破壊

「壊してどうするの? 無にするの? ゼロ世界は退屈だって言ったばかりじゃないの。それともあなたが作り直すの? あなた一人ですべてを計画して?」

「そうじゃない。俺は計画なんてしない。すべてを焼き払えば、その後から自然に草木が生えてくるのさ。メフィ、これはデッドロックだ……悪循環が固定して、成長して、ガンのように大きくなってすべてを飲み込んでるんだ。一度壊さないとどうにもならない……何も計画通りにはならないっていう法則を忘れたのかい、メフィ? 人がいるかぎり、人に想像力があるかぎり、すべての計画は上書きされる。君の『計画としての世界』もだ。誰もが他の誰からも訓練されず、調教されず、洗脳もされず、誰もが生まれたときから持っているビジョンを失わずに生きていけるように。誰もが自分のままで生きていけるように」

「教育をやめるってこと?」

「教育というより、人間に対する一切の計画をやめるんだ。この世界を工場から解き放つんだ。あらゆるビジョンを平等に扱うんだ。あらゆるヒエラルキーを解体してフラットにしたい。そのヒエラルキーの中には天使の階級も含まれてるんだ、メフィ。

陰惨さを取り払いたい。人生の目的のすり替えをなくしたい。完全に平等で自由で、誰かに計画されたようにではなく、自分のビジョンを生きることができるようにしたい。そうすれば、みんなが君のその杖を得る。自由な土地の上に、自由な人と共に生きたいんだ。

中心をなくしたいんだ。隅々までを見渡す視点のない世界。多くの宇宙、多くの神々が並立する世界。無数の宇宙が次から次へと生まれては消えていく。生物活性炭のような無数の穴のあいた世界……」

「それはカオスだわ……」

「カオスじゃない。無限に豊かな世界さ。現実は一つじゃない。世界も一つじゃない。小説の中にも、映画の中にも、音楽の中にも人は別世界を作ってきた。この現実だって、そうやって作られたものじゃないと誰が言える? あんたの言う神様ってのは、じつはシンヨウっていうあんたの弟かもしれない……そいつが引きこもっているうちに趣味がこうじてこの世界を作ったのかもしれない……それでこの世界を遊んでいるうちにジェリービーンズをのどに詰まらせて死んだのかもしれない……それであんたのその杖がこの世界というゲームのコントローラーで、あんたはこっそりシンヨウの部屋から杖を持ちだして遊んでいるだけかもしれない……」

「……だとしたら何なの?」

「だとしたら、そんな世界は一度リセットしてやるんだ」Fはメフィから杖をふんだくろうと手を伸ばした。メフィはさっと身をかわす。二人はしばらくもみ合っていたが、メフィはすばしっこい上に力も強くてFは歯が立たない。やがてFは息を切らしてしまう。

「杖をよこせよ」

「あなた、本当にこれを壊したいの?」

「ああ。壊したいね」

「これを壊したら私も一緒になくなってしまうわ」

「そんなことにはならないよ」

「なぜそう言えるの?」

「俺がそう望むからさ」

「そうね……いいわ。あなたがそう望むのなら」メフィはそう言うと寂しげに杖を振った。「バルス」


すると、倉庫の天井が一瞬フニャフニャに波打ったかと思うと、そこからねっとりとした酸の雨が降り出した。雨に当たった工場や学校の白い建物は白煙を上げながら砂糖菓子のように溶けていく。島はクッキーのように砕けてぼろぼろと暗い海の中にこぼれ落ちていく。破線は明かりが消えて暗い線になり、工場や学校や兵舎からは人が逃げ出し、モノや札束もこのとき急に生えてきた二本の足で思い思いの方向へと散らばっていく。工場からは車がざらざらと海へこぼれ落ちる。ミサイルは炎に包まれて時々爆竹のように派手な音を立てて爆ぜる。宝石をかき集める背広の男。それも金の延べ棒や札束や土くれと一緒に暗い奈落の海へと流れ星のように光りながら、渦を巻きながら落ちていく。

最後に残った溶岩性の岩場のような所にメフィがいた。すると雷鳴がとどろき、メフィは雷にうたれてうつ伏せにパタリと倒れた。その天使の衣装のままで。背中の羽がすぼまって、蟬の死骸のようだった。ステージクリア。Fはコントローラーを置いて、そのメフィの死骸に見入った。もう何も考えが浮かんでこない。まるで自分が死んだみたいだった。スイッチが切れたかのように、Fの思考はその場で停止した。


どのくらいそうしていただろう……開け放しの窓から生ぬるい風が吹き込んで、カーテンがパタパタとはためいていた。それはメフィの着ていた白いネグリジェ風の服に似ていた……

視界の中で何かが動き、Fは放心状態から覚めた。見ると、モニターの中のメフィの死骸の背中から白い影のようなものが、蝉が羽化する時みたいに分離して、ふわりと浮き上がった。ネグリジェ風のあの白い服、嘘くさい翼、手には杖、頭の上には輪っか、つまりメフィの生前の姿そのままだ。死んで天使になった天使……霊の霊、お告げのお告げ、重言すれすれの、二階述語論理の幻……

メフィはゆっくりと空中を上昇していった。太い棒状の光線で構成された後光がきらめきながら強さを増してゆき、とうとう形のない光の塊になった。Fはあんぐりと口を開けてその光を顔面に受けた。光はそのままモニターを抜けてどんどんと上昇し、するといつの間にかアパートの天井はなくなっていて空が見え、ロココ調の天蓋の中を光はさらに上昇を続け、空と地上を照らし、世界を満たした。そしてFは小さな声を聞いた。

「救われたのだ……」

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