15 魔物(2)
目の前のサラマンダーは、怒り狂っていた。
「ギャオオォォ!!」と、言葉にも表せない大きな鳴き声だ。
「カイン、今のうちです!」
「……了解っす!」
そう、今のところ陽動には成功。
サラマンダーのターゲットを、ダリルから外すことに成功したのである。
ノエルが集中して狙われている中。カインとアンヌは、ダリルの元へと駆け寄った。
当然ながらサラマンダーはノエルに釘付けで、こっちのことなんて見やしない。
カインはダリルを背中におぶる。アンヌはそれを手伝いながら、同時にノエルの様子も気にかけていた。
一方のノエルはというと、十分な役割を果たしていた。
ノエルはサラマンダーの周囲をぐるぐると走り回る。
ちょこまかと小さな人が動き回る様子は、興奮したサラマンダーからしてみれば許せないものだろう。
尻尾を振り回し、鉤爪を振り回し。しかし素早さで勝るノエルには、傷ひとつ与えることができない。
そんな攻防に業を煮やしたか、サラマンダーは頭を少し後ろに引くような動作を見せる。
――あれは、予備動作だ。
サラマンダーの強力な攻撃の一つ、火炎放射である。
口元から波状に広がる炎を吐き、自身の一帯にあるあらゆる物を焼き尽くすのだ。
数秒後、ノエルの推測は見事的中した。
サラマンダーの喉の奥は、赤白色の球状の光が一瞬輝いた。
そしてノエルもろとも大地を焼き尽くすような、破壊的な火炎放射が――来ない!
逃げる準備をしていたノエルは、驚く。
サラマンダーの顔全体がまるで爆発でもしたかのように、炎の球が覆っていたからだ。
顔面が火だるまになったサラマンダーは、パニックになったようにその場でじたばたと暴れまわる。
ふとアンヌを見ると、ニコッと意味ありげな満面の笑みを浮かべていた。
そしてノエルは思い出す。アンヌが「風の使い手」と名乗っていたことを。
――アンヌは初歩的な風魔術を使用し、サラマンダーの火炎放射の軌道を強引に変えていたのである。
これにノエルは驚愕した。
この魔術自体は、そこまで難しいものではない。数日前、ノエルの髪を乾かしていたときのものと原理は同じ。
人間にも非常に数少ない魔術師がいるが、彼らでも発動できる程度の技術しかいらない、初歩的な魔術である。
だが驚くべきなのは、この魔術を、発動時の動作なく、かつ、精密なコントロールでサラマンダーの口元に的確に命中させたことだ。
周囲に魔術を発動したことを悟られず、このような事象を発現できるなど、今まで見たことも聞いたこともなかった。
この風魔法自体は、サラマンダーにダメージを与えることはない。
サラマンダーのウロコは高温に強く、自身の火炎放射が誤って当たったくらいでは傷は付かないからだ。
でも、ノエルが体制を整えるくらいの時間を作る効果はあった。
それで十分。大いに意義のある攻撃なのである。
「アンヌ、武器をくれ」
ノエルの要求を聞くと、アンヌは落ちていた長剣を手渡した。
ダリルが直前まで使用していた、なんてことない、ただの鋼鉄製の剣である。
しかし、ノエルはそんなことはお構いなく。
両手を体の横に据え騎士の構えを取ると、巨大なサラマンダー相手に真っ直ぐと走り出した。
サラマンダーは負けじと、腕を振るい、鉤爪でノエルを抉ろうとする。
しかしノエルは、その腕の軌道も全て事前に暗記していたかのように、軽やかなステップで後ろへ後退し回避。
しかも下がり際に、攻撃が完了した後の腕に、鋭い傷を残したのである。
この魔物にとって、腕の部分はウロコの少ない部分。致命傷には至らないが、硬質なウロコに刃が阻まれることなく身を切ることができる。
その鮮やかな重心移動と、まるで体の一部となったかのように自由自在な剣技。
もはや芸術とまで言えるほどに洗練されたノエルの動きに、アンヌは呆然と眺めることしか出来なかった。
なおカインは、見慣れた格好良い団長の姿に、いつも通り感銘を受けるのだった。
腕を切られたサラマンダーは、さらに怒り狂った。
いや、実際にダメージを入れられたことで、焦っているのではなかろうか。
ノエルはこの興奮状態のサラマンダーに全くといっていいほど臆することはなく、ただただ冷静に次の行動を予想していた。
そして……来た。
思ったよりも早かったが、今しがた見た動作。――火炎放射である。
その分かりやすい予備動作に、ノエルは余裕すら感じていた。
「同じ手口か」
火炎放射は、広義で魔術といえる。
サラマンダー自身の魔力を消費し、炎という現象に変えているのだ。
体自身に炎を生成するような機構はなく、あるのはただ炎を生成するだけの能力のみ。
――だから隙が出来てしまうのだ。
火炎放射を発生させるため、魔力を一点に集中させる必要がある。
発動しようと思ってから、実際に発動するまでタイムラグが当然あるのだ。
だからこそ、ノエルはそのしばらくある溜め時間を狙った。
そしてこれこそが、サラマンダーの討伐時のセオリーなのである。
……これは自身の肉体の強さに慢心し、さらに王国内最強の騎士団長に喧嘩を売ってしまった者の、悲しい悲しい末路である。
ノエルは突然駆け出すと、サラマンダーの体の下に潜り込んだ。
そのままサラマンダーの喉に剣で切り裂き、そして後方へステップして後退。
スパン、と弾けるサラマンダーの皮膚。その切創からは、溢れんばかりの血が飛び出し、誰の目から見ても勝負が決したことは明らかだった。
「第2級を一人で倒すなんて……団長はすごいっす……」
カインは、なんというか恍惚とした表情で、ノエルの後ろ姿を捉えていた。
首の深い傷が致命傷となったサラマンダーは、あっという間に事切れ、ふらふらとその巨体をゆっくり地面に沈めるのだった。
全てが終わり、その場にいる皆に安堵した表情が戻る。
ティモン、そしてかろうじて意識のあるダリルが、その惨状を見つめるそんな最中。
アンヌは、最も重要な問題に気がついてしまった。
「ノエル様! あ・た・ま!!」
言われた張本人は、はっとして気づいた。
その身につけていたフードは、いつからだか分からないが脱げてしまっていた。
現れたのは魔族の証たる、角であった。
……ノエルだけでなく、アンヌまでもが頭を抱えたのは言うまでもない。
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