第6話 第五部、「花開く涙」

ああ、疲れた。走馬灯を見ることはすごく精神力がいる。知りたかったことも知りたくなかったことも、容赦なく映像として見せつけられてしまうから、上映が始まるたびに心がぴーんと張り詰めてしまう。


ざーっと砂嵐が騒いでいる。きらきらと輝く青白い星の光は、砂嵐と同じくちらちらと揺れている。それを見ていると、ある時の記憶がどうしても思い出されてしまう。


あの時、あの人も泣いていた。私の目からはこぼれない涙が、きらきら光っていた。頬をつたう滴はちらちらと揺れていた。


その時を思い出したことが引き金になったようで、カラー映像の上映が始まる。その映像はちょうど、私が思い出していた記憶だった。私が思い出せる、一番古い記憶。


それは、私が初めて花をこぼして泣いた時だった。




それは、病院の病室の中だった。私はベッドの上で体を起こしていて、看護師さんが採血のために、私の腕をまくって消毒をする。


「ちくっとするからねー、頑張ろうねー」


妙に間延びした声とともに、腕にぷすりと銀色に輝く針が刺さる。その刺激は、なんだかいつもよりかなり強く感じで、私は思わず涙をこぼしてしまった。それは涙となり、あたたかい滴として、頬をつたうはずだったのに。


「え、花?」


看護師さんの声が、どこか遠くに聞こえる。すべての音が、遠のいていく。


私の目からこぼれ出たのは、血のように紅く鮮やかなチグジリア。花言葉は、「私を助けて」。採血が怖い、できるならやめてほしい、助けて。確かにそう願ったけれど。というより、この花がどこからこぼれ出たのか、わからなかった。


いや、わかりたくなかった。


「先生!花が沸いて出ました!」


要領を得ない叫び声をあげながら、看護師さんが慌ててどこかへかけていく。バタバタとたくさんの足音。真っ白なシーツの上に、ポトリと一輪だけ落ちた満開の真っ赤なチグジリア。私の目より、はるかに大きな花びらがゆらゆらと揺れている。


呆然とした。何も考えられない。怖い。何?花?血のように紅い、毒々しいほど鮮やかな花びらと花芯。百合のような香りが、病室を満たしていく。


思わず、花を握りつぶした。自分の戸惑いも恐怖も、全部握りつぶすように。もう目の前に現れないように、かたくかたく握りしめた。


手の中で、じっとりと湿った草いきれの匂いがした。


その後。電話で両親が呼ばれ、私は家族と連れ立って、お医者さんの説明を受けた。お医者さんが流麗なつづり字で書くカルテには、私にはわからないアルファベットの羅列ばかりが並ぶ。お医者さんの言葉も、まるで理解不能な言語の羅列を聞いているようだった。


「いまのお子さんの状態に対する説明は以上です。目から花が生成され、涙のように零れ落ちている。こんな事例は、世界を探してもどこにもありません。そのため、国が運営する集中治療室にて経過を観察し、今後の医療界に役立てるためにカルテを書かせていただきたいのです。」


そのまましばらく、両親とお医者さんは話し込んでいた。やがて両親が、聞いたことのない声音で言った。絞り出すような、言い聞かせるような声だった。


「わかりました。それで娘の病気が、治る可能性があるなら。」


私を置き去りにして、私を飼い殺しにするための手続きは進んでいく。今入院している病院から、別の病院の特別病棟に移動すること。そこからはこの病気が治るまで出られないこと。体を定期的に精密検査にかけること。学校には行けないこと。


もう私は何もできないの?さびしい。悲しい。訳が分からない。助けて。


そんな思いで、両親に手を伸ばしたとき。私の目からは、たくさんのチグジリアがあふれ出ていた。赤、黄色、紫がかったもの。毒々しいくらい新鮮で鮮やかな色が、恐ろしいくらいの勢いで目からあふれる。


「私を、助けて。」


そんな花言葉を持つ、私が生み出した花たちは、その場を凍り付かせるのに十分だった。大きく見開かれた、両親の目。その目には隠し切れない、嫌悪と焦燥の色が入り混じっていた。


芳しい花の香りを纏って花をこぼして泣く私に、手を差し伸べてくれた人はいない。


私は自分が生み出した柔らかい花びらに埋もれて、ぼやけていく視界を閉じた。


最後に見た両親の頬には、キラキラ光り、ちらちらと揺れる、暖かそうな澄んだ滴がつたっていた。






ぽとり、と涙の雫が落ちたところで、映像は途切れた。私のこぼす花はさぞ恐ろしく映ったのだろう。眦から、まるで涙が花開くように、花が咲いては落ちてくるのだから。そんな人ならざるところを見てしまったら、誰だって嫌悪感を抱くだろう。


ああ、でも。両親のことを、この時はまだ信じていたんだっけ。


移った先の病院にも、忘れずにお見舞いに来てくれる。直接触れ合うことはなくても、ぬくもりを分けるように微笑んでくれている。そう信じていた。けれど、今ではそれが嘘だと知っている。


「まるで化物。私たちと同じなんて思えないわ。」


あざけるように吐き捨てるように、喋る声が聞こえる。私は化物だったのかな。


もう、わからない。


いっそのこと、涙の粒が種だったらよかったと思う。だって種なら、いつか芽吹いて花が咲く。涙の花が、いつか咲き誇る。そうして涙が花開いても、誰も何も言わなかったら、そういう涙だったなら。


私は、人間でいられたのかな。


そんなことを考えた時、また、透明だった柱の一本がぱっと光った。


濃い藤色の光を放つ柱の隣。「寂しさ」をともして光る柱の隣。


そこにともったのは、自分を嫌って周りを遠ざけた、臆病な私にふさわしい色。


見ていると自分を無性に責めたくなる、毒々しいショッキングピンクが輝いていた。




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