【挿話】冬の悪夢
何故、騎士を目指したか。
何故、これほどまでに魔族を憎むのか。
その理由は、15年前のある事件まで遡る。
騎士、ノエル・ベルンスト・フローシュ――彼は夢の中で過去を見た。
◇
あの日は、珍しい大雪の日だった。
ここは王都から北西に位置するフローシュ伯爵領。
領地の北側には共和国との国境線が引かれ、また西側には山脈を隔てて魔王国と接している。
まさに王国の最先端。共和国間で多くの人が行き交う重要な地点であるとともに、魔王国からの脅威に一番に曝される危険地帯でもある。
だがこの領地がこれほどまでに繁栄したのは、この山脈のおかげである。
大陸を南北に走る山脈は、王国・共和国と魔王国の間を隔てる大きな壁。
魔族の侵入を防ぐ、大自然が生み出した巨大な砦なのである。
この山脈東部に位置するこのフローシュ伯爵領では、滅多に雪が降らない。
山々から吹き下ろす風は乾燥していて、冬場はからっと晴れた天気が多い。
降ったとしても、年に数回くらい。
それも積もるようなことなど、歴史を遡ってみても数えるほどしか無かったのだ。
そんなこの地に、大雪が降った。
三日三晩降り積もった雪は、あらゆる物体に積もり、覆い隠した。
もう辺り一面が雪に覆われ、キラキラと輝いて眩しい。
よく雪は銀色に例えられるが、その例えが至極適当な言葉選びであったことに気づくだろう。
「お母様、少し外の様子を見てきます!」
「手袋はつけた? 外は寒いから気をつけるのよ。それに、最近は魔物も出没するらしいから――」
ノエルの母はいつも心配性だった。
この日も色々と特に口酸っぱく言ってきたので、ノエルは途中で話を切り上げて、
「分かっています! では行ってきます」
と、ろくに話も聞かず、戸を開けて外に出た。
ああなると無限に注意事項が追加されていくのだ、とノエルは過去の経験から学んでいた。
あれも母の優しさの表れであると気づいてはいたが、この景色を前に長時間捕まるのは勘弁願いたい。
――この時ノエルは11歳。
少し大人びてきたと言われるようになってきたものの、まだまだ幼い子供。
お伽噺でしか知らないような景色に心を踊らせた。
新雪をぐしゃっと踏むと、独特のぐしゃりとした感触が伝わってくる。
素手で触るととっても冷たくて、ふわふわと柔らかい。なのにギュッと両手で握ると、石のようにカチコチに固まってしまうのだ。
初めて見た銀世界の光景に、彼は熱狂した。
そして同時に、街の景色がどんな風に変化したのか、この目で見てみたくなった。
そうと決まれば、早速行動する。
ノエルは、庭園をまっすぐに走り抜けると、門の近くに立っていた兵士の一人に話しかける。
「ロベール隊長、街を見に行きたいです……」
ノエルが話しかけたのは、騎士のロベールだ。
この伯爵邸を警備する部隊の隊長である。
「おお、ノエル、待ってたぞ。……乗ってくか?」
ロベール隊長は、厩舎を指さした。
そのジェスチャーは、ノエルにとって馴染み深かった。
ロベール隊長は、どこかに行きたいと言うといつも馬を用意してくれる。
馬があれば歩くよりも早く目的地へ辿り着けるし、そしてなにより楽しいのだ。
彼は物心ついた頃からずっと隊長を務めており、ノエルの両親の次に彼を可愛がる、いわば第二の父親のような存在である。
もしかすると今日はこんな珍しい大雪の日だから、ノエルが声を掛けてくることを想定していたのかもしれない。
厩舎へと向かったロベールだったが、しばらくすると、手を振りながら騎乗してやってきた。
カポリカポリと蹄の音を立てながらノエルの前へやってきて、やがて停止する。
ロベールは手を差し伸ばし、ノエルを鞍の上にぐいっと引き上げる。
「街に行くと行っていたな……よし向かうぞ」
ロベールがそう言うと、再び馬が前進し始める。
ノエルはさわさわと
……毛並みはサラサラとしていてとても綺麗。
大切にされていることがよく分かる。
しばらくすると、街の中心地にやってきた。
なんだか、異国の街に来たような不思議な感覚だ。
普段より人の往来は少ないが、やはり中心街ということもあって、皆寒がりながらもいつもの日常を送っていた。
「ノエル、おやつでも食うか?」
ロベールがそう尋ねると、ノエルはこくりと頷いた。
こうやって出かけたときは、いつもお菓子やパンを買ってくれるのだ。
両親や使用人には内緒だが、それはロベールも同様だ。二人だけの秘密である。
でもノエルにとっては、このときに食べるおやつが一番好きだった。
ロベールが屋台で買ってきてくれたのは、小麦色にこんがりと焼けたワッフル。
金色に輝く蜂蜜がとろりとかかっていて、甘い匂いがぷんぷんと漂ってくる。
我慢できずにすぐにノエルは齧り付く。サクッとした歯ごたえの生地が、蜜でしっとりとして、その食感の対比が素晴らしい。
もぐもぐとひたすらに頬張るノエル。
その姿を見つめるロベールの表情には、いつもの優しい笑顔が灯っていた。
――そんな時、後ろから蹄の音が聞こえてくる。
その音はどんどんと近くなり、やがてノエルらの横で停止した。
何事かと振り返ってみると、白地に青の差し色の制服――騎士だった。
ノエルはよく伯爵邸に出入りする騎士の顔は覚えていたが、彼の顔は見たことがなかった。
まあそれ自体はよくあると言えばそうなのだが、よくよくその顔を見ると、彼がただならない目つきをしていることに気がついた。
「ロベール隊長……今すぐに」
「おい、アラン。なんだ、落ち着いて喋れ」
なにか焦っているのか、単語を羅列するだけのアランという騎士。
馬に乗ってきたというのに、走り込みをした後くらい息を切らしていた。
それに対してロベールは、冷静にこの状況を把握しようと尋ねる。
そのロベールの静かなトーンに、少し落ち着いたアランは、ゆっくりと、かつ鋭く状況を報告した。
「……ま、魔族が、こちらに向かっています」
「なんだと!?」
ロベールは、声を荒らげて驚いていた。
アランは更に「ええ、街の南東部から数名が」と状況を補足する。
ノエルだけは、まだうまく状況を掴めずにいたが、その物々しい雰囲気から異常事態であることだけは理解していた。
魔族なんて、英雄の伝記かお伽噺でしか聞いたことがない存在だ。
少なくともノエルが知る限り、王国で魔族が出たという話は聞いたことがない。
隣の国にそのような存在がいることは知っていたが、大きな山がそれを覆い隠すように、人々はその存在を忘れていた。
現実味のない状況に、ノエルは戸惑っていた。
なにをすべきか、全く頭に浮かばない。今までこんなこと無かったのだから。
一方のロベールは、的確に指示を出す。
隊長というだけあって、経験は豊か。このような混乱状態でも、対処する技能を身に着けているのだ。
「アラン、伯爵邸に向かえ……領主様を早く逃がすんだ」
「承知しました!」
ロベールは簡潔に指示を出し、アランの後ろ姿を見送った。
気づけば街には騎士たちが溢れていた。その全員が、領民に対して避難を呼びかけている。
「俺たちも逃げるぞ」
ロベールがそう優しく言ったが、ノエルはあることに気がついて声を荒らげる。
「まって、お母様とお父様が!」
「大丈夫だ、アイツがどうにかしてくれる」
ロベールは、そう言って馬を走らせた。
先程とは違い、全速力だった。ノエルの言う事に聞く耳を持たなかったのは、それが最善だったからだ。
馬の背中の上は大きく揺れて、そして周りの景色がぐんぐんと流れていく。
すぐに街を抜けて、東にある林の中へと二人は入っていった。
ここはなだらかな山道となっており、舗装されていない道がしばらく続いている。
「大丈夫だ、安心しろ。お前の、お父さんとお母さんも無事だ」
ロベールはノエルに対して優しく声をかけ続ける。
その言葉に根拠なんて無かったが、彼自身もそれを信じ続けるしかなかった。
そして、不安にならないように言い続けるしかなかった。その言葉は、ノエルに対してだけでなく、彼自身に言い聞かせる意味もあった。
馬はどんどんと走り抜け、ついに丘の頂上にまで到達した。
ノエルはこの時はじめて、後ろを振り返った。街全体を、よく見ることができた。
そうして気づいたのは、街の至る所で点々の火の手があがっていることだった。
たった数分前まで、いつも通りだった街が、どんどんと壊れていく様子が見えた。
ノエルはすぐに、街の外れにある大きな邸宅から火の手が上がっていることにも気づく。
伯爵邸……ノエルの生まれ育った家で、つい先ほど父親と母親を残してきた、その場所。
それが、赤く、真っ赤っ赤に燃え盛っていた。
「家が! 隊長、お父様が! お母様が!!」
「大丈夫だ、大丈夫! 二人とも無事だ」
ロベールはずっと同じ調子で繰り返していた。
ノエルの両親が、同じ騎士の仲間が、そして街の人々が、どれほど無事なのかは分からない。
しかし今、二人に出来ることは真っ直ぐと進むことだけ。
彼らはどうすることも出来ずに、ただただ燃え盛る街から逃げるしかなかった。
『苦難の冬』――後に人々は、この日のことをそう呼んだ。
街へ侵入した魔族は、応援に来た騎士たちによって討伐された。
だが、その被害は大きく、数多くの領民や騎士が犠牲となった。
フローシュ家の当主とその夫人――両親が死亡したことがノエル本人に伝えられたのは、この悲劇から三日が経過したときだった。
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