魔族嫌いの騎士団長は、魔族として生きていく。 ~美少女魔族に身体を乗っ取られた男の救国物語~

柊しゅう

第1部 入れ替わり

1 騎士団長、魔族に体を入れ替えられる。

「――なんだ、これは」


 風がそよめき、暗黒に染まった木々がこすれあう音。

 その中に、絞り出したような震えた声が混じる。


 彼が見つめるのは、無惨にも切り裂かれた騎士たち・・・・・・・・・・

 彼らはほんの10秒ほど前には生きていた。そう、いつも通りの訓練のはずだったし、呑気に会話もしていた。

 ただ彼は唖然として、目の前の出来事をぼーっと眺めることしかできなかった。



 彼の名は、ノエル・ベルンスト・フローシュ。

 リンドブルグ王国第3騎士団の団長である。


 齢27歳、美しい金髪に丹精な顔立ち、そして伯爵という高い身分を持ちながらも、彼の周りで一切の浮ついた話

は一切ないとか。

 これはひとえに、彼が武術以外に興味を持たないストイックな性格だからだろう。


 騎士団長に昇格した直後は、貴族のボンボンだと馬鹿にされることも多かった。

 だが、そんな声を実力で黙らせたのがノエルという男だ。

 王国内において、その強さは一二を争う。一年ほど前に行われた武術大会では、わずか5秒で決勝を制して優勝するという前人未到の記録を打ち立てたほどだ。


 そんな彼は、周囲の騎士たちに『鉄仮面』のあだ名で呼ばれている。

 なぜならば、ノエルは一切笑顔を見せない。

 周囲の騎士たちからは「感情が存在しないのではないか?」と思われているほどに、表情の変化に乏しいのだ。




 だが美しい月夜が照らすこの夜。

 鉄仮面と揶揄されるほどの表情に乏しい彼、ノエルを――珍しく動揺させた事件が起きた。

 

「……ふふ、ようやく邪魔がいなくなったわね」


 月夜に照らし出されたのは、ただ立ち尽くすだけのノエルとかつて仲間だった塊・・・・・・

 隊は襲撃を受け、ノエル以外の騎士全員が犠牲になってしまった。

 彼はただ、その様を、あっという間に起きた惨状を、見つめることしか出来なかった。



 ――そんな彼を見下ろす存在。


 年齢はいくつだろう、見た目だけで推定するならば15歳くらいの若い少女。

 サラサラとした白銀の長髪に真っ赤なルビーのような瞳。まるで陶器人形かと見間違うほど不自然なまでに美しい顔貌は、まるで芸術品、アートの類だと片付けることができそうだ。


 そして最も注目すべきなのが、頭部に一対ある角。

 羊にあるようなぐるりと大きくカールしたその角、人々はこのような種族を「魔族」と呼ぶ。

 月夜を背に、真っ黒なドレスをなびかせながら空中に浮かぶ彼女は、妖艶に微笑みながらノエルへと語りかけた。


「はじめまして、私はレオノーラ。あなたに会いに来たのよ」


 レオノーラと名乗る魔族の女は、そう話すと地面へと舞い降りた。

 血溜まりをピチャピチャと踏み、おもむろにノエルの元へと近づく。

 まるで人の死を、ただの一つの事象だとしか捉えていないように。



 魔族は、――敵だ。

 自身を、仲間を、そして祖国を、脅かす存在。


 騎士として、あるいは一人の人間として。ノエルは魔族を憎んでいた。

 多くの人間が魔族に苦しめられ、殺されてきた現実を見てきた。ノエル自身も幼少期に両親を魔族に殺された。魔族はこの国にいてはならない存在なのだ。


「……――――ッ!」


 だから、ノエルは行動した。何も出来ずにその場に立ち尽くすように見せかけて。

 無警戒でレオノーラが近づいてきた所、ノエルは最後に決死の抵抗を見せた。


 ……腰の長剣は使えない。鞘から取り出し、振りかぶるという予備動作が必要だからだ。ならばと、ノエルは背中側のベルトに隠していた短いナイフに手をかけた。

 これならば必要最小限の予備動作で済む。

 

 音が聞こえないようにボタンを外し、ホルダーからすぐに取り出せるようにしておく。

 そして、適度に近づいてきたところで、ノエルは一気にナイフを持って振りかぶった。


「あら?」


 しかし、レオノーラはノエルの腕を軽々と片手で受け止めてしまった。

 まるで全ての動きを見透かしていたかのように。


「――残念ながら」


 真っ赤な瞳が一瞬だけノエルを見つめる。

 目が合ったと思った瞬間、ノエルの体は突然宙を舞った。ノエルの胸元をてのひらで押し飛ばしたのだ。鍛えられた成人男性の身体、決して軽くはないはずだが、ノエルの身体は十数メートルにわたって舞い、血と土砂を巻き上げながら転がった。


「く、……そっ……!」


 血と土の味が混ざり合う。ノエルは全身の痛みに耐えながら、立ち上がろうとしていた。

 魔族は一般的に、人間よりも身体能力が高いと言われている。……だがしかし、ここまでの圧倒的な力は、魔族だとしても異常だ。


「化け物が……!」

「あら、淑女レディーに向けてその言葉はあんまりじゃないかしら?」


 一層と微笑むレオノーラに、ノエルは腹の底が冷えるような恐怖を感じる。まさに絶望だ――大蛇に飲み込まれる鼠の如く。


「なぜこんなことを……!」


 仰向けになって後退りしながら、ノエルは逃げようと試みる。だが無駄な足掻き。レオノーラはゆっくりと、かつ優雅にノエルの元へ歩み寄る。


「ねぇ騎士様――いえ、ノエル様。実は貴方の事、とっても気になっているの」


 レオノーラはかがみこみ、恐怖に染まるノエルの顔をのぞき込んだ。そして真っ白な手のひらを伸ばし、ノエルの頬に触れた。その手はいやに冷たく、ぞわぞわとした悪寒が体を襲うものの、もはや触れられることに抵抗する勇気はなかった。

 その指先が頬についた血だまりをなぞりながら、線を描く。さーっと下へと移動した指は、そのままノエルの唇を撫でた。


「貴方のその顔も、その表情も。貴方を貴方たらしめている物がなんなのか、とても興味が湧くの。……ふふ、その目、悪くないわ」


 レオノーラはおもむろに、両手をノエルの胸元に当てた。

 命を奪われるのではないかと想像していたところでのおおよそ不自然な行動に、ノエルはただただその動きを見守るしかできなかった。


「……おい、なんだ」


 その刹那、ノエルの左胸――手が当てられている部分が熱くなった・・・・・

 

「ノエル様、――貴方のことを少しだけお借りするわ」


 突如、胸元に紋様が浮かび上がる。ひとつ、ふたつと、紋様は重なり、幾重にもなって胸に模様を刻んでいく。異様な光景に、ノエルは無理矢理にでも身体を動かそうとするが、まるで石になったように動けない。彼の意志は制御を失っていた。


(ああ、俺は死ぬのか……よりにもよって魔族に……)


 徐々に意識が混濁する中、ノエルは自らの体が異質なものに置き換わっていくのを感じた。レオノーラの手がノエルの身体を透過していくかのような、不可解で恐ろしい感覚だった。

 意識が闇に包まれ、ノエルは自分を失っていくのを感じた。しかし、どこかでノエルの心は叫び続けていた。


(絶対に……許さない……!)



 ノエルは目を覚ました。

 朝日が昇り、鳥たちがピヨピヨと鳴き始める。燦々と輝く陽光が瞼を照らし、非常に眩しい。あぁ……なんと忌々しい朝なのだろうか。

 まだ上手く働かない頭を回転させながら、周囲の様子を探る。

 

 すべて、ただの夢だったらいいのに。そんな願いをかき消すように、どす黒い血の海が辺りに広がる。ああ、みんな死んでしまったのか。

 嗚呼、何故……何故俺だけが生き残ってしまったのだろうか。ノエルはひざまずきながら、仲間の亡骸を見つめる。

 そこにはもうレオノーラの姿は無い。ただただ混沌とした静寂が広がっているだけだ。

 

「……クソッ!!」

 

 ノエルが悪態をついたとき、彼は一つのある違和感に気づいた。


 ――自分の声が、いつもと違う。


 声が枯れているとかそういう話をしているのではない。もはや別人。赤の他人なのだ。

 それも、聞くだけで心臓を鷲掴みにされるかのような、そんな甘い声が。

 この声、どこかで……。


 ノエルは、恐る恐る手を伸ばした。亡骸が握ったままの、刀身の折れた剣を拾うために。それは半分くらいの長さになっていて、もはや本来の用途では役に立たないだろうが構わない。


 ノエルは刃にこびりついた、土埃と、凝固した血飛沫を手で拭った。汚れが取り払われ、シルバーの金属光沢があらわになる。

 綺麗になったその一部分は、鏡のように機能した。ノエルは自分に向かい合わせて、そこへ映った像を見た。


「これ、……俺か?」


 思わず呟いた。

 刀身に映り込んだのは、ノエルではなかった。

 

 

 ぎこちない表情を浮かべる、銀髪の少女。ゆらゆらと揺れる赤い瞳が、焦り、悲しみ、絶望、あらゆる感情を物語っている。ノエルが瞬きをすると、彼女も瞬きをした。

 そんな彼女の頭部には、ぐにゃりと曲がった太い角が生え揃う。

 

 ――それはノエルが忌み嫌い、そして、目の前の悲劇を生み出した張本人。


 「レオノーラ」と名乗っていた魔族の女、まさにその姿だった。

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