第2話 まるで二次元な美少女
あの地獄の台本読み合わせから二週間が過ぎ、春休みも明けた四月の上旬。
俺は部活の練習に行くため、休日にも関わらず今日も今日とて田畑混じりの住宅街の中を自転車で進んでいた。
ちなみに、昨日から新学期を迎えたことで南部長は三年生に。俺自身も二年生へと無事進級している。
ちなみにあの後、『突然空から降ってきたSFボクっ娘美少女に、ベタ惚れされている件。』はあえなくボツとなった。
却下された理由は無数にあるが、決め手となったのは、これが『新入生歓迎公演』。通称『新歓公演』のための台本だったと言うことだ。
俺は新入生の前であの演劇をやろうとしていたのかの……徹夜怖え……。
ちなみに、全滅した俺の台本に代わり、演劇部のもう一人の脚本家である女子、樋口先輩が書き溜めていた台本を使うことで今回は命拾いすることができた。
家を出てから十五分ほどで、最寄駅であるJR
そこから、自転車を駅に停め、更に十五分ほど電車に揺られ、JR久城駅から更に大通り沿いを歩くとようやく見えてくるのが久城高校だ。
校門の前には『入学式』と書かれた看板が設置されたままになっていた。
「そうか、今日は入学式か……」
自分には関係のない行事なので、今日が休日である理由をすっかり忘れていた。
現在の時刻は十一時前。
学校に人気がないことから察するに、式はもう終わったのだろう。
……さて、明日は新歓公演の本番。今日が踏ん張りどころだな。
練習内容を頭の中で整理しつつ校門を抜けると、学校の広々とした敷地が視界に入る。
正面には教室棟と特別棟からなる校舎があり、その右隣には校舎に並行するように屋根付きの駐輪場が奥まで続いている。
校舎の左手にはグラウンドが見えるが、今日に限っては、どの部活も活動している様子はなかった。
いつもあれだけ騒がしいのにな……。
静かな学校というのはなんだか妙な感じだ。
動いているのは精々散っていく桜の花びらくらいなもので、しんと静まりかえっている。
嵐の前の静けさのようだ、と、そんなことを思った。
『――――して』
――そんな時だ。俺は、誰かに呼ばれたような感覚を覚えた。
視覚でも聴覚でもない。まるで、第六感にでも触れられたかのような、漠然と『そこになにかがある』という感覚。
今までに感じたことのない、不気味な現象に、俺は本能的に辺りを見回した。
――ふと、視界の端に人影が映った。
見ると昇降口の真上、二階の図書室から突き出たベランダに、女子生徒が一人どこか遠くを眺めるようにして佇んでいた。
そんな彼女の姿に俺の視線が釘付けになったのは、彼女がこの世の者とは思えないような、神秘的な雰囲気を纏っていたからだろう。
彼女の髪は、まるでしんしんと降り注ぐ雪の如く、くすみのない真っ白な色をしていて。
風に吹かれたショートボブが煌めく様は、まるで美麗なイラスト作品の様で、背景の校舎、舞い散る桜の花びら、光の差し込む位置、その全てが計算され尽くして出来た構図の様な、まさしく絵に描いたような光景だった。
「誰……なんだ……?」
一年間久城高校に通っていて、あんな女子は見たことが無い。入学式直後という状況から察するに新入生、なのだろうか……?
俺はその真偽を確かめるべく、彼女のブレザーの左襟に目を凝らそうとした。
久城高校は、ブレザーの左襟につけた校章の色が学年ごとに異なっており、三年なら青色、二年なら緑色、そして、一年なら赤色とそれぞれ振り分けられているのだ。
確かめようとした瞬間、遠くを見つめていた彼女の視線が、俺へと向いた。
――その瞬間、俺の脳内に刺すような鋭い痛みが走る。
「ぐあっ……!」
まるで、頭蓋の中で大量の針が乱反射しているかのような鋭い痛みだ。
あまりの苦痛と不快感に、俺はたまらずその場でしゃがみ込んでしまった。
だが幸い、数秒で痛みは消え去った。
立ち上がり、再び白髪の彼女に目を向けると。
目に入ったのは、彼女が、立ちくらみでもしたかのように、ふらりとよろける瞬間だった。
――そして、その体の向かう先は、フェンスの外側。
その方向は不味い……っ!
悪い予感は的中し、彼女はフェンスに勢いよく倒れ込み、その身体は、さながら鉄棒の前回りのように、くるんと、いとも容易く宙へと投げ出された。
例え二階の高さからであっても、無防備に地面に叩きつけられれば無事ではではすまない……いや、今の彼女の落ち方では、高確率で頭から落ちて、そして死んでしまうんじゃないのか……?
そんな、最悪の可能性がいやでも頭をよぎる。
気づくと、俺は彼女の元へと走り出していた。
考えるよりも先に勝手に体が動いた。そんな感覚だった。
間に合うかどうかなんて分からない。
それでも俺は、何かに駆り立てられる様に必死に地面を蹴っていた。
すると、突然奇妙な感覚に襲われた。
――身体が、重い……?
必死に走っているにも関わらず、腕も足も、ゆっくりとしか動かなかった。
まるでプールの中を走っているかのように手足が重い。
そして気づく。遅くなっているのは俺の体だけじゃないということに。
風で散る桜も、落下し続ける彼女の身体も、たなびく白髪も。
その一枚、一束を目で追えるほどに、“時間”が、ゆっくりと流れていた。
――遅くなっていたのは、俺の体じゃない。世界そのものだったんだ。
この不可思議な現象に、ピンチのあまり異能力にでも目覚めたのかと思ったが、俺はつい先日、この現象に通ずる話を熱心な勉強家の部活仲間から聞いたばかりだった。
なんでも人間は、交通事故などの危機的な瞬間に陥ると、その状況から生き延びる手立てを探し、考えるための時間稼ぎとして、脳の処理速度を瞬間的に上昇させ、世界がスローモーションに見せることがあるのだとか。
この話を今の状況に当てはめれば、命の危機に瀕しているのが自分か他人か、という差はあれど、概ねその話と合致している。
なら、今俺が考えるべきなのはたった一つ。
――俺は今、どうすれば彼女を助けられる?
いくら世界がスローに見えても、体までスローになるのでは出来ることは少ない。
策を練ろうにも、今手の届く範囲にあるものは、精々背中のリュックサックくらいだ。
そのリュックだって、今役立つものは入っていないし、仮に入っていたとしても、それを取り出している猶予などない。
……なるほど、結局、俺にできることなんか、初めから一つしかなかったじゃねぇか。
俺はほんの少しでも体を軽くするために、背負っていたリュックその場に投げ落とすと、渾身の力で地面を蹴りはじめた。
使える物がないのであれば、いっそのこと全て捨て、走る。ただそれしかねぇ……!
――一挙一動を最効率で行って走った結果、俺は彼女が地面に叩きつけられるよりも先に、その落下地点へと潜り込むことに成功した。
ふわりと落下してくる彼女を、俺は両手を差し出しその身体をしっかりと受け止める。
――間に合った……。
そう安堵した途端、スローだった世界は、元の速さを取り戻す。そして次の瞬間、俺の両腕を激痛が襲った。
「ぐおぉ……!」
痛みの原因、それは彼女を受け止めたことで、急激な重量が腕に乗っかったことが原因だった。
お、重い……!
こう言う時はお姫様抱っこで受け止めるってのが相場だが、これは無理だ……!
重力に引かれて二階から降ってくる人間の重みに、文化部男子の細腕が耐えられるわけがなかった! 魔法も異能もないこの現実に置いて、空から降ってくる女の子は危険だ!
少しでも腕の負担を和らげようと、体全体で重量を支えるべく、腕を引き寄せつつ腰を落としていく。
そして腕が痛いわ、腰は落ちきって便所座りの姿勢になってるわで、見るに耐えない有り様ではあるが、俺はようやく彼女を受け止め切ることができた。
その事に安堵しながら、改めて腕の中の彼女に目を向けると、彼女の瞼が丁度開かれるところだった。
真っ白な髪に、色白で透き通った肌、整った目鼻立ち。
そして、サファイアのように鮮やかで、海のように深いブルーの瞳に、俺は目を奪われた。その美しさを前に俺は――
――――息が、出来なかった。
呼吸の仕方すら忘れるほどに、俺は彼女に魅入っていた。
息が整う頃には、心臓の鼓動はかつてないほどの速さでその律動を刻んでいた。
彼女は、何度か瞬きをすると、その薄く桜色掛かった唇を動かした。
「ん……」
漏れ出た声はとても甘く、少し気怠げで、けれどとても心地のいい、くっきりとしたソプラノだった。
紡がれた言葉は、ほとんど囁くような声量だったが、その一音一音は俺の体に染み込むように伝わった。
「―――キミが、ボクの王子様……?」
――だからこそ、彼女が何を言っているのか分からなかった。
「王子、様……?」
聞き返すと、彼女の頬がほんのりと赤く染まった気がした。
どういう、意味だ……? それに彼女、いま自分の事を『ボク』って……。
その直後、もぞりと彼女が俺の腕の中で動き始める。
彼女は軽やかな身のこなしで俺の腕の中からするりと抜け出すと、迷いのない足取りで駆け出した。
その方向は、向かって右側、駐輪場のある方だ。
「お、おい!」
突然の行動に思考がまとまらないまま、彼女を追って校舎の角を曲がる。
しかし俺は、曲がった先で、思わずその場に立ち尽くしてしまった。
――確かに彼女はこの角を曲がった。俺はこの目で確かに見たのだ。
――けれど、目の前には閑散とした駐輪場が広がるのみで、彼女の姿はどこにもなかった。
「消えた…………?」
いや、そんなはずはない。普通、女子高生は突然消えたりしない。
きっとまだどこかにいるはずだ。
俺はしばらく辺りを見回った。だが、どれだけ探しても、彼女の姿を見つけることはできなかった。
彼女の捜索を諦めた俺は、放心状態で部室へと向かった。
あの美少女は一体誰なのか――。なんだか、白昼夢でも見せられていたような気分だ。
だが、階段を登るたびにじわじわと痛む手足が、確かに彼女を受け止めたことを証明していた。
ああ。確かに俺はベランダから落ちてきた――いや、空から落ちてきた白髪碧眼のボクっ娘美少女を受け止めたのだ。
そして彼女は、「キミがボクの王子様?」と、謎な言葉を残して走り、消え去った。
『運命の出会い』なんて言葉が頭をよぎる。
クソッタレな現実に、ようやく革命が起ころうとしていた。
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