37 騎士団総長(1)

「なんだと、街中でグリフォンが!?」

「ええ……ですが、すぐに飛び去ってしまったようで」


 シルヴァンは驚いたように目を見開く。

 だがその一方、報告書を持ってきた騎士は微妙な表情で、シルヴァンの動向を観察していた。


「――被害は?」

「建物が一棟……以上です」

「それだけか?」

「ええ、そのようです」


 シルヴァンは、騎士から報告書を奪い取り、そしてその中身を斜め読みした。

 すると確かに、彼が口にした言葉通りの内容が記されていた。


 王都南部のフローゼン地区。魔物が現れたとの一報が入ったのは、昨日の深夜のことだった。

 住居が密集するこのエリアは、城郭の内側に位置する。今までに魔物が目撃されたことは一度たりとも無かった。

 だがあらゆる監視網をくぐり抜け、上空から侵入したグリフォンの群れ。彼らは、誰かを攻撃するでもなく、ただ無人の建物を軽く損壊し飛び立って行ったという。

 この出来事による死傷者はゼロ。破壊された建物も長らく放置されていた納屋であるとのことで、実質的な被害は殆どなかった。


「引き続き調査を頼む」

「了解しました」


 報告を持ってきた騎士は、軽く礼をすると小走りで立ち去った。

 シルヴァンは、この奇妙な出来事に頭を悩ませながら、面に備え付けられた作業机につこうとしていた。


「――なんだ?」


 考え事をしていた所為で気づくのが遅れた。

 入口から正対する面にある窓が、何故だか割れていることに気がついた。鍵のある部分だけが小さく丸く破壊されており――




「……誰だ」


 開けっ放しにしていたドアが、独りでにバタンと閉まる。

 それでようやく、そこに人がいたことに気がついた。

 緊張をはらんだ重たい声で、シルヴァンはその侵入者へと問いかける。その手は剣の柄に触れており、いつでも抜けるように構えられていた。


「総長」


 短く発せられた言葉は、女の声だった。シルヴァンが思わず振り向くと、ドアにもたれかかる一人の銀髪の少女。

 だがしかし、彼女の髪の間からは真っ黒な角が突き立っており、彼女が魔族であることはひと目見て分かった。それが一層シルヴァンを緊張させる。


「魔族が何の用だ。俺を殺しに来たのか?」

「いや」


 その問いかけを彼女は否定すると、ゆっくりとシルヴァンに歩み寄った。


「……久しぶりだな」

「ハッ、久しぶりだと? ……お前とは会ったこともなければ、今後会うつもりもない」


 シルヴァンはその予想打にしない言葉に目を丸くしたが、何かしらの意図があるのではないかと再び神経をとがらせた。


「ノエル・ベルンスト・フローシュには会ったか?」


 少女の言葉に、シルヴァンの肩に力が入る。

 ノエル・ベルンスト・フローシュ――それは、先日のアルタ山の事件で奇跡的に生還した騎士の名であった。彼は第3騎士団の団長であり、シルヴァンとは長年の付き合いがある。

 他でもない魔族に襲われた彼の名を、なぜ突然この少女は出したのだろうか。シルヴァンは訝しむように眉間にくっきりと皺を寄せた。


「……まだだ」

「予定はあるか?」

「今日、この後に。……だがお前と何か関係があるのか?」


 ノエルは現在、王都に戻り療養中だ。

 シルヴァンは、まさに今日、面会へ向かう予定だった。


 それを聞いた少女は、更にシルヴァンへと歩み寄った。緊張が強まったが、ただ一枚の紙を手渡されただけで拍子抜けする。


「一度話せ。……そして、何かを感じたらここへ」


 その紙に書かれた内容を見たシルヴァンは、徐々にその表情が驚きに染まる。


「コレール通り、ルヴェール……お前、何故ここを」

「待ってるぞ。鐘が鳴る時間だ」


 書かれていたのは、とあるパブの名前だった。

 なんてことない、ただの飲食店なのだが――問題は、その店がシルヴァンにとって行きつけの店だったということだ。


 騎士団の総長、かつ王子という身分を持つシルヴァン。そんな彼がお忍びで頻繁に通うのが、この『ルヴェール』というパブだった。人通りの少ない通りにあって、いつ来ても客はまばら。料理も旨いことには旨いが、取り立てるほどでもない。ただ長い間通っているというだけの理由で、シルヴァンはここによく訪れていたのだ。


 ……そんな『ルヴェール』を、なぜこの少女は数多ある店の中から選んだのだろうか。

 シルヴァンがその少女の瞳を見つめ、その理由を問い詰めようとしたとき。

 コンコンとドアがノックされる。少女はドアの前から逸れると、シルヴァンに対して目配せをした。「入れても構わない」という合図だとシルヴァンは理解し、素直に従う。


「入れ」

「総長、来月の式典についての資料を――っと、お客様でしたか、これは大変失礼致しました」


 資料を持ってきたという騎士は、途中まで報告した所で少女の存在に気づく。そして少し驚いたような表情を見せたが、彼は一礼をしてシルヴァンと客人に対して謝罪した。

 シルヴァンはふと少女に目配せをすると、その頭から角が消えていることに気がついた。……魔族にそんな能力があったとは、とシルヴァンは驚く。


「構わない、話は終わった。今から帰るところだ」

「そうでしたか」


 彼は、資料を受け取りながら指示を伝える。


「受け取ろう。……キース、こいつを出口まで案内してやれ」

「承知致しました」


 再び礼をとったキースという騎士は、「こちらへ」と少女を案内する。少女の方も彼に素直に続く。

 長い長い廊下を過ぎ、階段に差し掛かったところで、キースは笑顔で少女に話しかける。


「総長が自室にお客様をお招きするなんて。私、初めて見ましたよ!」

「訳ありなんだ」


 シルヴァンは客人との交流を好んで行わない。そんな彼が自室に招いてまで面会したのは、このうら若い少女。総長の補佐として仕えて数年が経つキースにとって、彼女の存在はとても意外なものだった。

 キースはそんな謎の少女に強い興味をいだきながら、彼女を出口の方へと案内するのだった。

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