3 小屋の中
「ふざけるのも大概にするんだ」
どこかふわふわとした態度を取り続ける少女に、痺れを切らしたノエルは怒りに満ちた声で告げる。
「その声で言われるとドキッとしますね。……まあいいでしょう。私はいつだって真剣ですよ」
はぁとため息を吐きながら、目の前の少女は語り始めた。
「私は親愛なるレオノーラ様の下僕、そして『七魔』の風の使い手――アンヌと申します。以後お見知りおきを」
「……――いま、何と言った!!」
胸ぐらを掴まれながらも優雅に自己紹介をしてみせた少女は、自身のことをアンヌと名乗った。しかしそんなことよりも、ノエルは「レオノーラ様の下僕」という言葉に強く反応した。アンヌを壁に押し付ける力も強くなると同時に、憎しみに満ちた視線でアンヌを捉える。
「騎士様? 勘違いなさっているようですが、先の事件に私は関与していません。おそらくはレオノーラ様単独の計画……詳しいことは分かりかねますが」
「……――ッ!」
相変わらずの態度のアンヌ。やり場のない怒りに、ノエルの拳はプルプルと小刻みに振れていた。
「ではなぜ、俺はこんな姿になったんだ!」
「ふふ、とてもいい質問ですね。私は優しいので、ぜーんぶ答えてあげますよ。
えーと、それは所謂――『転換術』です。文字通り、術者と対象の魂を入れ替えてしまうという、非常に高度な術式です」
アンヌは、ノエルの姿を一瞥しながら言った。
転換術――これはまだ通称である――は、レオノーラによって開発された高度な魔術の一つ。今実際にノエルとレオノーラの精神が入れ替わっているように、対象と発動者の魂を転換してしまう。
「なら、俺の姿をした魔族が王国内を彷徨いているということかよ」
「残念ながらその通りです。……ただ一つ安心できるとすれば、まだ彼女は活動を始めていません。
転換術というのは肉体に大きな負荷をもたらします。転換術を掛けられたあなたの肉体は、見た目は綺麗でも、体の中がズタズタになってしまっているでしょう。
あなたの肉体――つまり、レオノーラ様が完全に回復するまでには、おそらく二週間程度は要するかと」
ノエルの力は更に強くなった。体が木にめり込み、嫌な音を立てている。怒りか、苦しみか、様々な感情がごちゃ混ぜになって、ただただ目の前の魔族であるアンヌに当たるしかないのだ。
「……あの、騎士様、胸がすごく苦しいです。このままだと私、死んでしまいます」
「その名前で呼ぶなッ!」
涼しげな顔で耐えていたアンヌだったが、流石にキツくなってきたようだ。
そんなギブアップ宣言もノエルの耳には届かず、火に油を注ぎこむだけの結果となった。
「それに、そんなに暴れたら……」
「なん、だ………………?」
だがそんな中、先に限界を迎えたのはノエルの方だった。
急に体から力が抜け、全身が浮遊感に襲われる。そして、あっという間に視界が黒くなり、気づけば意識を手放し、地面に倒れ込んでいたのだった。
「ああ……思ったより早かったですね」
◇
「…………ぅ、ここは?」
「おや、起きましたか。おはようございます」
気づけば、ノエルは横になっていた。埃っぽくてカビ臭い、クッション性は最早微塵も残っていないマットの上だったが、その辺りの地べたよりかは幾分とマシだ。
明け方の薄暗いほんのちょっぴりの日光が廃墟の中を照らしている。
「まだ魔力が回復していないのに大暴れするからですよ。……はい」
肩を竦めながらアンヌが手渡したのは、紙に包まれた黒か茶色の塊。受け取ったノエルは地面から起き上がり、その物体を観察する。触れてみるとプルプルと弾力があって、ようやくそれが食べ物であることが分かる。匂いは……よくわからない。
「いろんな薬草と砂糖を混ぜて作った、体力も魔力も回復してくれる栄養食です。まるまる一本食べちゃってください」
アンヌはもう一本、懐から取り出したその食べ物を一口かじってみせた。
その様を見て案外素直に頬張ったノエルだが、口に広がったのは甘みと苦味。薬草特有の香りと匂いが、味と長期保存のために大量に投入された砂糖と完全にミスマッチ。飲み込めないほどではないが、全くといっていい程に美味しくない。その辺の草の方がたぶん美味しいはずだろう。
「……全然美味しくないぞ」
「その通り、欠点は全然美味しくない所です!」
完全に開き直られてしまい、逆に付け入る隙がない。
でもお腹は空いていたので……しょうがない。ノエルは覚悟を決めて一本まるまる食べ尽くした。味の完全に飛んだ保存食を食べることも多いノエルにとっては、まあこの程度なら……というくらいではあったようだ。
「全部食べれて偉いですね!」
「……………………」
パチパチパチとわざとらしく拍手をして、アンヌはノエルを褒めた。
なんだこいつは。なぜこんな深夜か早朝にこんなテンションで入れるのだろうか。まさか、昨日のやり取りをすべて無に帰そうとしているのではないか。
まだ目覚めてすぐのぼんやりとした思考の中で、そんなことを考える。怒るほどのエネルギーもないノエルは、一旦とりあえず無視という選択を取ることにした。妥当な選択である。
「つれないですね……昨日はあんなに元気だったのに……」
ボソボソと何か呟くアンヌだったが、相変わらずノエルは無視を決め込む。
このくらいの態度が丁度いい。
「……では騎士様、水浴びはいかがでしょうか? 着替えもご用意しましたので」
「俺が……か……?」
「そうですよ? ご自身のお体をご覧ください、すごく汚いじゃないですか」
アンヌが指さしたのは、窓の外に見える湖。辺りも暗く、水面は暗黒に染まっている。
だが、アンヌの言う通り、ノエルは自身の体の汚さに気がついた。ノエルの身に着けているドレスは、既に様々な汚れでもう泥々だった。血、泥、草、汗、様々な汚れが混ざり合っていて、それはもう見るも無惨な姿に。
それだけ汚れていても様になっているのは、レオノーラの肉体の美人さ故だろうか。
「……………………」
ノエルは、自身の胸を触る。ほんのりと膨らんでいて、以前にはなかった弾力が返ってきた。彼は少しだけ赤面しながら、そして一種の気持ち悪さを感じながら、今度はより華奢になってしまった四肢を見つめた。ああ……本当に女になってしまったんだな……。
「ふふ、恥ずかしいんですか? 女の子になったばかりですから、無理もないですね……先輩たる私が手伝ってあげましょうか?」
「いや必要ない……!」
なんだかいやらしい表情のアンヌを華麗に無視して、ノエルは小屋のドアを開けた。そして湖へとゆっくり歩き出すと、覚悟を決めてドレスと下着を脱いで裸になった。
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