2 夜が明けて

「これは、夢か……? そうだ、これは夢だ……」


 ノエルは早速、現実逃避に入った。だが非情にも、自身の声帯から聞こえてきたのは、鈴を転がすような女の声だった。忌々しい、あのレオノーラの声だ。


「は、はは、そんなことが……」


 ノエルはただただ、乾いた笑いをあげるしかなかった。刀身に映るノエルの姿は、まるで壊れた人形のようだった。そこには「鉄仮面」の面影は微塵もない。


 ――よりにもよって何故、魔族なのだろうか。


 よりにもよって何故、仲間を殺した奴レオノーラなのだろうか。ノエルは、目の前の現実を受け入れられずに、ただ呆然と地面にへたり込むしかなかった。




「おい、お前――!!」


 地面に座り込むノエルに、そう叫ぶ声が聞こえた。声の聞こえた方に目をやると、白地に青の差し色の入った制服に金属製の鎧を身に着けた、騎馬兵二人組が見えた。

 これは、おそらく第5騎士団か。……ようやく助けが来た!

 

 だが、そう思ったのもつかの間。ヒュン、と高速で矢が飛んでくる。

 目にも止まらぬ速さだったが、幸いにもノエルの横数十センチの地面に突き刺さった。


 ……当たり前だ。この騎士たちにとっては、目の前の魔族ノエルがこの惨状を引き起こした――騎士たちを惨殺した張本人なのだ。すぐそこに惨劇を引き起こした犯人がいて、誰が冷静なままでいられるだろうか。


「おい、俺は――」


 弁解の声は、彼らの耳には届かなかった。

 ――弓という武器は、時速約100から200キロメートルの速度で、矢を放つことができる。鋭利な金属製の矢尻は、命中精度を上げ、対象への攻撃力をあげることを目的としている。

 今のこの魔族の肉体が、どれほど外力に強いのかは分からない。だが、ノエル自身数々の魔族を剣と弓で仕留めてきた経験がある。もしあれが一発でも直撃したら、どうなってしまうんだろうか。


 もう一人の騎士が、弓を射ろうとする、その瞬間。

 ノエルは咄嗟に立ち上がり、横に走り出した。


「おい、待て!」


 ノエルは草木をなぎ倒し、木々の隙間をジグザグに走る。遠距離攻撃の可能な弓矢だが、連射は不可能。距離を一気に稼ぎ、射たれるリスクを減らすことが先決だ。


 ――神は、仲間の死を悼む時間すら与えてくれないのか。

 ノエルは、まだまだ怠く重たい体に鞭打ちながら、一心不乱に森の中を駆け下りていった。


 だがそのとき、森の中を駆けるノエルは岩場に足を滑らせて、激しく転んでしまう。元々沢があった箇所で、苔が非常に滑りやすかったのだ。多少の傾斜があるため、ノエルの体はコロコロとボールのように落ちていく。しかしやがて、比較的平坦になった場所で止まった。


 ノエルは少しうめき声を上げながら、地面に這いつくばって倒れていた。ああ、神はついに見放したか。……いや、見放されて当然かもしれない。なぜなら魔族は、女神の対となる悪の象徴なのだから。


「どうやら……お困りのようですね?」


 突然聞こえた声の方に顔を上げると、

 

「魔族、か?」

「ええ、見ての通り。ですがご安心ください、あなたの仲間・・です」


 屈託のない笑みを見せる、一人の少女。緑の差し色の入った白いワンピースで、一見するとそこら辺にいる村娘のように見えるが、その頭部には魔族の象徴である角が生えている。


「助けてほしいですか?」


 その少女は、ノエルに問いかけた。

 わざとらしく体を傾ける少女に、ノエルは思わず逆に質問をする。


「お前は……奴の、レオノーラの仲間か……?」

「そんなことは聞いていません、助けてほしいかどうか質問しました。……いやまあ、今死なれたら困るんで、ノーと言われても助けるんですけどね」


 まだ目視はできないもののすぐ近くに騎士がいる中、この魔族の娘は何を突っ立っているのだろうか。

 余裕綽々と微笑みながら話す姿は、どう見ても胡散臭い。正直助けを乞うつもりなどなかったが、目の前の少女はノエルの返事を待たずに行動した。


「おい、止まるんだ! 忌々しい魔族め!!」


 森の茂みをかき分け、騎士が追いついてきた。先程の凄惨な現場を見ていたのにも関わらず、片手で数えられるほどの人数しかいないようだ。

 冷静に考えれば自殺行為だということは分かっているだろうに、それでもノエルのことを追いかけたのは、現場の惨状から冷静さを欠いていたことに他ならない。

 魔族の強さを身をしみて感じたノエルにとって、騎士たちの行動はどう考えても無謀すぎた。背筋には冷や汗が滴り、咄嗟に大声で少女を静止していた。


「やめろ! 殺すな!!」


 そんなノエルの叫びも虚しく、瞬時爆発する地面。ドンと地面を揺らすような低いこもったような音が響き、騎士たちは衝撃で、少なくとも数メートルは宙を舞った。

 どさどさと騎士たちが地面に落下し、もれなく動かなくなった。


 ノエルは咄嗟に、魔族の少女の方を見た。


 こいつは……何も感じていないのか?


 先程の笑顔をそのまま引っ付けて微笑んでおり、魔族との価値観の違いに戦慄した。そして同時に、目の前の騎士を殺害したこの少女に、ふつふつと怒りが込み上げてくる。

 しゃがみながら彼女をきっと睨みつけると、彼女はなぜだか自慢げな態度でつらつらと語りだした。


「その目は疑っていますね? ……ふふ、ご安心ください。私の華麗なコントロールにより、爆風を発生させながらも、外傷を与えないように地面を爆発させることに成功しました。

 ご覧の通り、誰一人として死んでいません! いやぁこれ、すごく感謝されちゃうんでしょうね~」

「………………」


 ノエルは何も言わなかったが、彼女を見つめる目は怨嗟から猜疑のものへと変わっていった。

 なんだこいつは――という感想しか浮かばなかった。

 確かに、地面に倒れた騎士たちをよく見ると、ピクピクと痙攣している。外傷も見えない。

 彼女が言っていることは、おそらく事実なのだろう。

 

 なぜ助けてくれたのか分からないが……もしかして同族だと思われている?

 ノエルは瞬時に脳内で思考を巡らせるが、少女の一声によって中断される。


「……まあ、いいでしょう。これは私の一方的なお節介ですし、感謝の言葉を求めるのはもっとお互いを良く知ってからにしましょう」

「お前は、なぜ俺を助けた……?」

「まあ! お礼は口にせず、質問ばかりですか。ですが騎士様、私は寛大なので全て許しましょう。質問にも後で答えてあげますから、応援が来る前に安全な場所に移動しましょう」


 つらつらと文句を述べる少女に、ノエルは思わず圧倒された。それに応援が来たら困るのは事実、おしゃべりをしている暇もないので、ここは一旦何も言わず素直に彼女に従うことにした。こいつを問い詰めるのは後だ。


 立ち上がり、この魔族の少女の方へと付いていく。漆黒のドレスは、この鬱蒼とした森の中ではそれなりに邪魔で、あらゆる葉っぱや土を巻き込みながら、どんどんと布を汚していく。救いは靴がブーツだったことか。全然歩きやすい。




 数十分ほど歩いたところで、湖に出た。小さな湖だが、湖畔には小屋が建っている。おそらく狩猟小屋だろう。

 ただおおよそ数年間はメンテナンスされていないのだろうか、壁には穴が空き、おそらくあれは屋根もちょっとだけ崩壊している。だがまあ、一時的に身を休めるなら十分だ。

 ガタついているドアを開け、ノエルたちは中に入る。中は埃とカビっぽくて、いかにも廃墟という感じだ。


「素晴らしい新居ですね。今日はここで休みましょ――」


 少女の胸ぐらを掴み、壁に押し当てる。

 バンと激しい音を立て、既に脆くなった建物全体がミシミシと揺れた。


「何が目的なんだ? 俺に何を求める?」


 当の少女の方は、涼し気な顔でやれやれといった感じで肩を竦めた。


「ふふ、突然情熱的ですね。そういうの……嫌いじゃないですよ、私」

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