22 夕暮れのアンヌとカイン

「あっ、見つけた! ……何してるんですか、こんなところで」


 城の西側に設けられたベランダで、物憂つげな表情で落ちる陽を見つめるのはアンヌだった。

 カインは困ったように肩を竦めた。

 突然いなくなったアンヌを探すため、城の色々なところを見て回り、ようやくここで発見したのだった。


「ああ、カインですか。……少し、外の風を浴びていました」


 なんだかしおらしい態度に、カインはくすっと笑いを漏らす。

 そして、カインは真っ直ぐに歩み寄ると、アンヌの横に立って、同じ夕日を眺め始めた。

 

「――夕日、綺麗っすね」

「そうですね」


 しばし落ちる沈黙。

 細長い雲が茜色に色づき、刻々とその色を濃くしている。

 心地よい穏やかな風が頬を撫で、不思議とすべてを忘れられそうになる。


「アンヌさんのそんな顔、はじめて見ました」


 カインはアンヌの表情を観察する。


「……ええと、ある程度想定はしていたんですが、思っていたよりもショックでしたね!」


 吹っ切れたような笑顔を見せるアンヌ。

 しかし、その瞳の奥には、どこか寂しさが感じられた。


「私は、師匠のことが好きなんですよ。私に、いろんなことを教えてくれました。そして、生きる目的を与えてくれました。……でも、私は師匠を裏切りました。嫌われても当然なのです」


 なにを裏切ったのか、なんて聞けなかった。

 そして、聞いてもアンヌは教えてくれないだろう。

 カインはなにも言えず、ただアンヌの次の言葉を待った。


「カインは、ノエル様のことをどう思っているんですか?」


 アンヌの問いかけに、カインは迷わずに即答した。


「カッコよくて、強くて、我が団の誇りっすね!」


 ノエルは、部下にも他の団の騎士にも、厚く慕われていた。

 カインもその一人。

 

 カインは平民の出で、王都周辺の警備を任される第三騎士団には相応しくないと、周りも、カイン自身も考えていた。

 そんなカインを、剣の腕と彼の立ち振舞いで選んだのは、他でもないノエルだった。

 出自や身分で差別をせず、ただ一人の人間として見てくれた彼に、カインは大きな恩義を背負っているのだ。


 そして彼自身も、その実力に慢心せず、常に努力を怠らない。

 あれだけの才覚があって、なお前に進み続けるのは、並大抵の人間には出来ないことだ。

 カインはそんな団長が率いる、第三騎士団に所属していることを誇りに思っている。それは、あの事件が起きてからも、なんら変わっていない。


「そうですか。……なんとなく、分かりますよ」


 アンヌはそう静かに言った。

 まだ出会ってそれ程時間は経ってはいないものの、二人の関係性というのはなんとなく推し量ることができた。アンヌは、それを少し羨ましく思っていた。


 二人の間に、しばし静かで心地よい空気が流れたが、カインはアンヌに対して少しだけ強い口調で問いかける。


「……アンヌさんは、俺たちを裏切るんですか?」


 アンヌはそのまま夕日をまっすぐ見つめたまま、一瞬押し黙った。

 そしてわずかに微笑むと、その口を開いた。


「面白い質問ですね」

「俺、アンヌさんが敵だとは、到底思えないんですよね。でも、最後にはあっち側につくと思うと……」


 カインの言う「あっち側」とは、レオノーラのことだ。

 目の前のこの魔族の少女は、自身が彼女の下僕であることを事あるごとに話す。それは、随行していたノエルやカインにとって、『敵』であることに他ならないのだが。

 だがカインはどうにも、そのような意識をはっきりと持てないでいた。


「私は、私がどこにいるのかは、全て知っているつもりです。道筋も、しっかりと見えています。……でも時々不安になるんですよね。このまま進んで良いのかなって」


 アンヌはカインをじっと見つめて言った。

 だがカインは、その抽象的な物言いの真意をうまく捉えることができず、思わず「それは、どういう……?」と聞き返した。

 アンヌはそんなカインの方へと歩み寄った。そして、そのおでこを指でぱんと弾いた。


「ふふ、案外……私はいい人かもしれませんよ?」


 カインは弾かれたおでこを咄嗟に手で押さえると同時に、その言葉の意味を考えた。

 これまた「いい人」という妙に抽象的なワードだったが、一旦カインはそのままの意味で捉えてみることにする。


「まだ俺は、アンヌさんを信じることはできません。でもそれと同時に、信じたい気持ちもあります」

「そう言ってもらえると、存外嬉しいものです。それに……私も、貴方達といると楽しいんですからね」


 思ってもみない答えに、カインは呆気にとられた。


「私は部屋に戻りますね」


 アンヌは、カインを置いて部屋に戻ろうとした。

 ドアノブに手を掛けた瞬間、背中からカインの声が掛かる。


「アンヌさん」

「なんでしょう?」


 カインの顔は見えなかったが、その口調は強くはっきりとしたものだった。


「俺に、ノエル団長に、……剣を抜かせないでください」


 それは、カインの希望であり、要望でもあった。

 最終的に、争い合う時が来るのかも知れない。お互いに剣を交えれば、それこそどちらが酷く傷つくまで終わらないだろう。

 カインはそんなことを想像したくなかった。


 だがアンヌは振り向かず、小さな声で答えた。


「……善処しましょう」


 それが今のところ彼女にできる最大限の譲歩であったことは、カインは知る由もない。

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