38 騎士団総長(2)
カランコロンとドアベルが鳴る。
閑散とした店内、客が来たというのに挨拶も返さない無愛想な店主。アルコールの香りがふわりと漂い、鼻と喉に刺激を与える。
それが……ここの良いところだ。客や店主との過度な交流もなく、ただただ酒と料理を堪能できるのだ。味はそこそこだが、そんなことはどうでも良かった。
ここだけがシルヴァンにとって、身分もしがらみも捨て去ることのできるオアシスなのだ。
そんな聖域に――彼女はいた。
男どもに紛れ、静かに水を飲む少女。二人がけのテーブルに座る姿は、何も知らなければ可愛らしいただの令嬢にしか見えないのだが、この場においてシルヴァンだけが、彼女が魔族であることを知っていた。
夜を告げる鐘が鳴り、太陽も姿を隠した頃――約束どおりにシルヴァンは現れた。
「遅いぞ」
少女は一言だけ愚痴をこぼすと、手を挙げて店主を呼んだ。
「シュリンプアンドチップスに、エールを一つ」
店主は声も出さずただ頷くと、黙々と注文を作り始めた。
その様子にシルヴァンは、再び驚くような目で少女を見つめる。
なぜなら、彼女の注文した料理は、シルヴァンが必ず決まって頼むものだったからだ。席に付き、シュリンプアンドチップスとエールを頼む。これがいつもの流れ。
……それを何故、この見ず知らずの少女は知っているのだろうか?
「……なんだ、好きだろう?」
「いや、なんでもない」
しばし無言の時間が生まれ、少女は困ったように言った。このとき彼女と目が合ったが、シルヴァンはふいに目を逸らした。
そして――ちょうどエールも運ばれてきたところで、彼女は話を切り出した。
「会ってきたんだな」
「……ああ」
彼女が言っているのは、他でもないノエルについてだった。面会を終え、その感想を尋ねているのだ。
「どうだったか?」
シルヴァンはその時の情景と感情を思い返し、吐き捨てるように言った。
「クソッタレだ……」
「なんだって?」
聞き返す少女。
対してシルヴァンは、激しくテーブルを拳で叩きながら叫んだ。
「――クソッタレだって言ってんだよ!」
堅い木でできたテーブルは、バンッと大きな音を立て、その上に乗っていたグラスからエールが少し溢れる。
シルヴァンは震える声で目の前の少女に問いかける。その声は怒りと悲しみに支配されていた。
「なあ……あいつは、あいつは一体誰なんだ? あの事件で何があったんだよ」
シルヴァンは、保養施設で療養中のノエルと面会した。彼は木漏れ日のもと、読書をしていたようだが……シルヴァンの姿を見るなり、彼は屈託のない笑顔で出迎えた。
――仲間を22人も殺されたにも関わらず、だ。
シルヴァンは戸惑い、驚き、思わず彼に話しかけた。彼は至って普通に、体調のことや事件のことについて語った。このやけに優しい口調と自然な笑顔に、体調は問題なさそうだと確信すると同時に、得体のしれない違和感に遭遇する。
シルヴァンは気持ち悪くなった。得体のしれないなにかを見ているようだった。
早々に差し入れを手渡すと、彼は軽く言葉を交わしただけでノエルの元を後にした。
心が壊れてしまったのだろうか……。いやむしろ、あれは……。
ノエルとは十年来の付き合いである。彼のことはよく知っているつもりだった。だが今日見た彼は、完全に別人だった。彼とともに歩んできたこの長い期間、彼があんな表情をすることなんて一度たりとも無かった。
だから、シルヴァンはこの店に来た。
魔族のいる地にのこのこと丸腰で出向くなんて、騎士としては失格かもしれない。……だが、あの少女なら何か知っているのではないか?
祈りにも近いそんな思いを携えながら、シルヴァンは今、この席に座っていた。
「安心しろ」
故に彼女のその言葉を聞いて、なにか解決するような気がしてしまった。シルヴァンはその言葉の真意を確認するため、少女に対して再び尋ねる。
「……どういう意味だ?」
嘲るようにわずかに口角を上げた彼女は、端的に結論を告げた。
「俺が、ノエルだ」
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