17 肉

 口にして十数秒程だろうか。

 回復薬の効果はすぐに現れた。


 ダリルの皮膚にあった擦り傷、切り傷、アザ、あらゆる負傷部位がもとに戻っていく。

 一番酷い負傷箇所であった足も、ゴキッという骨が鳴るような鈍い音とともに、完璧に元の状態へと戻っていく。

 骨が折れていたのにも関わらず、だ。


「その人が死んでいなければ、おおよそどんな傷や病でも治ります。それほどに強力なのです。本当はノエル様のために持ってきたんですがね……」


 アンヌは遠い目をしていた。

 実のところ、治療に必要な回復薬の品質や量は、負傷の程度だけでなく、その人の保持する魔力量にも左右される。

 だから普通の人間ならば、こんなに高品質なものは要らない。骨折程度ならば、もう二段階ぐらいグレードの低い回復薬で十分だった。


 故に、ノエル用としたわけだ。

 肉体の魔力量が莫大な今のノエルには、生半可な回復薬は効果がない。

 アンヌが最高グレードを持参していた理由はそこにあるのだ。


「か、体が……動く……!」


 いつの間にか、ダリルはむくりと起き上がっていた。

 回復薬を飲ませてから一分も経っていないだろう。

 体にあったあらゆる負傷は消え、残された痕跡は破けた服くらいだ。切れ目から、全く傷のない肌が覗いている。


「素晴らしいな、この薬は」


 ――これが騎士団にあれば、何人もの命を救えるのに。

 ノエルには目の前で起きた奇跡とも言える事象に、ただただ感嘆する。


「これは……この薬のおかげか……!?」


 信じられないといった様子で目を真ん丸に見開くダリル。

 手のひらを開いたり閉じたり、腕を前後に動かしたり、体がちゃんと動くかどうかを確認しているが、もちろん、どこも悪くない。

 むしろ前よりもすこぶる調子が良い様子だ。


「なぜ、俺を助けたんだ……? ま、魔族は、……いや、なんでもない」


 ダリルは何かを言い掛けたようだったが、言葉に詰まったようで一瞬無言となった。

 だがすぐに、ノエルに対して向き合って、目をじっと見つめる。

 そしてその両手で、ノエルの手を固く握った。


「これは……君の薬なんだな?」

「ああ」


 返答に少し困ったノエルだったが、アンヌの意図を汲み、なるべく魔族として振る舞うことにする。

 回復薬もノエルのものとすれば、アンヌやカインに疑いの目は向きにくいというものだ。


「……ありがとう、本当に」


 自分の体が不自由なく動くことへの幸せを噛み締める。

 ダリルの短い言葉は、その深い感謝の気持ちを伝えるには十分なものであった。


「……わ、私が持ってきた薬なんですけど!」


 小声で抗議の意を示すアンヌ。

 どうやら、ノエルに手柄を横取りされたことが気に食わないようだ。もちろん怪我が治ったことに関しては、アンヌの薬のおかげではあるのだが。

 それに対してノエルは困ったように眉を下げた。


「その方が都合がいいんじゃないのか?」

「そうですけど、そうですけど! なんだか気に食わないんです!」


 地団駄を踏むアンヌ。

 この場面、自身が魔族であることが露呈するようなリスクを犯すべきではないのは、アンヌもよく分かっているはずだ。

 既にバレているノエルを、この回復薬の持ち主であることにすれのが、最も合理的であろう。

 

 自分でも言っていることが無茶苦茶であることへの理解はあるようなのだが、……どうにも気持ちを抑えられないようだった。


「アンヌさんも優しいっすよ」


 カインが申し訳程度にフォローする。

 この三人の中で、このような役回りはいつもカインが務めている。



 パチパチと焚き火が火の子をはじいて燃える。

 その赤々とした炎に当てられて、ほんのりピンク色の肉から黄金色の脂がぽたりと滴る。


 サラマンダー肉。

 引き締まった蛋白な肉質だが、柔らかくて張りがある。鶏肉に似ているが、それよりもしっかりとした旨味が感じられる。

 臭みはあまりない。直火で焼いているので、こんがりと香ばしくて、肉のうまみが引き出されている。


ほひひいへふ!美味しいです! ほへふはは!ノエルさま!


 口の容積ギリギリまで肉を詰め込んだアンヌは、それなのに感想を伝えようとしていて、もごもごと謎の言語を発していた。

 ただ実際、サラマンダーの肉はおいしい。しかも、あの巨体だ――どれだけ食べても減らない。

 焚き火を囲み、一行はその肉を少しずつ頬張っていた。


「私は今日こそが人生の終わりだと考えていた。しかし、今こうして美味しい肉を食らっている。

 ……私が今この場にいられるのは、紛れもなく君たちのおかげだよ。本当にありがとう」


 ティモンは、優しい声で感謝の言葉を伝えた。

 最初こそノエルに怯えていたティモンだったが、だんだんと冷静になり、そしてダリルを治療する様子を目撃し、ノエルが攻撃的でないことを理解したようだ。


「ああ、でも未だに信じられないよ。俺が今、魔族とともに旅をしているなんて、……という言い方は少し失礼だったかな?」


 ティモンは、ノエルの顔をまじまじと見つめながらそう言った。

 だがノエルに対して不躾な言い回しになったかも知れないと気づき、言葉を途中で止めた。

 一方のノエルは、気にしていないような顔で首を横に振った。


「俺たちは、魔族に対して、とても大きな思い違いをしていたのかもしれないな」


 ダリルはしみじみと語った。

 魔族が、目の前のこの銀髪の少女が、ダリルの命を救ったのだ。

 もう二度と剣を振れなくなる運命を、今まで敵だと思っていた魔族が覆したのだ。


 彼の心の中の魔族に対するイメージは、どんどんと崩れかけていた。

 ただ、熱く語るダリルに対し、ノエルは真剣な顔で忠告をする。


「そんなことはない、今まで通りでいいんだ。魔族は、非道で狡猾だ。そう心に刻んだ方がいい。――なあ、アンヌ」

「ほへ?」


 ノエルは、アンヌの顔をこれ見よがしにと見つめる。

 それに対し、聞こえていただろうに、とぼけた態度をとるアンヌ。

 ……いや、これは本当に話を聞いていなかったパターン、なのか?


「君がそこまで言うなら、実際はそうなんだろうな。……だが、君たちは特別だ。俺の命の恩人であることは、揺るがない事実だ」


 ダリルは真っ直ぐな視線で、やはりノエルを見つめている。

 だがノエルにしてみれば、一騎士として魔物を討伐し、困っている人を助けたに過ぎない。

 魔族だなんだ、という話になってしまうのは、仕方のないことだが背負い切れるものでもないのだ。


 恩義を感じてくれるのは結構だが、魔族への警戒心を解くというのは辞めてほしいところだ。

 ダリルが感謝している相手は、外面だけは凶悪な魔族なのである。

 ノエルはそんな感謝のこもった視線に、どこかやりにくさを感じていた。

 ふと目を逸らすと、カインがこちらを心配そうに見つめていた。


「団長……早く、戻れるといいですね」

「全くだな」


 そう言うと、ノエルはまた大きく口を開けて肉に齧り付いた。

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