第5話 第四部、「消し去ったこと」

柱が三本光った、東屋の中。私は、再び砂嵐の映像に戻った星空のスクリーンを眺めていた。星座の存在しない星空を見ながら、ぼーっと考える。


きっとここは、私が隠していた、もしくは忘れていたことを思い出させてくれる場所なんだろう。それは、何だっていい。感情でも、思い出でも、なんでも。私が思い出せなくなったことや、無意識に感じないようにしていたことならなんでも。


それならば、と私はあることを考えた。


あのモノクロ映像で上映された、幼いころの記憶についてだ。あの記憶が無意識に忘れていた記憶であるなら、私は病院の外で暮らしていた時期があることになる。そして私が生涯入院していたのは、この「花涙病」のせいだ。


ということは。私は、幼少期のある時期に、「花涙病」になったんじゃないか?


だって、この病気が無ければ、私はいたって普通の一般人だ。別の重い病気があったわけでもないし、経過観察でも問題はなかった。


それなら、知りたい。私がどうして花涙病になってしまったのか。生涯入院生活を送ることが決まったのは、いつなのか。


そう思った時、ちょうど星空のスクリーンの映像がはっきりしてきた。ここの映像を見ているうちに、もしかしたら私の望む映像が流れてくれるかもしれない。


私は食い入るように、モノクロ映像を映し出したスクリーンをみつめた。




「ねえ、どうしてままやぱぱは泣くの?」


「それはね、苦しかったり、悲しかったりするからさ。人間は、苦しみや悲しみを涙として流して、心に溜まらないようにする生き物なのだ。」


「ふうん。」


幼い私が、虚空に向かって話しかけている。いや、よく見れば、そこには不思議な色合いの蝶々がいた。ちょうどここの星空のような、明るいのにどこか夜空を思わせる色の羽の蝶々だ。モノクロ映像だと言うのに、その蝶々だけははっきりと色づいている。蝶々からは、子供のような大人のような、ひび割れたような澄んでいるような、不思議な声がした。この世のものとは思えない、奇妙な声だった。


「そして、涙を流した後は前を向いて頑張るのさ。そうやって心を涙で洗い流すと、楽になれるんだ。ところで、なんでそんなことを聞くんだい?」


「あのね、ままに言われたの。『あなたがどうして泣くのか、時々わからないの』って。ねえ、私は、ままをこまらせる悪い子?」


「いや、悪い子なんかじゃない。人は、自分の気持ちすら見失うもんだからな。自分以外の気持ちなんて、わかるもんか。」


「そういうもの?」


「そういうものさ。」


この時の私は、幼稚園に通っていたのだろう。見覚えはないが、鞄や被っている帽子に「かえで幼稚園」と刺繍が入っている。そのまま、蝶々と幼い私は他愛もない話を続けていた。


「なあ、自分の気持ちがわかるようになりたいか?」


ふいに蝶々が言った。幼い私は、眼をぱちぱちと瞬いたあと、にっこりと笑った。


「うん!そしたら、ままに聞かれてもなんで泣いちゃったか、言えるもん!そしたらさ、まま、困らないでしょ?」


「くく、そうか。なら、わかるようにしてやろうか?」


「ほんと!?できるの?じゃあやってやって!」


私がそう言った瞬間、今まで地面で羽を閉じていた蝶々が、ふわりと飛び上がった。そして、私の周りをくるくると三回ほど飛ぶ。蝶々の羽からは、光を跳ね返してキラキラ輝く鱗粉が落ちてきて、幼い私の目に入っていく。


「うわ!これなに?」


驚いた幼い私は、眼に入った粉がかゆかったのか、眼をごしごしとこする。けれど粉は涙と一緒に出てくることはなく、私の眼へと吸い込まれていった。


「これでいい。よかったな、これで自分の気持ちがわかるだろうさ。それに、これからはもう、泣かなくて済むぞ。目から涙は出ないだろうからな。」


「そんなこともできたの?すごいね!ありがとう!」


「なんてことはないさ。どういたしまして。」




明るい顔で嬉しそうに笑う幼い私を映して、映像は終わった。食い入るようにスクリーンを見ていたせいでしぱしぱと痛む目を、私はごしごしとこする。


これでわかった。私の病気は、十中八九この時のことが関係しているのだろう。私が「自分の気持ちを知りたい」、「泣きたくない」と望んだから。この蝶々の正体はわからないけど、私が望んだから、本当に善意で私を作り替えたのだろうなと思う。


それにしても、生涯苦しむなんて、この時の私は想像もしなかったんだろう。ただ一時の願いは実現されて、その代償はとんでもなく大きなものだった。私は生きている間、ずっとこの体が憎かった。何度「この病気が治れば」と願ったか忘れたくらいに、自分の体が治ればいいと願っていた。


けれど、忘れていた。こんなふうに、無邪気に何かを願うことを。


誰かのために、自分の為に。自分の願いを、何の疑いもなく、素直に口に出すことなんて、とっくに忘れてしまっていた。だって、心臓に巣食う花は、花があふれるたびに育っていく。家族の心も、お医者さんの必死の努力も、諦めとともに私のもとから去っていく。花をこぼして罪悪感と虚無感に襲われて、涙で洗われない心はどんどんくすんでいく。


願いはいつしか、「叶わない夢物語」と私の中に刻まれた。


けれど、許されるなら。走馬灯を見ている今、願ってもいいなら。


「私、もう一度こんな風に願いたい。こうなりたい、ああしたいって、本当に叶うかもしれないって希望をもって、もう一度。」


思わず胸の前で祈るように手を組んで、私は叫んだ。それは、確かに私が今まで忘れていた「渇望」だった。


その瞬間、朱色に柔らかく光る柱の隣の柱に、色がともる。


未来を連想させる、まだまだ成長する新芽のような、目の覚めるような若草色。


それが、私の「願い」の感情の色だった。






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