第2話 第一部、「直近の出来事」

降りてきた夜のとばりいっぱいに、映像が映り始める。少し昔のブラウン管テレビのように、しばらく砂嵐を映していた夜のとばりは、次第にはっきりと像を結んだカラー映像を上映し始めた。


まずは、窓越しの桜のアップから。ああ、これは最近のことだ。記憶がすぐに蘇る。




あの日は、私が中学生になる日だった。一応入学手続きはしたものの、病を患うこの体は病院から出られない。だから私は一人で、窓越しの桜を眺めていたのだった。


リーン、とチャイムの音が鳴る。病院の近所の学校のチャイムだ。毎日聞いていて、それは聞きなれたもので、今日だっていつものようになっているだけ。


そのはずなのに。


気づけば、ぽろりと目から花がこぼれていた。今日の花は、アネモネとキンセンカ。花言葉はそれぞれ、「見放された」と「寂しさに耐える」。ああ、まただ。


私には、生まれついての持病がある。しかも、私以外に患者がいない、世界でも前例のない、世にも奇妙な病だ。


題して「花涙病かるいびょう」。ある一定の感情をいだくと、自分の意思とは関係なく、涙のように花を目からこぼしてしまう病気だ。そしてこぼす花の花言葉が、その時キャパシティを超えてあふれてしまった感情を表している。


私は、よくキンセンカやアネモネをこぼしてしまう。私以外誰もいない病室は、どうしても寂しい。私は治らないから、お医者さんに見放されたように感じてしまう。


そうして私が花をこぼして泣くたびに、心臓の花が花開いていく。定期的にとっているレントゲンでは、おぼろげながらそのシルエットが見える。小さいころは萎びた蕾だった心臓の花は、十二歳になった今となっては、今にも綻びそうなほど大きく膨らんだ蕾となっていた。私の命のリミットは、もうすぐなのだ。


もう一度、こぼした花で手遊びしつつ窓を見やる。道路に吹く桜吹雪。入学式に出るのだろう、真新しい制服の少年少女。スーツでぴっしりと固めたそのご両親。そして、そんな当たり前の風景は、いつだって私とはガラス一枚隔てた向こうにある。


それが私の日常で、当たり前。それはもうずいぶんと前に、受け入れて咀嚼して、飲み下してなかったことにしたものだったのに。


今日は無性に、その「当たり前」が恋しくなってしまった。いや、うらやましいんだ。生まれながらに病院から出られない私には、そんな「当たり前」があこがれだったから。


「いいなあ。」


ぽつりと、思わず口をついて出てしまった言葉は、なんでもない顔をして飲み込んでおく。そうすれば、ほら、いつも通りの私だ。さっきまでこぼしていた花は、手の中に握りこんでぐしゃぐしゃにして、ベッドのそばの屑籠に放り込んだ。




そんな記憶が、満天の星空いっぱいに上映された。最後は、屑籠に放り込まれた、黒ずんでずたずたの鮮やかな花たちのアップの映像。そして舞台が暗転するように、星空のスクリーンは再び、砂嵐の映像を流し始めた。


そうっと、誰にも聞かれないようにため息を吐いた。確かにあのとき、私は泣いた。さびしかった、かなしかった。どうして私ばっかり普通じゃないの、って。けれどそれは、私が言ってはいけない言葉。私のもとにお見舞いに来てくれる両親も、今後の世界の為にこの病気の検査をし続けるお医者さんにも、これからいつか私と同じ病気にかかるかもしれない人にも、失礼だから。


だからあの時、私は口をつぐんだ。唇をかんで、声を押し殺した。


けれど。


誰も聞いていないここでなら、いいかもしれない。


「入学式に行きたかった。友達を作ってみたかった。校門のところで写真を撮ってみたかった。両親と家で暮らしたかった。そんな当たり前を当たり前に享受していたかった!どうして私ばっかり、あきらめなくちゃいけないの!」


肩で息をするくらい、大きな声で叫んだ。寝たきりだった体は貧弱で、すぐに喉から出る声が掠れてしまう。けれど。それでも。


「私だって、憧れたかった!」


そう叫んだ瞬間、傍の柱にパッと光がともった。今までスクリーンの色を映すだけだった透明な柱に、色がともる。


その色は、見ているだけで心が沸き立ち輝いてくるような、煌めく朱色をしていた。

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