第四十七話 第三の環の戦い

 西藤さんは、アーレクトーに後ろ手につかまれている。

 天使は、ティーシポネーに翼を鷲づかみにされている。


「このふたりと大勢の魂たちを今すぐ消し去ってもいいのよ。でも、元の世界に戻るのなら、誰も傷つけないことを約束しましょう」

 メガイラは、西藤さんの頬を指でなぞりながら、血で赤く染まった身体をくねらせた。頭に生えた蛇や腰に巻いた蛇も、メガイラに合わせてくねっている。

 メガイラよりも鮮やかな赤のジャージを着ている西藤さんは、顔をくもらせている。


「さあ、どうする?」


「復讐の女神たちであろうと、冥界において神の意志に逆らうことはできないはずです」

 ダンテの警告を、メガイラは一向に気にしない。

「果たして、そうなのかしら。そうであれば、なぜ私たちは圏を越えて自由に地獄を飛び回れる。現に、こうしてお前たちの前にいられるのは、なぜ? 存外、神は楽しんでいるのかもしれないよ」

 メガイラは、また唇を舐めた。


 メガイラの言葉が気になる有江だが、ここで引き下がるわけにもいかない。

「こちらには、アンタイオスがいるのです。ギガンテス族の力の前では、あなた方に勝ち目はありませんよ。今すぐ魂たちを解放した方が身のためです」

 有江は、精一杯の虚勢を張った。


「お嬢ちゃん、この大きな図体が目に入らなかったとでも言いたいの? ギガンテス族の弱点は、地に足がついていなければ力が出ないことよ。そんな有名な弱点も知らなかったとでも思っているの?」

 メガイラの言葉に間違いはないが、悪魔たちが全員でかかろうとも、巨人族の足元をすくうことは不可能だ。

 はったりだと有江は思った。


「どうやら、私たちが、どこから来たのか忘れているようね。第六の圏ディースの都、この上の圏から来たの」

 そう言うと、メガイラは右手を挙げた。

 それを合図に、無数の紐が、上空からアンタイオス目掛けて投げられる。投げられた紐を悪魔が受け取り、アンタイオスの周囲を飛び交い始める。見る間に紐はアンタイオスに巻き付き、両手の動きを封じ、自由を奪い取った。

 なおも、紐は第六の圏から投げられ、悪魔が巻き付けている。

 紐は緩みなく張られ、アンタイオスの身体は……静かに浮かび上がった。

 一瞬のできごとだった。


「私たちが、総出で降りてきたとでも思った? 頼りのアンタイオスもこの様では、役に立ちそうもないわね。さあ、どうする、お嬢ちゃん」


 アンタイオスは、力なく宙吊りにされている。

 上空を飛び回っていた悪魔たちが降りてきた。

 神の助けはない。


「わかりました……」

 ダンテが、そう言い掛けた、そのとき。

 一筋の矢が、アンタイオスを吊るす1本の紐を切った。


 その矢を皮切りに、数多の矢が風を切り頭上を飛んでいく。

 矢の影で、宙はさらに暗くなった。


 振り返ると、ケイローンを先頭にケンタウロス族が土ぼこりを巻き上げ、地平線いっぱいに広がり走ってくる。

 ケンタウロスは、走りながら弓を引き、放つ矢は正確に紐や悪魔を射抜いていた。


 地響きは、一段と大きくなる。

 ケンタウロスの後方からは、さらにおびただしい数の魂たちが、手に手に棒を持ち、石を抱えて走ってくる。


「さあ、どうします、お姉さん」

 有江は、メガイラを見据えて言った。


 メガイラは、悔しそうに歯ぎしりをしている。

「いったん引き上げるが、こいつらは預かるからね」

 復讐の女神たちは羽を広げ、西藤さんと天使を連れて飛び立った。

 西藤さんは、再び連れ去られる間際に叫ぶ。

「私は、死んでいるからだいじょうぶです」

 西藤さんは、手を振っていた。

「ぼくは、ダメです。助けてください!」

 天使は、あわてて付け加えた。



 ケンタウロスのイケメン軍団が、歩を止める。

「間に合ったようですな」

 ケイローンは、ダンテに言った。

「ありがとうございます。助かりました」

 ケイローンの背中には、伝言を頼んだ魂が乗っていた。


「ダンテさんたちは、この後どうするおつもりですか」

「ディースの都に西藤さんと天使を助けに行きます。ケイローンさんにお願いが有るのですが……」

 ダンテは、魂たちを元の配置に戻しシトロン集めをさせること、アンタイオスの紐を解きシトロンを踏んで絞ってもらうこと、このふたつをケイローンに頼んだ。

「勝ち目は、あるのですか」

 ケイローンは心配して聞くが、ダンテは答えられない。

「なんとか、するしかありません」

 有江は、ディースの都を思い出しながら答えた。


「あなたのお名前は?」

 有江は、伝言を頼んだ魂に名を聞いた。

 魂は、みすぼらしくも派手でもない服を着て、大きくも小さくもない身体で立っている。嬉しそうではないが困ってもいない顔で答える。

「私は、もう名前など憶えていません」

「では『unknown』の、安納さんでいいですか」

 魂は、思いがけず名前をつけてもらい嬉しそうだ。

「安納さん、一緒にディースに行ってもらえませんか」

 さっそく名前で呼ばれた安納は、ふたつ返事で了解した。


「モフ狼はどうする?」

「うぉん」

「そう、一緒に行ってくれるのね」

 有江は、モフ狼に抱きつき頬ずりした。


「ほんとうに『行く』と言ったのですか」

「さあ」

 安納に聞かれたダンテの返事は素っ気ない。


 ダンテの持つ通信機から「ピピッ」と着信音が聞こえた。

 ポケットから取り出した受信機の電源ランプは緑色に戻っていて、画面に「SET MONO」と表示されていた。

「有江さん、通信機が直って、現世班からメッセージが入りました」

 ダンテは、有江に画面を見せる。

「なんでしょう。『瀬戸物』ではないでしょうから『ひとつをセットして』か『物をセットして』ということでしょうが、何をセットするのでしょうね」

 わかりませんと、ダンテも言う。

 ダンテも有江もわからないのなら、西藤さんあてなのだろう。

 西藤さんたちを助け出さないことには、前に進めない。

 有江たちは、ディースに向けて歩き始めた。

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