第一章

入学式と同じく、桜の花びらが舞う春の日、俺、矢部浩二は新しい学期の始まりに少しの期待と不安を抱いていた。新しいクラスが始まる緊張感とか、仲良い友達がいればいいなーとか。

正直ワクワクしてたのを覚えてる。

教室に向かうとき、職員室前で不安そうに俯いてる女の子がいたんだよ。

不安で仕方ないって顔だし、

薄いピンクのランドセルが重そうに見えたから、俺は声をかけたんだ。

まだ彼女がどこのクラスかとか知らんけど。


「あれー?転校生?どこのクラス?先生誰だった?」


女の子は少し驚いたような顔をして、それから小さな声で


「・・・今日から転校してきたんです・・・。その、何にも教えてもらえてなくて・・・。」


今思うと彼女は困ってたんかもしんない。俺はつくづくアホだった。


「矢部!新入生の子と仲良くなるのはいいけどそろそろ時間だぞ!」


「やべっ!矢部だけに!アザース先生!んじゃ転校生ちゃんバイバイ!」



・・・そういや遅刻してたっけ。

くそしょうもないギャグとかなんやかんやあって、教室に入ったあと、その少女とは再開するんだよな。


なぜかひと席空いてるクラス。


ホームルームを終えた後教室を出て誰かを連れてくる先生。


クラスメイトの視線に緊張して、不安そうだけど、一歩前に出て。


「・・・こんにちは。花村美咲です。」


「彼女は花村美咲さん。今日から転校してきました。仲良くしてくださいね。席は彼、矢部浩二くんの隣に座ってください。」


先生の説明中に目が合う。すると不安げな顔が晴れる。


「・・・これからよろしくお願いします!」


ニコッと微笑んでお辞儀をする。俺は春風を感じた。忘れられるわけがない。


その時は少し、風邪を引いたかもって疑った。


外を走った後みたいな暑さが、


苦しくない心臓の鼓動が、


全てをふわりと包んでくれる感覚が、


友達以上になりたいって思った気持ちが、忘れられない。


美咲が俺の隣の席に座る。


「えへへ。さっきぶりだね。矢部くん。」


「え、え!さっきの転校生ちゃんってオレと同じクラスだったの!?というか!よろしく!花村さん!」


「うん。よろしくね。矢部くん!」


・・・それから俺たちはいつも一緒だった。授業中の班も、休み時間も。そりゃあ、仲良い友達とも遊ぶけど、なんだか美咲とはちゃんと遊びたいって気持ちがあってさ。

土日に学校近くの公園で集合したり、しまいには美咲の家族とも面識ができたりした。


もう、幸せ真っ只中!!リア充しまくりー!というか、そういう時間がたまらなく楽しかった。


でも、小5、小6と上がると、周りの目は、変わっていく。

最初は軽い小突き程度だった。

「また矢部と花村がイチャイチャしてやんのー!」


「バカップルー!」


それくらいならまだしも、だんだんとエスカレートしていく。

特に小6になってからは、クラスメイトたちの反応が変わってきた。性に関する知識が増え、興味本位の噂話が始まりだした。


ある日、放課後の教室で男子たちが俺と美咲の関係で話しているのを耳にしてしまった。


「花村が矢部の家に一緒に帰っていった話を聞いたぞ」


「矢部のやつ、もう花村にあんなこともこんなこともしてんだろな」


「怪しいな もうできてんじゃねえの」


この話題がエスカレートしていて、胸が苦しかった。美咲のことをそんなふうに言われるのは辛かったし、彼女に対する気持ちも複雑になった。



さらに、女子たちも陰で美咲のことを話しているのを聞いたことがある。


「花村って 矢部くんと仲良すぎない」


「おかしな噂が流れてるし」


「どうせ 気に入られたくて必死なんでしょ」


「あんなくっついてたらみんな噂するでしょ」


美咲も、この噂や言葉にどう反応すればいいか分からず、次第に元気を無くしていった。

冷たい視線、裏での悪口が。

俺はもう、どうすることもできなかった。

トイレに行くって言ったきり、教室に戻ってこなかったこともある。

心配して探しに行くと、トイレの隅でひっそりと涙を拭う美咲を見つけた。


「美咲、大丈夫か・・・?」


声をかけても、


「・・・大丈夫だから。心配しないで。浩二くん。」


笑顔を作って、痛いのを隠して。俺には心配させないと我慢する彼女に、俺はどうしても苦しくなって。



追い討ちをかけるように、ますます陰鬱な噂が広がった。俺と美咲が一緒にいるだけで、

何か悪いことをしたように扱われ、無視されたり、性的な噂で中傷されて、美咲の心はどんどん疲弊して・・・。


重くて、


暗くて、


クソッタレで、


心を締め付ける痛みを我慢する美咲に、



俺は。



放課後、植物たちが落ち葉となって、次の春に蓄える夕暮れ時。

日直で美咲と俺は久しぶりに一緒に掃除をすることになった。あの日。

ほうきで黙々とごみを集めた、あの日。


俺は忘れない。


「とっとと消えろよ。疫病神」

「あいつ、転校してきたのって、男を食べて遊んだかららしいぜ」


・・・黙れよ。



「あいつが矢部浩二?ヤった張本人?気持ち悪い・・・」

「矢部、俺あんまりだわ。全員仲間だなーみてえな顔が気持ち悪い」

「もうエイズの噂もあるんだとよ。やべーよな」


そんなこと、美咲にするもんか。


「花村って子、前もトイレにいたよ」

「身篭って苦しいとか?」

「ほんと後先考えないよね。」

「あーあ。矢部くんかわいそー。あんなビッチに目をつけられちゃってさ。」


・・・は?

掃除の手が止まる。


「とっとと転校しろー」

「学校が汚れるわ!」

「消えろ」

「消えろー」


美咲の鼻をすする音が聞こえる。


「泣いた!キモい!」

「泣いたら許されるって思ってるんだ!」

「おいオウジサマ!早くプリンセスをたしなめろよ!」

「自慢のほうきで黙らせろ!ギャハハハ」



「なんで・・・」

「こ、浩二くん・・・?」


「なんでっ!美咲がこんな目に合わなくちゃいけないんだ!

美咲はっ!何も悪くない!なのにっ、どうしてオレたちが苦しまなくちゃならないんだ!」


「やめろよ矢部。お前がキレたところで、何にも変わんねえよ。」


その言葉が俺を駆り立てたことを、はっきり覚えてる。


「ああああああああああ!!!!!」


初めて、殺したいって思ったこと。

本気で殴っても、美咲の痛みを理解されないこと。

俺が怒っても、美咲の傷を癒せないこと。

俺に降りかかる暴力になんか、屈してやらない。



「や、やめてっ」


美咲には悪いと思ったけど、許せないんだよ。

袋叩きになっても、俺は、俺は・・・


「やめて!!」


美咲が俺を抱きしめて止める。


「悪いことは、悪いことだけど、暴力は、よくないよ・・・ぐすっ」


・・・本当は、こんなこと、したくなかった。美咲のためを思ってやったことが、美咲を苦しめてしまっていた。暴力なんかに頼った俺は、君になんて相応しくない。

ごめん。美咲。ごめん。


ただただ、その日はずっと叫んだ。


俺が招いた事件から少し経った冬休みに校長室で

お偉いさんと俺たち家族が集められて、校長先生が淡々と、確固たる口調で告げた。


「矢部くん、花村さん。あなたたちの問題が学校内の秩序に影響を与えていると報告がありました。」


「あなたたちが共にいることで、周囲の生徒たちに多大なストレスと混乱を招いています。このままでは安全が保証できないため、新たな環境で中学受験にスタートを切ることが最善だと判断しました。」


中学進学に入る寒い時期に俺は大変なことをした。

美咲は関係ないのに、美咲もまた転校するハメになってしまった。

でも、お偉いさんからの話には冷静に受け答えしていて、俺はただ真っ白で。

地元から遠く離れた中学に進学し、高校に行くことが決定したとか、のペーって聞いてた。


堅苦しい話を終えて、


「もう、美咲ちゃんと会えるのは最後かもしれないから、浩二、美咲ちゃんといっぱい、思い出残すのよ」


って母ちゃんに言われて、俺は美咲と教室を回ることにした。

したけど、あんまり喋られなかった。

顔のあざが痛くて、喋られなかったんだよ。

美咲は大事にするみたいに、教室の机とか、図書館の本とか、丁寧に触れるんだけど。

俺は苦しくてできなかった。

この本で、あの痛みを堪えたのかとか、

守れなくてごめん、とか、

もし、あの喧嘩で本当にあいつをこーー

「・・・痛く、ないの?」


「・・・痛く、ねえよ」


「・・・ごめんね。浩二くん」


「謝るなよ。美さ、お前の、せいじゃ、ねえ」


「あのね、私っ」




痛くて言えなかったこと。




「なあ、花村」



「こ、浩二くん・・・?」




そう、これは。悪者の俺のためだ。




「縁をきろう」


「っ!」




彼女を傷つけた、俺の罰。




「な、何言ってるの」




美咲を、直視できない。

俺が俺に課した罰。




「オレ、実は花村のこと、嫌いなんだよ」




こうでもしないと、俺はまた君を求めてしまう。




「やめてくれよ。苦しいんだよ。離れてくれ。

もう、迷惑なんだ。

オレはただ、転校生の友達っていう肩書きが欲しくて仲良くしてやったんだ。

こうやって周りから陰口を言われるために絡んでやったわけじゃねえ・・・。

はは、ほんと、疫病神だな。お互いに。」




ごめん、ごめんっ、本当はそんなこと思ってないんだ。




「日に日に女になりやがって。そりゃあ男も群がるわ。そのせいで陰口が増えたんじゃないのか?」




違う!違う!!




「はーあ。なんでこんな小学校に入っちまったんだよ。オレの両親もつくづくアホだな。」




本当はとっても嬉しかった!君みたいな素敵な人、俺にはもったいなかった!

学年が上の人からの告白を断って、

俺との生活に賛成したせいで、傷ついた君を見るのが苦しかった!!




「こうなるんなら、花村とは会いたくなかった。

だから、オレは、最悪だ。

こうなるんなら、陰口を言われる間に死ねばーー


パチン!と頬を叩く音。



「浩二くんのっ!!ばかっ!!」


そう言って美咲は走って行った。

それからはもう出会うことなんかないと思っていたのに。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「っは!!!

ここどこ!??」


「うわびっくりした!」


「うわあああ!」


「こら!静かにしろ!」


「「さーせん!!」」


なんか失神してた。と言うかここどこ?さっきまで式典専用の部屋みたいなのに居たけど、

ここ教室?


「・・・ここは教室だ。」


「あれ?先生、俺喋ってる?」


「考えてること全部漏れてるぞ」


「おほん、では改めて、出席をとるぞ。今年一年、世話になる同級生の顔と名前を覚えるように」


出席か。

ボーッと聞いてると、俺の番が来る。

当たり障りのないことを言って終わらせるか。


「寝ぼけてました、矢部浩二です。よろしくー」


よし。当たり障りのない穏やかな返事だ。

その後、左後ろの席から。聞こえた。

聞いたことはあるか?

夢に出てくる人に対して好意を寄せていると言う言い伝えを。


「新入生代表として挨拶した、花村美咲です。よろしくお願いします。」


「!??????????????」

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