第2話 ストッキング欲しがり勝負

 翌朝、食卓に3人家族が揃っていた。

 柚葉の隣には、学生服に着替えた貴志が居た。

 身長は平均よりもやや低めで童顔、顔立ちも整ってはいるが幼さが残り、髪型は前髪が長めの黒髪と、全体的に幼い印象を受ける少年だ。

 中学生だが、まだどことなく小学生のような、あどけなさがあった。

「はい。貴志」

 柚葉は軽く焦げ目のついたトーストを、弟へと渡す。

「あ、ありがとう」

 貴志は、ぎこちなく受け取る。それは、いつもより姉が椅子を寄せて来ていることに対し、警戒をしていた為だ。

「……柚葉。少し貴志との距離が近いんじゃないの?」

 母親である明子は、コーヒーを手にしたまま指摘する。小刻みに震える手は、彼女の心境を物語っていた。

 貴志は、ドキリとする。

 二人は血の繋がった親子ではあるが、こと貴志のこととなると、その愛情の方向性は変わってくる。

 二人は貴志を溺愛する性格の持ち主、ブラコンと逆マザコンであった。

 貴志は本能的に一触即発の状態であることを感じ取った。

「僕、今日は日直なんだ。早く学校に行って教室を開けないといけないから、もう行くね」

 貴志は、家族とこれ以上一緒にいるのが耐えられなくなり、食パンを加えたまま椅子から立ち上がって玄関へ向かった。

「貴志~」

 柚葉は甘えた声を出しながら、貴志の後を追おうとするが、

「柚葉。あなたの講義は2限からでしょ。ゆっくり食事をなさい」

 明子は、柚葉に厳しい現実を突きつけた。

 その瞬間、柚葉は鋭い視線を明子に向けて舌打ちする。

 明子は、一瞬怯むが負けじと睨み返す。バチバチ 目に見えない火花が二人に散っていた。

(この小娘が、貴志は私の息子なのよ。何で母親である私より、貴志と距離が近いのよ)

(このババア。私と貴志の仲を邪魔しやがって、いつも偉そうに)

 二人は心中で悪態を吐いていた。

 だが、柚葉はこの勝負が自分にとって有利であることを察すると、テーブルに肘をついてコーヒーを啜った。

 娘の態度に、明子はイラッとする中、余裕を見せる柚葉を見て、彼女は何か企んでいるのではないかと思った。

「随分と余裕じゃない。何か良いコトでもあったの?」

 明子は訊ねると、柚葉は目を細めて不敵に笑う。その笑顔は淑女が浮かべる類いのものではなかった。妖艶な笑みである。

「実はね。貴志、台所のゴミ箱に捨てた私のストッキングを持って行ったの」

 柚葉の言葉に明子は手に持ったコーヒーを零し、サラダにぶちまける。

「な、なんですって……」

 明子は、怒りを露にして立ち上がる。自分の愛息の裏切りが信じられなかった。

「そんな……。小さい頃は、お母さん、お母さんってあんなに可愛かったのに……。ああ、貴志が私の手から離れていく……」

 明子は床に膝を突き、慟哭した。母親としての感情と女としての感情が、涙という形になって溢れ出る。

 柚葉は内心でほくそ笑む。

「悪いわね。これで貴志は、私の物よ。しょせんお母さんは、見た目が若いだけの母親であって、女として見られてないのよ」

 柚葉が鼻で笑うが、明子はあることに気づく。

 明子の表情に影が差すと、瞳には恐ろしいまでの生気が宿り始める。

 そして、ゆっくりと立ち上がりながら静かに語り始めた。その姿はまさに怨念の権化と呼ぶに相応しい姿だ。

「女子大生なんて肩書があるけど、節穴もいいところね」

 柚葉は悪寒を感じ、一歩後退る。

(ど、どういうこと。あれだけの精神的ダメージを与えたのに、この回復量は有り得ないでしょ)

 明子の異様な迫力に、柚葉は椅子に座ったまま後退る。

「な、何よ」

 それは、精神的な心の余裕の無さの現れだった。

 明子はゆっくりと立ち上がると、顔を柚葉に向けた。彼女から溢れ出ていた狂気は一気に収束して収まりを見せたが、その変わりに大人し目ではあるが禍々しい妖気だけが漂っていた。

「甘いって言ってるのよ。柚葉」

 明子は静かな口調で話す。その声音には、物理的な圧力すら感じる。

 柚葉は喉がカラカラに渇く感覚に襲われるが、唾液を飲み込むことすらできなかった。

(な、なんなのこのオーラは!? これが私の母親?)

 目の前にいる女性は本当に自分の母親なのかと疑問を抱くほどだ。

「ま、負け惜しみね。みっともない……」

 柚葉は引き攣った笑いを浮かべながら、反論を試みる。虚勢を張ることでしか、精神的な崩壊を先延ばしにすることが出来なかった。

 明子はゆっくりと首を左右に振った。

「貴志がストッキングをゴミ箱から持ち去ったそうだけど、それは本当に柚葉のものだと思ってかしら?」

 明子はテーブルの上に両手をつき、柚葉に顔をずいと近づける。

 その言葉には柚葉は気づく。その気付きは、そのまま表情に現れる。

「ま、まさか……」

 柚葉は慌てて椅子から立ち上がって震える。

「気づいたようね。貴志は、私のストッキングだと思って持ち去った可能性もあるのよ」

 明子が追い打ちをかけると、柚葉は膝から崩れ落ちた。床を何度も力なく叩いて嘆き悲しんだ。

(ああっ。私のバカ! なんで気づかなかったのよ!)

 柚葉は悔しくて床を拳で何度も叩く。自分の捨てたストッキングが消えたことは確かだが、貴志はそれを知っていたかは本人でないと分からないのだ。

「大学生で、ちょっと若いからって自分が貴志に最も愛されているなんて思ったら大間違いよ! 貴志はね、私の母乳で育ったのよ。あんたの出る幕はないわ!」

 明子の言葉に柚葉は、乱れ髪の向こうから悔しそうに睨み上げる。

「ちきしょう! なんでよりによって、貴志は、母親の乳首をしゃぶって育てられたのよ! お姉ちゃんが姉乳が出れば育ててたのに!」

 柚葉の憎悪を孕んだ視線を明子は涼しい顔で受け流す。

「柚葉は、しょせん粉ミルクを混ぜることしなできなかったものね」

 打ちひしがれた柚葉を、明子は見下す。

 だが、こんなことで負ける訳にはいかない。

 柚葉は立ち上がる。

「……いいわ。こうなったら白黒ハッキリさせましょ。貴志が、どっちのストッキングを欲しがるか勝負よ!」

 柚葉の提案に、明子は腕組みをし余裕の表情を決め込む。

「望むところよ」

 明子は柚葉に不敵な笑みで返答した。

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