【挿話】とある執務室にて

 ――ドンッ!


 木製の机を拳で叩きつける音が鳴り響き、その書類を手渡した騎士はびくっと体を震わせる。

 豪華絢爛な執務室には、それに見合わない冷たい雰囲気が漂っていた。


 空間の中央のデスクに腰掛ける彼の名は、シルヴァン・オドラニエル・エンゲルハルト。

 リンドブルグ王国の第一王子であり、王国騎士団の総長を務める。周囲からは『王国のつるぎ』の二つ名で呼ばれ、多くの騎士から尊敬と崇拝を集める立場だ。

 金髪碧眼で端正な顔立ち。真っすぐな鼻筋に、すらっとした長身。市井からの人気も高い彼だったが、今やその美しい顔も、怒りで歪んでしまっていた。


 彼の手に握られていたのは、報告書。

 その紙は、強く握られた両手でくしゃくしゃになっていた。


 ――アルタ山における騎士襲撃事件。

 そう記された題目の下には、つらつらと事件の概要や被害の詳細が書かれている。

 死者22名、負傷者1名。

 淡々と記された事実だけが、この現場の凄惨さを物語っていた。


「ノエル……一体なにがあった……!」


 震えるような彼の口から飛び出たのは、第三騎士団長のノエル・ベルンスト・フローシュの名であった。

 彼はこの事件の唯一の生存者。そして、シルヴァン王子の古くからの友人でもある。

 そんな彼は、一週間以上経過した今も意識不明。あの事件の日を境に、いまだに目覚めていないのであった。


 彼は報告書の端々に目を通す。

 ……専門家の見立てによると、ノエルは強烈な魔力を浴びたことによる過剰症に陥っており、余剰な魔力が抜け、無茶苦茶に破壊された体内の器官が回復するまで、安静にしなければならないとのことだった。

 くわえて、犠牲になった騎士の死因やノエルの症状から推測するに、魔族の関与が疑われることも、その報告書では語られていた。


 シルヴァンは己の無力さに、「クソッ!」と悪態をついた。

 そんな時だった。


 執務室の扉が勢いよく開け放たれる。

 ノックもせず、無断で部屋に立ち入ることができる人間など、そうそういないはずだ。


 誰が来たかのおおよその推測をして顔を上げると、その推測が当たっていたことが分かった。


「……エリオット、何の用だ」


 シルヴァンが静かな声で問いかけた相手は、年の八つ離れた弟君であるエリオット第二王子だ。

 兄によく似た金髪碧眼の容姿だが、身長は兄よりも一回り小さい。

 そんなエリオットは、執務室のドアを閉めると、そこにもたれかかりながら口を開いた。


「兄上、どうしたの? そんな浮かない顔して」

「……………………」


 エリオットがそう問いかけるものの、返ってきた答えは沈黙だった。


「アルタ山での出来事、僕も聞いたよ。我が王国の勇敢な騎士が犠牲になるなんて、とても心が痛いよ」


 抑揚をつけたこの哀悼の言葉は、非常に仰々しく聞こえる。

 彼はまなじりをきっと上げ、エリオットを強く睨みつけた。


「もう一度聞くが、お前がここに来た目的はなんだ? ただお喋りをしに来ただけなら、とっとと出て行ってくれないか」


 シルヴァンは静かに、しかし、鋭い口調でエリオットに告げる。

 睨み潰そうとしているかのような厳しい目つきのシルヴァンだったが、当のエリオットはどこ吹く風といった体で、まったく気にしない様子のまま言葉を返した。


「まあまあ兄上、そんなに怒らないで。……僕は、兄上や王国騎士団の為になりたいと思っているんだよ? そのために僕の力を少しでも貸してあげようと思って」


 シルヴァンの懐疑的な表情も意に介せず、エリオットは続ける。


「ノエル騎士団長なんだけど、僕のところで預かることにしたよ」

「……どういうことだ!」


 エリオットは、唯一の生存者たるノエル団長を、自身の私邸で預かるという話だった。

 聞かされていなかったシルヴァンは、驚いたように席を立つ。


「僕の屋敷はアトラ山から近いし、腕の良い治療師もいるからね。……悪くないと思わない?」

「……………………」


 肩を竦めるエリオットに、シルヴァンはため息をついた。

 シルヴァンは、アトラ山の麓に彼の邸宅があったことを思い出した。確かに、ここならばより高度な治療を行える可能性がある。

 総長に対し無断で移送が行われたことに対しては憤りを感じつつも、一方でエリオットの行動には一定の合理性があることも事実ではあった。


 シルヴァンは再び椅子に腰かけると、眉間にしわを寄せながらエリオットに言った。


「そのようなことは、必ず俺に報告しろ。二度と俺に、王国騎士団に無断で行動するな」

「すみません、兄上」


 素直に謝罪するエリオット。

 シルヴァンは続けて条件を提示する。


「騎士団から何人かをそちらに送り込む、いいな?」


 エリオットは首を縦にこくりと振って了承した。


「でも僕の気持ちは分かってくれたでしょ? また力になってほしかったら言ってよ!」

「……あぁ」


 シルヴァンは、自身の弟の顔も見ず、そう一言だけ呟いた。

 満足げに扉を閉め、部屋を出るエリオットだったが、シルヴァンはその一挙手一投足に多少の不信感を感じたままだった。

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