42 夜会(2)
「どうだ、案外悪くないだろう?」
なにが「悪くないだろう?」なのだろうか。
ノエルは感情を押し殺しながらも、周囲にぎりぎり聞こえないような声でシルヴァンに抗議する。
「俺は、男だぞ……!」
「そのような言葉遣いは謹んでもらいたいのだが、ノーラ嬢?」
「……………………」
シルヴァンの飄々とした物言いに、ノエルは思わず黙ってしまった。
……卑怯だ。
この会場では、ノエルは「騎士団長ノエル」ではなく「一端の令嬢ノーラ」として振る舞わなければならない。これは二人で交わした作戦であり、現状、それを押し通すべきなのは確かである。
だがこのシルヴァンという男は、その状況を上手く利用し、ノエルをからかうために用いている。
……次第にノエルは腹が立ってきた。
シルヴァンは、この国の第一王子。
顔も良い。臣下からの忠臣も厚い。完璧な人間だと周囲からは持て囃されることも多い。
ノエルはそんなこの男との付き合いは長い。もはや上司と部下という関係すら超えている。
だからこそ、このシルヴァンという男の軽薄な面も知っている。傍から見ているだけならば、なんとも思わないのだが……。
それが今、自分に向けられているということが、ノエルの反骨心を煽る。
――だからノエルは、挑むような気持ちでシルヴァンを見上げ、宣戦布告の笑みを向けた。
体を一歩引き、腰に添えられようとした手を躱す。そして、円を描くように刻まれるステップへ織り交ぜるように、変則的な動きを取り入れる。もちろん周囲には分からないように、だ。
(どうだ?)
普通なら転びそうになる難しいステップだ。
これで思うがまま慌てるように踊ってくれたら、それはもう愉快な光景だ。
「ほう? 案外じゃじゃ馬なんだな」
だがシルヴァンは、見事に適応してみせた。
……しかも余裕ぶった笑みを見せながら。
一瞬手放した主導権をすぐに取り返すかのように、シルヴァンは大きく右足を踏み込んだ。踊らされることがないよう、しかし決して調和を乱さぬよう、ノエルの手をぎゅっと握りこむ。
――そしてまずいと思った瞬間には、ノエルの体はくるりと一回転させられていた。
優雅で華麗なターンが決まり、赤いドレスがふわりと舞い上がる。
そうしてノエルは気づく。
してやられたのは、ノエルの方であった。
……だがまだ諦めるのには早い。
ようやく慣れてきたヒールを鳴らし、更に激しく難しいステップをシルヴァンに強制する。幸いにもアップテンポな曲調だ、違和感はない。
シルヴァンの間合いにぐんと踏み込みながら、もはや転ばせるような勢いで仕掛けていく。
「お前、激しすぎるぞ……」
シルヴァンは困ったように言うが、その反面、彼の表情には未だ余裕の笑みが浮かぶ。
実際、近距離で踊っているのにも関わらず、ノエルの働きかけは全く持って綺麗にいなされていた。不本意ながらも、くるりとターンを決めさせられ、より一層ステップは激しいものになる。
(重心の分散が上手いな……)
ノエルは心の中で、シルヴァンを褒めた。
なにせ彼は騎士団の総長。シルヴァンはその名に恥じぬ優れた剣裁きを持つ。身体能力は当然高いのだ。
そんな彼にとって、ダンスのステップ程度の重心操作なんぞ、お手の物だった。
そんな二人の動きは、すでに社交用としてのレベルを超えていた。
ノエルはこの時気がついていなかったが、二人は周囲からの注目を大きく集めていた。
はじめは、シルヴァン王子のリードが上手なだけだと侮っていた者もいた。だが、やがて時間が進むにつれ、そんな声は消えていく。
ダンスというのは言わば共同作業。片方が上手いだけでは成り立たないのだ。多少なら誤魔化せるかもしれないが、目の前の踊りはそんなレベルをとうに超えていた。
「次は何を見せてくれる?」
シルヴァンの挑発に乗るかのように、ノエルは小さくジャンプをして、くるりと回る。右足から左足へと滑らかに重心を移動させながら、華麗に腰をくねらせる。
ノエルにとって、女性側として踊るのははじめてだ。だがその動きは頭に入っているし、ある程度予想できる。
だからこそ、シルヴァンをリードできると勘違いしていた。
だが悔しきかな、美しく踊らされていたのはノエルの方であった。
再び大きく踏み込んだノエル。それは勝負の瞬間でもあった。
――が、シルヴァンの方が二枚も三枚も上手だった。
シルヴァンは咄嗟にノエルの腰を抱き寄せる。そして、ふわりとその体が持ち上がったかと思えば、ノエルの上半身を倒し、足元をすくい上げるような形になった。
やや強引に覆いかぶさるシルヴァン。後ろ向きに地面へと倒れそうになり、ノエルは思わずシルヴァンの腕を掴もうとする。だがそれよりも前に、シルヴァンの手はしっかりとその体を空中で支えていた。
結果的に、柔らかに抱きとめられるような形になったノエル。
同時にジャンという音で演奏が終わり、華麗なクライマックスが決まった。
一瞬の出来事に、瞬きをするノエル。
すると僅かな余韻を置いたあと、会場からは大きな拍手が沸き起こった。
見る者を魅了する、情熱的で素晴らしい踊りだった。
もはや他に踊っている者はいなかった。あまりにも凄まじいステップに、後半は彼らの独擅場と化していたのだ。奏者もノリノリだった。
……これは、まったくもって不本意だった。
華麗な身のこなし、身体能力、そして女性を魅せつつも美しくリードするその技術。もしこれが本物の女性であったら、確実に惚れていただろう。それほどに素晴らしいものだった。
だから、ノエルはただ身悶えすることしかできなかった。
「もう一曲、今度は穏やかな曲でどうだ?」
ノエルは無言で差し出された手を叩いた。
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