コネか偶然か、高名な先生
甥が教えてくれた中央病院は遠かった。
ドア・ツー・ドアで2時間弱
若い人にはなんとかなる距離かもしれないが.ヨチヨチ歩きの夫と老いた私には、結構な距離だ。
「お母さんは、新宿の改札まで連れてきてくれればいいから。あとの誘導は私がやれるから」
「朝のラッシュに、お父さんは周りの迷惑だから、グリーン車で座ってきて。ラッシュ時なんてみんな殺気立ってるんだから、こんなヨボヨボでも席なんてゆずってくれないし、ドアの手すりに捕まって動かない乗客なんてぶつかられるよ、邪魔すぎる」
身も蓋も無い言われようだが、娘が色々調べてくれた事は知っているので、忠告に従うことにした。正直な所、昔は私も新宿駅を利用していたから何とかなると思っていたが、それを薄々察した娘が、「朝の新宿山手線ホーム」なる写真を送ってきたのだ。「こんな状況でお父さんが歩いていたら、どつかれてせんべい布団になるか、線路に落とされてミンチになるからね」という、一文も添えて。
百聞は一見に如かず、早々に特急に切り替えた。
改札には娘がいた。
「空いてる場所は不便な場所なんだけど、ラッシュよりも歩く方がマシだから」と、先頭車両まで案内した。どうやら、JRの方に相談したらしい。
「認知症の問題児、つまりは老害を乗せなきゃなんないんで、一番問題の起きないルートを」
本当に身も蓋も無い。
結果、教えられたのが埼京線の先頭車両だった。『山手線はやめて下さい。大変なラッシュでこんな状態になります』と、ムンクの叫びのようなポーズを取られたらしい。そして、先頭車両。ヨチヨチ歩きの夫にはかなりの距離だった。中央病院につく頃には、私も夫も疲れきっていた。甥が教えてくれた病院だが、やはり通院は難しい。初診で終るだろう。
10時で予約をしていたが、実際にみてもらえたのは、11:30だった。夫が水頭症になって良かったことが、一つだけある。以前は待つことが出来なかったが、いまは、ぼんやりと待合室で座っている。飽きる、という感情さえなくして呆けているのだ。歩き回る心配がないので、私は、ゆっくりと本を読んでいた。娘は、他の患者さん達の観察(盗み聞き?)に勤しんでいる。まとめると、予約は、一ヶ月先までうまっているらしい。検査入院は最短で7週間後、予約無しできた人は帰されていたようだ。
甥のオススメの佐々木先生は、朗らかな人だった。
紹介状の住所を見て、その遠さに驚いていた。
「なんで、(こんなに遠い)うちに?来るの大変だったでしょう。」
「甥が、佐々木先生なら、安心だからと」
「甥御さんは、どうやってで僕を知って?」
「あ、なんか、甥、どっかで脳外科やってて。先日の学会で先生の公演を聞いて、感銘を受けたらしく………」
「え?同業者?いや~、僕、結構医師からの紹介は多いけれど、同じ脳外は初めてだなぁ。甥御さんの所でされたりはしないの?」
「遠いんですよ。で、佐々木先生なら信頼できるからって」
「光栄だなぁ。なんていう病院ですか?」
娘が、スマホで病院を知らせた。
「ご自宅からここまで遠いので、今日お時間があれば、いろいろ調べちゃいますが、どうしますか?」
「お願いします」
この病院に入る前までは、遠いいし初診で終わりになるかなと思っていたのだが、佐々木先生の朗らかな感じに通院を決めた。
まぁ、簡単に言うと一目ぼれだ。
レントゲンやらCTやら歩行速度やらを撮られた。
「紹介状にあるように、症状は水頭症ですね。実際に水を抜いみて(タップテストをして)、効果があれば手術を検討してもいいかもしれません。水を抜いて確認をするには4日程度の入院が必要になりますがどうしますか?」
……前の病院では、手術してから効果の有無が判明、手術にはリスクがつきもの、と。こちらの病院では腰から針で水を抜いて効果の有無を確認。タップテストはほぼノーリスクで効果確認ができる。…効果があると思えるなら、まだ長期入院を前向きに考えられる。
「お願いします」
「う~ん、空きが…あ、いや、この日なら…じゃぁ、2週間後のこの日から入院できます?」
「はい。」
……あれ?検査入院の空きって、7週間後って言っているのが聞こえたって、娘が言ってたぞ?
検査入院のための説明を別室で受けていると、佐々木先生が、高齢の先生に(上司?)に説明をしているのが聞こえてきた。
「甥御さんが、脳外科医で僕を勧めてくれたみたいで。なんか調べてみたら、結構な役職の方で…」
……うん、役職はついているけれど、規模はこちらの病院の方が大きいし。時間をかけて調べればわかるだろうけど、甥の務める病院は逆に平がいない。小さな企業で社員全員が役職付というアレだ。残業手当をなくす為にしているだけだろうと推察している。
だが、、、、それで、もしかして?満員だったところに、無理に入れてくれたのかしら?
検査入院も終わって、結果は良好だった。夫の歩き方も眼力も違う。一ヶ月様子を見て、その後手術するかを決めるという。決めるに為に、手術方法もざっくり教えてくれた。手術するかも未定なのに。この辺も前の病院とは違う。そして教えてくれた方法は腰から管、だった。
検査から退院して、一ヶ月の間は少しずつまた、悪い状態に戻っていった。注射で一時的に頭の水をぬいただけなのだ。また溜まればそうもなるだろう。
手術を受ける価値はある。…3ヶ月も入院するリハビリ病院は近くを手配してもらえるのだろうか??
次の診察時
「手術、受けたいんですけど、その、…リハビリ病院は自宅のそばが…」
「え?リハビリ病院?ご自宅で過ごされるのが、一番のリハビリなので退院後はご自宅ですよ」
迷いは一切消えた。
ネットに記載されていたように2週間の入院で済むらしい。
「あ、コ●ナ対応で、今月末までは、一週間増えてしまうのですが…」
とあわてて、先生が訂正したが、いやいや、4ヵ月を覚悟していたうちらに2+1週間なんて問題ない!
「手術すると決めたなら、早い方がいいでしょう。僕が空いているのが、急ですが二週間後のこの日しかなくて。後は2ヶ月先になるんですが、どうしますか?」
勿論、二週間後だ。
「前回も軽く説明しましたが、手術をすることになったので、詳しく…」
手術のリスクを説明される。そして、甥にも電話を繋いで、状態を説明してくれた。手術実績やそれに基づいた自信、訊けばきくほど安心した。もっとも安心したのは、出血量の平均は5㏄という所。以前の手術で入れた管は、放置で、お腹に穴を開けるだけだから、そんなもんだという。
5CC???
もう、不安は消えた。
手術当日、私は、熱を出した。抗原検査は陰性だったが、万が一を考えて、術後の面会(立ち会い)は、娘に行ってもらうことにし、私は、自宅待機だ。
手術時間は1時間。夫の手術も無事に終って、佐々木先生立会いの下、娘が面会に行った。
こんなやり取りをしたらしい
「ふみさん、娘さんが来てくれましたよ~。何かありますか?」
「………」
「僕がいると話しづらいかもしれませんね、ちょっと席を外しますね」
「お父さん、お母さんに何か伝えることある?」
「あいしてるって……」
全身麻酔でゆめうつつだったのだろう。ついぞ聞いたこともない台詞だ。
「分かった、伝える。他には?」
娘の顔をじっとみて、
「ブスにまた会えて良かった」
と言いおった。カチンときた娘は
「……あっそ。私もこんなブ男と会ってたら帰りがラッシュになるから、もう帰るわ」
と言い捨てて、面会を終了した。佐々木先生がその速さに驚いていたらしい。
夫は、無事に退院し、良好だ。歩き方も少し改善し、突然の目眩はなくなった。活動的になった
「だ~!そうだった!認知症の介護ってウザイもんだったわ」
娘はそう叫びながらも、嬉しそうだ。呆けてる父親より活動的な父親の方が良いらしい。
佐々木先生は相変わらず、忙しそうだ。かかりつけの内科医に、佐々木先生に手術をして貰ったと報告すると、よく部下でなくご本人に手術してもらえたねと、驚かれた。私は知らなかったが、高名な先生だったらしい。確かに、自分への紹介は家族が医師というケースが多いと言っていた。それに、検査入院ですら、7週間先まで詰まっているとも。もしかしたら、甥の存在が効いたのかもしれない。甥もまた、手術の日程に驚いていた。「学会が近いから、追加の手術なんてそんな余裕ないはずなのに、無理して入れてくれたのかな……」真偽のほどは定かではないけれど。
娘が、老害、老害と言っているのをみながら、佐々木先生に診て貰えなければ、こんな光景にありつけなかったなと、思った。セカンドオピニオンの重要性と、もしかしたら、甥の存在。この日程で手術できたこと。遠縁だろうとなんだろうと、医師の知り合いというのは頼るべきなのかもしれない。
そして。
愛してる、か。結婚のときすら言われた事がない。
夫は認知症だ。言ったそばから忘れていく。でも、その時に感じる感情はあるのだ。
入院中の手術への恐怖はどれだけだったろうか。
俺は何で此処にいるんだっけ?と看護師に何度も訊いただろう。手術のためですよ、と返される度に、「また家族の顔を忘れてしまうのか」、と、初めての恐怖をあじわうのだ。
健常者の恐怖は時間と共に軽減していくものだが、夫は何度も手術への恐怖を初めてうけるのだ。何度も辞めたいと思っただろう。ただ、夫は私達を想い、耐えてくれたのだ。前の病院から帰ってきたとき、手術が怖いと言って泣いていた。主治医が変わってもそれは同じだったろうに、何も言わないでくれていた。
前の手術から、40年、後遺症と二人で向き合ってきた。
愛してる、それは、全てが私に響いた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
本当は水頭症の手術についてわかりやすく掲載している病院のURLを載せたかったのですが、規律違反になっても怖いので掲載しません。
悩んでいる方がいらっしゃいましたら、水頭症、タップテスト、手術、で調べてみてください。
この小説が誰かの役に立てば幸いです。
ドクハラとセカンドオピニオン @ninnin_k
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