40 着付け
「……なんで俺がこんな真似を」
「お前、どんな格好で行くつもりだったんだ?」
ノエルの前に並んだのは、たくさんのドレスたち。ラックに掛けられた色とりどりの布に、目がチカチカしそうだ。露骨なまでのしかめっ面をして、この布どもに威嚇をするノエル。
――カストール公爵家の夜会。
セノスの言葉を信じるのならば、ここで何か手がかりが得られるはずだ。彼らはそこへ潜入するための準備を進めていた。
もちろんこれが罠の可能性だってある。……だが、二人は乗り気だった。罠でも何でも掛かってこいという気概だ。
故に、このドレスである。
正面からカストール公爵と対峙するため、貴族令嬢を装って潜入するというのは、普通に考えれば真っ当な手段なのだが。
……シルヴァンのそのニヤけた顔に、ノエルは一発ぶん殴ってやろうかと思った。こいつは、この状況を楽しんでいる……人の気も知らないで。
だが、寸前で殴りたいというその気持ちを押し殺し、恨みたらしく睨むだけにしておいた。
そんなことを考えていると、商人の一人が部屋に入ってくる。
「お久しぶりでございます……シルヴァン王子殿下、ノエル様」
「テ、ティモン……なぜここに」
ノエルはその顔に見覚えしかなかった。
それは、セリーヌ共和国への道中をともにした商人、ティモンだったからである。愛想も恰幅も良い彼は、二人に優しい笑顔を見せる。
「王室には幾度かお世話になっておりますが……まさかお二人がお知り合いだったとは。
お力になれるよう、腕によりをかけて、素晴らしい商品を選んでまいりました」
「”銀髪の女に助けられた”という話を聞いて、試しに呼んでみたが……やはりお前だったか」
どうやらティモンは、王室のお抱え商会であったようだ。
彼は「銀髪の女性に助けられた」という話を吹聴して回っており、その噂はシルヴァンにも届いた。まさかと思ったシルヴァンは、彼のこと呼びつけてみたが……やはり「銀髪の女性=ノエル」という仮説は正しかったようだ。
「ノエル様は私の命の恩人ですからね」
「……お前なにしたんだ?」
「ちょっと人助けしただけだ」
ティモンの仰々しい言葉にシルヴァンは怪訝な顔をしたが、当のノエルは涼しい顔をして躱した。
そんな様子を見て、シルヴァンは聞こえないように小声で尋ねる。
「なあ、お前の正体は知っているのか?」
「俺を魔族だと思っている。騎士であることは知らない」
「……そういうことだな」
事情はよく知らないが、関係性は分かった。
シルヴァンはとりあえず、ノエルのことを「魔族の女」として振る舞うことを決めた。
「なら話が早い。……こいつは俺の
「なるほど……承知しました! このティモン商会の名にかけて、お二人のお眼鏡に叶う素晴らしい商品をご用意することを約束いたします」
なんだか、ノエルを崇め奉ろうとする勢いだったので、シルヴァンは早々にドレスを選にはじめることにした。
「さて……ノエル、好きな色はあるか?」
「好きな色か……?」
もちろんドレスの色を選ぶための質問であることは分かっていた。
……分かっていたのだが、ノエルはこのカラフルで無秩序な中から、決めきることが出来なかった。
迷いに迷った末、ノエルはぱっと取ったものを選択する。
あてずっぽうで選んだ、淡いブルーのものだった。
「ダメだ。派手で目立ちしそうなものにしてくれ」
聞いておいたくせに、ノエルの選択を完全に無視するシルヴァン。
対するティモンは、そのオーダーの意図を的確に汲み取り、的確にそれに見合うドレスを選び取る。
「ノエル様の瞳の色によく似た、この赤のドレスがお似合いかと」
「流石だ、一度試着してみてくれ」
ティモンが手に取ったのは、真っ赤なロングドレスだった。そのチョイスに、本人の意思は全く介在していなかった。不憫である。
ふんわりとした質感は、間違いなく上質なものではあるが、ノエルにとってはどれを着ても屈辱的であることには変わりない。
「俺が、本当に?」
往生際の悪いノエル。シルヴァンはそんな声を黙殺して、数人の使用人を呼びつける。
「着せてやってくれ」
「「「承知しました」」」
シルヴァンの指示を忠実に従う使用人たちは、あれよあれよという間にノエルを別室に連れていった。抗議の声が聞こえたが、誰も耳を貸さなかった。
服をスパンと脱がされ、リネンを身に着け、そしてきついコルセットを締められ。数人掛かりの作業によって、ドレスが徐々に体にフィットしていく。さすがは王室仕えということもあって、異様なまでに手際が良い。
どんどんと着付けが完成していく姿を見て、ノエルは心が死んでいくような気持ちになった。
最終的に彼は全てを諦めて、心を無にすることにした。
目をつむり、ただ時間を過ぎるのを待った。
「終わったか」
そして、完成。足元はブーツのままで、特に化粧もしていないが、それでも上品で美しい令嬢が完成した。
燃えるような情熱に溢れた真っ赤な生地は、上質なサテン地でできており、光を反射して艷やかに輝く。肩まで露出したデザインからはセクシーさを醸し出しつつ、スカート部分に縫い付けられた薔薇をモチーフにした黒いレースが、大人の上品さを加えている。
改善する余地があるのなら、それを着ている本人の表情であろうか。目が死んでいる。
「素晴らしいな」
「ええ、時間が許すならオーダーメイドでご用意したいくらいです。
大きさは少し合っていませんが……この程度でしたら誤差でしょう。直ぐに手直しすることが出来ます」
「来週までには間に合わせてくれ」
「もちろんです」
口々に称賛の言葉が飛び交い、使用人でさえ得意げそうにしている。
「これなら、会場中の注目を集められる」
「なら、いいが……」
ノエル本人は自信なさげだったが、シルヴァンの目には麗しい令嬢の姿が映っていた――華美で、美しく、
シルヴァンは密かに、計画を練っていた。
カストール公爵という強権力を相手にするために。
そしてこれは――ノエルによる逆襲の一歩でもある。
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