第十四話 頂点に誰かが来ていた

「愛永さんと有江さんは、今日は出張で行かれるのですか」

 気をつかって、陽人が話題を変えた。

 有江は、愛永が話をしないようにと先に答える。

「ダンテさんが執筆する小説の中で壮大なトリックを仕掛けるため、長野県で確認することがあると、愛永さんが編集部長を説得して、出張で行けることになったのです。ダンテさんが車を出してくれたことも理由のひとつですね。わたしは、有給休暇を取って行こうと思っていたので、得した気分です」

 有江は、ありったけの情報を詰め込んだ。


「私、社内では編集部長の先輩なので、結構、言うこと聞いてくれるんです」

 まだ、知らない情報があった。

「常磐道部長は、アリスケより一か月だけ早く入社しているのですが、私からすれば、ふたりとも後輩なんです」

 これは、有江も知らなかった。

「ずっと編集部長されているものと思っていました」


「それ前までは、総務部と編集部に分かれていなかったの。今の総務部長が副社長の肩書でいたところに、社長が、常磐道部長を引き抜いてきて二部制にしたのね」

「それにしても……」

 有江が遠慮がちに疑問を口にしようとする前に、愛永は答える。

「常磐道部長は、入社しても全く出版のこと知らなくて、毎日総務部で世間話してお茶飲んでるだけなのですが、人脈が広いらしく、部長が入社してから『社史』やら『決算書』やら、企業案件が安定して受注できるようになったそうです。会社としては大助かりだと総務部長が話していました。だから、ある程度の経費がかかっても、常磐道部長が承認したことは、総務部もすんなり通るんです」

 社内で出世するにしては……と不思議に思っていた有江は、合点がいった。


「陽人巡査は、出張で行けないのですか」

「事件でもありませんし、事件だとしても交番業務ではないので、とても出張では行けませんよ」

 おふたりが羨ましいですと、陽人は話した。



 車は、小諸ICで高速を降りる。時刻は午前十時になろうとしていた。

 さすがに、一般道路では、愛永も法定速度並みに速度を押さえている。


 千曲川を渡る。水かさは減っており、あちらこちらに河床が見える。細い流れには、青空が映っていた。

 鹿曲川かくまがわに沿って、上流に向かって走る。

 川を渡り、立科町に入った。


「もうすぐです」

 愛永がカーナビを確認したそのとき、車は、山道から突如ひらけた場所に出た。西側の斜面に張り付いた家々が見える。


 集落に入り、愛永はスピードを落とす。

「この先を右に曲がり、高台を登ったところが、ゴールですね。ここです、曲がります」

 車は右折し、右に緩くカーブしながら坂を登っていく。そのままの傾斜で左カーブになり、直線になったところで坂は終わった。


 両脇の家が切れたところが、国立西洋美術館と静岡県立美術館の『地獄の門』とで一辺をなす正三角形の頂点だ。

「目的地に到着しました」

 カーナビが、フライングしてアナウンスした。


 家並みが切れたその場所には……一面に広がる田があった。

 ひらけた北側には、近くに次の集落の家並みが見え、遠くには浅間山を右端に浅間連峰の山影が映る。

 何もない長閑のどかな風景だった。


 車を道路脇に寄せて停める。

「ここです」

 ダンテは、正三角形の頂点に立った。

 何もないが、誰も驚かない。何もないことは、事前に確認している。


「では、行きましょうか」

 計画どおり、一番近い民家を訪ねる。

 有江が先頭を歩いた。

「怪しげなイタリア人が訪ねてきては、誰もが驚くでしょうから、わたしが伺います」

 有江は、民家の玄関チャイムを鳴らす。

 インターホンで用件を尋ねられると有江は思っていたが、鍵が外れる音がして、玄関のドアが開く。

「はい、なんでしょう」

 五十代くらいの女性が顔を出した。


「お尋ねしたいことがありまして、突然、申し訳ありません。セールスとかではありません、怪しい者でもないです。よろしいでしょうか」

 有江は、しどろもどろになっている。十分に怪しい。

 幸いにもご婦人は、話を聞いてくれた。

「この辺りで『西藤隆史』さんという方がいらっしゃるか、ご存じないでしょうか。『西藤』の『さい』は『西』という字です。今年、三十六歳になる男性です」

「同級生に西藤さんはいるけど、女性だからね。近所に西藤さんはいないし、知らないわねえ」


 ごめんなさいねとドア閉めようとするご婦人を、有江は引き留める。

「もうひとつ伺ってもよろしいでしょうか。この辺りで『門』にまつわる噂とか、言い伝えとか、聞いたことはありませんか」

「あらっ『地獄の門』のことでしょ。それもないのよねえ」

「なぜ『地獄の門』のことだと思われたのですか」

 有江たちは、色めきだった。


 ご婦人の話では、ちょうど一年ほど前に男性ふたりが訪ねてきて、同じように「門」のことを聞かれたそうだ。どちらも四十歳前後のスーツ姿の男たちは、この地域の説話を調査、収集していると説明している。

 門に関して何もないことを知ると、具体的に「地獄の門」はないかとか、門に似たようなものはないかとか尋ねたそうだ。

「その後に近所の人にも『門』のことを聞いたけど、みんな知らないって言うのよね」

 ご婦人にお礼を言って、車に戻った。


 ダンテたちは、集落まで戻り、手分けして「西藤さん」と「門」のことを尋ね歩くが、誰も「知らない」という答えばかりだった。

 時刻は、午後一時を過ぎている。

「残念ですが、ここは、これまでとして、白樺湖方面に向かいましょう」

 ダンテが言った。


 運転手は、再び陽人に代わる。

 陽人は、立科町のちぎれそうな場所を走ってみたかったと言う。地図を見ると、ちぎれそうに町が細くなっている雨境峠あまざかいとうげがある。峠を抜けた先の白樺湖も立科町だ。


 ダンテたちは、湖に向かう前に「道の駅・女神めのかみの里たてしな」に寄り、遅めの昼食「蓼科牛焼肉重」を味わった。

 焼肉重を食べながら「女神の里」の「女神」は、もしや「かぐや姫」ではと調べるが、「蓼科山」の別名が「女神山めのかみやま」で、その女神は八ヶ岳の女房役だからのようだ。


 また、蓼科山には「ビジンサマ」という怪異がいるそうだ。その名前から、これこそ「かぐや姫」かと期待したが、その正体は、黒雲に包まれた球体で、下部に赤や青のビラビラした紙が付いているという「美人」とは似ても似つかない姿だった。


 焼肉重を食べ終え、さあ出発しようと席を立ったとき、陽人のスマホに着信がある。

「もしもし、下根田です。ええ、今、立科町の道の駅でお昼を食べたところです……はい……そうですか……助かります」


 電話を切った陽人が、メールを開きながら話す。

「本署の同期からの電話でした。佐久警察署から西藤隆史さんの身元がわかったと連絡が入ったそうです。やはり、立科町出身の方でした。今、管轄する駐在所の住所をメールで送ってもらっています。ぼくがここに来ていることをご家族に知らせたら、会いたいとの返事があったそうですが、どうしますか」


 聞くまでもなかった。


 駐在所は、車で五分の場所だった。駐在所前に車を停めて、陽人が挨拶に入る。ダンテ、愛永、有江と続いた。

 中には、中年の男性警官が、デスクに地図を広げて待っていた。


 陽人は、自己紹介をし、簡単に経緯いきさつを話す。

「そうでしたか、ご家族と言っても母親ひとりです。午前中に自分から隆史さんが亡くなられていたことを伝えました。下根田巡査がプライベートで立科町に来られることを話すと、お世話になったお礼を言いたいと話していました。息子が亡くなったのですから、悲しくないわけはないのでしょうが、気丈に振る舞っているのでしょうね」

 広げた地図を指し示す。

「駐在所がここで、母親はここに住んでいます」

 近所だった。先に派出所から母親に電話を入れてもらい、歩いて向かうことにする。

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