだろうが……概ね合ってると思うぞ。……ちなみにだが、お前こそこの件をどう考えてる?」

 

「――運命」


 気づけば俺の口からはそんな言葉が溢れていた。

 

「運命だぁ?」


「……ああ、運命だ」

 

 俺は噛み締めるように、その言葉を再び口にした。

 

 ――そうだ、あんな出会いを運命と呼ばずして、何と呼ぶか。

 

「……なるほど、なら今からする俺の話は、お前にとっちゃ期待はずれだろうさ」

 

「そりゃ一体、どう言うことだ」

 

「あー、前説も面倒だ、結論から述べよう。――おそらく、その白髪女子の正体は、ミステリアスでもなんでもない、“単なるこじらせ中二病電波女”だ」

 

「………………はぁ?」


 いきなり何を言ってるんだこいつは。

 というか、『こじらせ中二病電波女』って……。

 とりあえず、もっとマシな言葉は選べなかったのかよ。

 

 言葉の意味をそのままに受け取るのなら、白髪の彼女はアニメやマンガに強く影響を受けるあまり、現実においても物語のキャラクターのような振る舞い――いわゆる中二病や電波のような言動をしてしまう超イタい奴、という事になるのだろうが……。

 

 だがそれは、俺が昨日彼女に抱いたミステリアスな印象とは真反対のものだ。


「いや……朝倉、それは違うだろ。彼女は痛々しさとか、そんなんじゃなくて……どう見たってお前の言うような奴には見えなかったぞ」

 

「そりゃ、あくまでお前の主観だろ?」

 

「そりゃまあ、そうだが……」

 

「ならもしかすると、彼女がお前好みの見た目をしていた上、人のいない学校という特殊なシチュエーションだったからこそ、ミステリアスだと感じただけじゃねぇのか?」

 

「いや、そんな筈は……」

 

 間髪入れずに朝倉は話し続ける。

         

「物事ってのは見るやつ次第で、捉え方が変わるもんだ。だから、直接その場に居合わせたらしいお前と、話を聞いただけの俺じゃ、当然意見は異なる。……お前もそれがわかってるからこそ。こうして俺に意見を求めてるんだろ?」

 

「…………」

 

「図星って感じだな」

 

 朝倉に言い当てられるのは癪だが、確かに俺は、自分が目にしたものが信じられなかったからこそ、今こうして、朝倉と話をしている。

 なら、朝倉の話を最後まで聞かないというのは、筋違いだろう。

  

「……そうだな。お前が彼女を『拗らせ中二病電波女』だって言い張る理由、最後まで聴かせてくれ」

  

 朝倉は肩をすくめると、再び話始めた。  

 

「まず前提だが、状況からみて彼女は新入生だろう。ここはいいな?」

 

「ああ。俺もそう思う」

 

 なにせ、入学式直後の学校で出会った上、俺は今まで彼女を見たことがなかったのだ。新入生と見て間違いないだろう。

 

「じゃあ、そいつの白髪碧眼が、染髪せんぱつ…とカラコンによるもの……ってのは?」

 

「……!」

 

 そんなこと、考えもしなかったことに気づく。

 

「その様子じゃ、その可能性すら頭からすっぽ抜けてたみたいだな。……ったく、美少女だかミステリアスだか知らないが、お前は雰囲気に飲まれすぎだ。日本人が天然の白髪碧眼なわけねぇだろ」

 

 それはそうだ――白髪も碧眼も生まれ持ったものであるはずがない。

 強いて言えば、北欧辺りとのハーフだというのであれば、そんな可能性もあるのかも知れないが、彼女の顔立ちは、どう見ても慣れ親しんだ日本人のそれだった。

 

「大方、ウチに入学するにあたって垢抜けたかったんだろうな。高校デビューってやつだ」


「ちょっと待て、高校デビューで白髪碧眼はないだろ。やるとしても精々茶色とか……」


「そう。……だが、そこで敢えてここまで派手な色にする理由はなぜか」


 ここまできて、俺はようやく朝倉の言いたいことが見えてきた。

 朝倉はドヤ顔で指を二本立てた。


「考えられる理由は二つ。目立ちたがりか」


「……こじらせ中二病ってわけか」

 

 俺は、半ば項垂れるように答える。

 

「正解だ。自分の命が危機にさらされた直後にもかかわらず、咄嗟に「キミがボクの王子様?」なんてセリフが出てくるような夢見がちな奴が、拗らせてないわけないだろ」

   

「ああ、考えてみればそりゃそうだ……」


「そしてそいつは、入学式にも関わらずド派手な格好をしてくる、『中二病の行動派』でもあるわけだ。この二つの要素さえあれば、無意味にベランダで黄昏るのに、説明はいらないな?」


「……ああ。無意味に黄昏れるのは、こじらせ人間の専売特許だからな。……そういや俺も中学時代、河川敷で読めもしない小難しい本を持ちながら、夕日を無意味に眺めた記憶があるよ」


「まあそんなわけで、これが俺の意見だ。……といっても、彼女がベランダから足を滑らせた原因なんかまでは、さすがに分からないけどな。だから、ベランダから落ちてきた女の子の命を見事救った、なんて運命だけは認めてやってもいいぜ? 人命救助はいい事だ」

 

「そりゃどうも」

 

 妙にイラッとくる言い草だったので、俺は最大限に無気力な反応で返す。

   

 俺の中の感情的な部分は、彼女がただの拗らせ中二病であることに、全くもって納得していなかった。

 ……だがそれとは別に「現実なんて結局はそんなものだ」と、朝倉の説明を受け入れている俺もまた、確かにいる。

 

 そんな悶々とした思考の中で俺はまた一つ、疑問を絞りだした。

 

「……なあ朝倉よ」 

 

「んあ? 今度はなんだ?」

 

「なんでまた、彼女は俺をなんぞを見て“王子様”だなんて言ったんだ?」

 

 ボサボサの髪にやる気のない死んだ表情。……どう考えたって俺は王子様なんて風貌じゃない。

 第一、俺はこの十五年間、一度たりとも異性から好意を寄せられたことなどないというのに。

 

 すると、朝倉がバツの悪そうな様子で口を開く。

 そして俺は、続く言葉に思わず耳を疑った。


「お前、言動がオタク丸出しだし、大抵死に損ないみたいな表情してるからモテないが……実は、顔の造りだけに関しては、ギリギリそこそこのイケメンなんだよ」

 

「…………マジ?」

 

 …………マジ?

 

「認めたくないがな……。それでだ、高校生になっても王子様に憧れてるようなメルヘン女子が、パッと見クール系イケメンにお姫様抱っこで命を助けられたんだぜ? そりゃあ咄嗟に王子様くらい言うだろうさ」

 

「それは……全くないとは言い切れない気がするな。にしても、知らんやつを勢いでいきなり王子様呼ばわりとか、俺なら恥ずかしくて逃げ出したくなりそうだ」

 

 ……初対面の相手にいきなり『ボクの王子様……?』なんて訪ねてしまう。……これはもう、恥ずかしいなんてレベルじゃないだろう。  

 想像することすら恐ろしいが、『街で知り合いを見つけて声をかけたら人違いだった』なんてレベルの話ではないことだけは分かる。

 そもそも俺は街で知り合いを見かけても声を掛けないけどな!


「だからお前から逃げたんだろ」

 

「……ああ」


 明確な意思を持って俺から逃げ出そうとしていたんなら、そりゃ見つからないはずだ。 

 

「そんなわけだ、答え合わせは任せたぜ」

 

「答え合わせ?」


「ああ。彼女本人に、昨日の一件の真実を確かめるんだよ。どうせお前もそのつもりだったんだろ?」 

 

「どうせ午後に新入生相手の部活紹介とかあるから一応な……それと、絶対関係ないと思って言ってなかったが、実はあの時、何かに導かれるような謎の感覚と頭痛が――」


「そうだ気のせいだ。それか低気圧か体調不良」

 

 ……どうやら、妄言の度が過ぎたらしかった。

 

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