第四十三話 シトロン狩り
「行ってきました、遠いですね。ぼくが戻るのは、答えを聞くためであって、神さんは話を聞かなくても、もう知っているんですよね。急いで戻ったのに、神さんたら……」
「結論を先に言う」
天使は、西藤さんにまた注意された。
「すみません。神さんは、ぼくに『お湯から出た魂たちに弓矢を向けないようケンタウロスに告げなさい』と話されました。予想通りですね。帰り道、ぼくがケンタウロスに言いきかせてきましたよ」
「天使さんの言うことをきくのですか。失礼な質問ですみません」
「いや、もっともな質問です。西藤さんには叱られてばかりですが、ぼくは、こう見えても冥界では一目置かれる存在なんです。ケンタウロスたちが、ぼくの言葉にひれ伏す光景を、栃辺さんに見せたかったですよ」
天使は、胸に手を当て答える。
「次に、環境の変化による魂たちへの罰の緩和や、ギガンテス族の環境の改善は『やむを得ない』そうです。ただし、目的を達するまでの期間限定にするとのことでした」
傍らで聞いていた巨人が会話に入ってくる。
「その目的とは、なんのことだ?」
「どうします? 話してもいいですか」
「私から、話しましょう」
ダンテは、現世での温暖化の影響で、第九の圏のコーキュートスでルチーフェロを閉じ込めている氷が溶け始め、近いうちに解放されそうなこと、現世の温暖化を止める前に、コーキュートスを冷却する使命をダンテたちが担っていることを説明した。
「なぜ、神は、お主のような小さい者たちに、そのような大きな使命を託すのか」
「ルチーフェロをやり込めた実績が、ダンテさんにあるからですよ。そもそも、現世の環境変化が原因ですし、神さんは自分で動くのが嫌いですからね」
天使は、すかさず返答する。
「よかろう。で、我は何をすればよい?」
「アンタイオスさんを肩車して、私たちを第七の圏に運んでください。アンタイオスさんには、そのまま第七の圏によじ登ってもらいます。ニムロドさんたちは、準備ができるまで待っているだけです。そうですね、その角笛を貸してください。準備が済んだら合図します」
「角笛は、唯一の楽しみだが、まあ、よかろう」
巨人は、アンタイオスを肩車できるように井戸の縁に手をつき身を乗り出した。アンタイオスは、両の手のひらを水をすくうように合わせ、ダンテたちに乗り込むように言う。
モフ狼は、ずっと乗ったままだ。
ダンテたちは、手のひらに乗り込んでいく。
天使が足を掛けたところで、ダンテは言う。
「天使さんは、この先で待っているゲーリュオーンさんにお礼を言って『待機解除』を伝えてください。その後は、現地集合でお願いします。天使さんは、飛べますからね。よろしくお願いします」
いやとも言えない天使は、力なく足を元に戻した。
アンタイオスは、井戸の巨人の肩にまたがり、巨人は背を伸ばす。
ダンテたちは、上へと持ち上げられる。
ゲーリュオーンのところに向かう天使の姿が一瞬見えるが、あっという間に小さくなり、点になる。
第七の圏をくり抜いたような崖を越え、第六の圏から降りる岩場が見えてきたところで止まった。
「降ろしてもらっていいですか」
手のひらから降りた先は、第七の圏、第三の環が一望できる高台の上だった。
「アンタイオスさんも登れそうですか」
「ちょうど肩の位置が崖の縁ですので、なんとかなりそうです」
ダンテたちを降ろしたアンタイオスは、崖の上に腕を乗せ、両腕を伸ばした勢いで崖を登ってきた。
「果樹園と重曹泉まで水路を造ります。アンタイオスさん、お願いします」
下をのぞき込んで井戸の巨人に挨拶をしていたアンタイオスは、両足を引きずって歩き始める。
歩いた後には、深い溝が二本できていた。
天使が追いつき、アンタイオスの肩にとまる。
「休ませて。ちょっと疲れたわ」
「情けない天使さまだ」
大地に立って、この上なく元気なアンタイオスが言った。
第二の環まで、戻ってきた。
「ここから先、水路は一本となります」
ダンテは、大声でアンタイオスに伝えた。
アンタイオスは、果汁用の水路となる溝に、足で踏み固めた窪地を造る。
「第一の環まで水路を造ってきましょう。底を固めながら戻ってきます」
アンタイオスは、片足を引きずりながら先へと進んでいった。
崖の際からここまで、歩いて四十分かかる距離だが、アンタイオスにしてみれば、三十歩程で足りる。すぐに戻ってくることだろう。
ダンテは、ハルピュイアに追われる魂たちに告げる。
「この茨になる実をできるだけ多く持って、ここまで持ってきてもらいたい」
「それが、おれたちになんの得があるというのだ」
ひとりの魂が言った。
「実を減らせば、芽吹く植物も減り、ゆくゆくは肌に食い込む棘の数も減ることだろう。それに、この作業をしている間は、ギガンテスが上空のハルピュイアを追い払うことを約束しよう」
ダンテが話をしている最中にも、ズシンとズシンと大地が揺れ始め、アンタイオスが、溝を踏み固めながら戻ってきた。
そのまま、地響きを立てながら、崖の際へと進んでいく。
それを見た魂たちは、ダンテに従うことを決めたようだ。
「よし、わかった。この茨に囚われた魂たち全員に伝えよう。全員でかかれば、この藪がこれ以上生い茂ることは、二度とないほど果実が集まるだろう」
魂たちは、奥の藪に潜むほかの魂に、次々に言葉を掛けていった。
ダンテたちが立つ高台を中心に、円を描くように藪が揺れ始める。
それは、静寂した湖面に落ちる一葉がつくる波紋のように地平線まで広がっていった。
早くも、近場の魂たちは、シトロンやカラタチの実を両手で抱え運んでは、窪地に投げ入れていった。これまでの逃げるだけの毎日から解放された魂たちは、何も言われなくても、実を採りにまた藪に戻っていった。
「アンタイオスさん、お願いします」
ダンテの合図で、戻ってきたばかりの巨人の足が果実を踏み潰す。果汁のほとんどは土に浸み込んでいったが、果実の皮が一面に張り付いた窪地は、わずかながら果汁を溜められるようになった。
「次に温泉の栓を抜きにいきますが、その間、第二の環は……」
「私と天使くんとで、みていますよ」
ダンテがすべてを話す前に西藤さんが言う。なんだかんだ言って、西藤さんは、天使が気に入っているようだ。
「お手柔らかにお願いしますね」
天使も満更でもない様子だ。
果樹園は紅白コンビに任せて、ダンテと有江とモフ狼は、重曹泉へと向かう。
アンタイオスの手のひらに全員が乗った。
三十三歩で到着した。
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