13 共和国への旅路(2)

「団長……悪い夢でも見ていたんですか?」


 ノエルが目を開くと、そこには心配そうな目で見つめるカインの姿があった。

 

 ……どうやら、悪夢を見ていたようだ。

 夢の内容を思い出そうとノエルは少し考えたが、不快な感情だけがあって、どういった内容の夢だったかまでは思い出せなかった。


「いや、大丈夫だ。変な姿勢で寝てしまっただけだ」

「そうっすか……安心しました」


 ノエルがそう返すと、カインは少し安堵したような表情を浮かべた。

 だがノエルは、そのカインの様子がおかしく感じて、ふっと軽い笑いを浮かべた。


「部下に夢の心配をされるとはな」


 カインはそれを見て驚いた。

 団長が……あの『鉄仮面』のノエル団長が、今まで笑ったところを見たことがなかったからだ。

 ローブの下から見えたあの表情、あれは間違いなく笑顔だ。


 そもそもノエルは表情の変化に乏しいが、全く無表情というわけではない。

 特にネガティブな感情のときは、ノエルも人間なので、無意識に表情として表れることはある。

 驚いた時には顔が少し強ばるし、怒っているときには眉が少し釣り上がる。……どれも四捨五入すればゼロにはなるほどに微妙な変化だが、全くのゼロではないのだ。


 ――だがカインが見たのは、笑っているところ。

 そもそも団長に「面白い」という感情が存在したことも驚きだし、それを表に出して表現したことも驚きである。


 今までこんなことあっただろうか。

 気になったカインは、小声でアンヌに聞いてみた。


「アンヌさん。出会ってから、団長が笑ったところを見たことはありますか?」

「ええ、もちろんありますよ!」


 カインの質問の意図を理解っているのだろうか、アンヌはそう自信満々に答えた。

 しかし、よくよくその時の状況を聞いてみると、少し思っていたのとは違った。


「森の中を歩いている時に、私が木の枝に足を引っ掛けて盛大に転んだんですけど……その時に『ふっ、なにやってるんだ』って笑顔で手を差し伸べて助けてくれたんですよ。ノエル様って、こういうときすごく優しいんですよね~」


 それはどちらかというと嘲笑では?

 ……とカインは思ったが、言わなかった。

 

 おそらくノエルは『ふっ、なにやってるんだ(森の中は危ないから気をつけるんだぞ)』ではなく、『ふっ、なにやってるんだ(馬鹿なのか?)』というつもりで言ったんだろう。

 伝わっていないのは、ノエルの言い方が悪いのか、それともアンヌの受け取り方が悪いのか。

 どちらにせよこの話自体もアンヌというフィルターを通しているので、正確なことは分からないが。




 その日の暮方。隊はようやく一つ目の中継地点の村に到着した。


「明日は朝一で出発だ。遅れるんじゃないぞ」

「はいっ!」


 アンヌは手を挙げて元気よく返事をした。


 村の中心部には小さな宿がいくつかあって、補給をしつつ休息を取ることができる。


 ティモンらと一旦別れた三人は、彼らとは別の宿に泊まることにする。

 彼らが泊まるのは隊商宿だが、ノエルたちは荷物が無い分もっと価格の低いところで十分だからだ。


 良さげなところはすぐに見つかった。

 ……というか村に数軒しかないので、一番安いところにした。


「三人一部屋だね……あの左から二番目の部屋を使いな。くれぐれもベッドを汚すんじゃないよ」

「………………………………はぁ、またか」


 冗談なのか本気なのかは分からないが、受付のおばちゃんがカインに対してそんなことを言ってきた。

 それに対してノエルは、大きなため息を吐きながら心底呆れたような顔をして、とっとと部屋に入って行ってしまった。


「あっ、団長……」


 カインが咄嗟に声を掛けたが、怒っていたのかノエルは足を止めることはなかった。


「……カイン、私は野暮用がありますのでここで失礼します。すぐに戻ってきますのでご安心ください」

「分かりました。団長にも伝えておくっす」

「はい、よろしくお願いしますね!」


 アンヌはそう言い残すと、どこかへと外出してしまった。

 カインはその後ろ姿を見送ると、ノエルが既に入っている自室へと向き直った。


「アンタも大変なんだねえ」

「……ああ、まあ、俺のほうが足引っ張ってますから」


 受付のおばちゃんは、なんだか愉快そうな声でカインに話しかけた。


「……アンタ、あのローブの子は好きかい?」

「えっ、まあ、俺の憧れではありますね。かっこよくて、すごく尊敬しています」

「そうかいそうかい」


 うんうんと頷く受付のおばちゃん。

 ……いや、まだなんか勘違いしてない?

 なんだか嫌な予感がしたカインは、さっさと話を切り上げることにした。


「団長はそういうのじゃないっす! ……では」


 カインはそう一言だけきっぱりと伝え、そそくさと自室へと逃げ込んだ。

 背後からは「あらあら」と何か感嘆するような声が聞こえてきたけど、それは盛大なる勘違いだ。でも一々訂正するのもわざとらしいので、無視するしか方法がない。


 勘弁してほしいと願いながら、自室のドアを勢いよく開けると、中ではノエルが一人で荷物の整理をしているところだった。

 部屋は四人部屋。二段ベッドが向かい合うように配置されている狭い部屋だったが、意外にも内装は綺麗で、素泊まりするだけならとても十分だ。


 カインは、ノエルとは反対側のベッドに腰掛け、ノエルと向かい合うような形になる。

 そして改めて、団長に対して意見をビシッと伝えた。


「いくら団長の姿が可愛いからって、俺が手を出すなんて――」


 ――あるわけないですよね!

 そこまで言おうとしたが、ノエルの拳骨がごちんとカインの脳天に直撃したため、最後まで言うことは出来なかった。

 

 痛い。あまりにも痛い!


 いや、団長は明らかに誤解している。

 俺は「そんなことはない」って言おうとしたのに。


 カインはそう反論しようとしたが、もう見違えるほどに不機嫌そうになったノエルに恐れ慄いて、喉元まで出かかったところでぐっと飲み込んだ。


 ……これ以上余計なことを言うのは、あまりにもリスクが高すぎる。

 触らぬ神に祟りなし、とも言うし。

 このようなデリケートな話題は、どこで地雷を踏み抜くかわかったものじゃない。



 天地がひっくり返るほどの衝撃に、もう二度とこの話題は口に出さないようにしようと決めたカインであった。

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