第2話
疲労による骨の叫びと筋肉の悲鳴が聞こえて、俺は目を覚ました。軋む身体を叩いてリビングへと向かう。母さん特製のポトフの香りがして、少しばかり頬を緩ませてリビングのドアを開いた瞬間、俺の顔は思いっきり引きつった。大画面テレビでは、マイクを持って客席にウインクする俺 ......いや「ボク」がそりゃあ可愛い笑顔で踊っていた。
「何? 姉さん、本物がいるのにこんなDVD見てたの?」
素早くチャンネルを変えて、ポトフを温めなおす。今日も母さんと父さんは仕事か。
「ニュース番組だよ」
「こんな美少年のライブとか重大ニュースか」
「こんなボサボサの髪で、だるそうにしてる子が、あの大人気アイドル『美空 星弥』だとは思えない」
「美少年は変わらないでしょ」
程よくこぽこぽ言い出したスープを皿に装いテーブルにつけば、姉さんはトースターで焼いたフランスパンを出した。
「元はと言えば姉さんが悪いんだろ」
ラスク状の固いフランスパンを応急処置の様にポトフに浸す。アイドルの白い歯折らせる気かよ。
「応募しただけじゃん。怒らないでよ」
そう、姉さんが勝手に応募したことからアイドル「美空 星弥」は始まった。昔から俺は、こんな性格だった。姉さん曰く、高飛車で人を小馬鹿にしていて、それでいて猫かぶりの上手い世渡り上手。あまりにも不甲斐ない称号ばかりだったが、正直否定する気はない。俺は甘いマスクだからモテたし、目を潤ませるか、微笑んで首をかしげるかすれば大体の我儘は曲がり通った。そんな性格の俺を懸念してか、好奇心か知らないが姉さんは俺の履歴書を某有名アイドル事務所に送り付けていたらしい。そんな職業に興味なかったが姉さんが「俺のファン一号になる」なんて言うから面接を受けてみたらするすると合格。アイドルデビューが決まった。コンセプトが、「キラキラ弟系アイドル」と言われた時は社長の頭を疑ったが、これだけ人気になってしまえば、あの人は才能を見抜く天才だと認めざるを得ない。
「だって星弥にはお星さまみたいにキラキラな世界が似合うって思ったんだもん」
テーブルをはさんだ向こうで微笑む姉さんの破壊力は計り知れない。これ、俺(超人気アイドル)の姉だからね?
「そりゃ......どーも」
程よく柔らかくなったラスクを口に流し込む。こっち見んな、馬鹿姉さん。
「今日オフ?」
遠慮がちに伏目をするのは、彼女が甘えたい時にする癖だ。ちなみに俺も仕事の参考にしている。
「何? 何か頼み事? 姉さんが可愛くオネダリできたらやってあげる」
小悪魔チックに口角をあげれば、少しも動じない姉さんは嬉しそうに笑った。あれ?give&takeって言ったのに。
「あのね、一緒にお買い物してほしくて」
「ハァ?」
罵りがたった一言で済んだということを褒めてほしいくらいだ。姉さんは天然と言えば聞こえはいいが、馬鹿だ。時を駆けるアイドルと一緒に買い物とか......いくら「姉弟です」って言っても週刊誌は面白がるに決まっている。
「星弥のセンスでお洋服選んでほしいんだけど、......ダメかな?」
洋服......それは悪くないかも。しかも俺の趣味でいいの? プルプルとしているように見える姉さんが演技だったら女優になれるだろう。馬鹿だから、無理か。
「分かったよ、でも夜ね。こんな真昼間から歩いたら騒ぎになるし」
「ありがとう、星弥!」
こんな阿保で面倒な願いをきくなんて俺も大概姉さんに弱い。俺まで頭の螺子を落としてしまったのだろうか。馬鹿は伝染するっていうけど気を付けないとな。はしゃぐ姉さんを後にして、部屋に戻る。
とりあえず時間つぶしのために、次の雑誌のインタビュー内容に目を通して、微笑みな がら応対練習をする。可愛くて世間受けがいいと思われる当たり障りない言葉を連ねていくだけだが。
『Q.好きなものは?』
「ライブの時のピンクのサイリューム! お星さまみたいでキラキラだもん♡」
馬鹿か。無機質な光如きを好きなわけあるか。俺の好きなものなんて姉さんだけだ。俺がキラキラした芸能界にいることを姉さんが望んだから俺はこの世界にいる。張り付いた仮面は俺の商売道具だ。これが外れるのはこの家にいる時だけで、「星弥」が「俺」としていられる時間。姉さんはいつも傍にいてくれる。彼女はいつだって、ぬけてて馬鹿で俺が守ってやらないとって思わせるくせに俺を守ろうとしてくる。
「阿保らしい」
紙をぽいっと放って、ベッドに倒れ込む。芸能会なんて実際は全然キラキラなんかじゃないし、寧ろ荒んでいるけど、それでも俺は彼女が嬉しそうに笑うだけで、こんな嘘みたいな笑顔も人格も良しとしてしまう。十七年間で芽生えて人知れず育ってしまったこれはいつの間にか禁断の果実に育ってしまった。日に日に艶を増す毒々しい赤を掻き消すように俺は瞼を伏せた。
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