第八の試み

「さてと。これがあなたの望んだ世界ね」

「そのはずなんだけど」

「じゃ、これで満足したわね?」

「何か変だな……まるで工場みたいだ」

「平和ね……」

「確かに平和だ。静かで、変な時計の音しかしない。空気や水はきれいになったけど、人はみな眠っているみたいに静かで、その顔は親孝行なパンクのように安らかで」

「幸せなのよ」

「幸せ……? なんか薬で眠らされてるみたいな顔だぜ。どうも違うな……罠にはめられたみたいだ。とても自分で望んだこととは思えない……。だって、これって退屈じゃん? 超退屈でつまんないじゃん? おまけに、さっきから変な時計の音がどんどん大きくなるし……」

「退屈ならだめなの?」

「ダメだね。俺が退屈がってるってことは、その認識が世界にも投影されちまってるってことだろ? これじゃあ結晶世界と、いや、ゼロ世界と同じじゃん? つまり無じゃん?……っていうか、俺はどこにいるのよ? これって俺、関係ないじゃん?」

「じゃあ元に戻す?」

「いやそういうことじゃなくて」

「はっきりしなさいよ。いったい何が望みなの?」

「分からない……本当に分からなくなってきた」

「しょうがないわね。じゃあ、そこの鳩時計を開けてごらんなさいよ」


Fが振り向くと、噴水の横の石の壁に大人の背丈ほどもある巨大な鳩時計が立っていた。「なんだよ。さっきからの時計の音はこれだったのか……」ぶつくさ言いながら右の縁にあるくぼみに指をかけて引っ張ると、時計はドアのように開いて、壁にはぽっかりと穴があいた。そこから下へと降りていく階段が見える。

Fは階段を数段降りて、立ち止まった。

それは巨大な一つの部屋だった……倉庫の様にも見えるが、階段のある手前の壁以外の壁は見えなかった。正面も左右にも空間がどこまでも続いていて奥の方はもやがかかったように霞んでいる。天井はあるが床はどこにあるのか分からない。下の方には暗い霧のようなものが淀んで暗い海のようになっていて、その中に大小さまざまな無数の島があちこちに浮いている……

すぐ目の前にあるのは比較的小さな島だったが、高さはひときわ高かった。Fがその島に注目しようとすると、まるでそこだけズームされたかのうように引き延ばされて、細部までがよく見えた。その島にあるのは、まずまん中に巨大な金庫、それから宝石、金の延べ棒、銃や装甲車だ。それらが科学博物館の展示にあるような赤や緑の明滅する破線に沿ってゆっくりと暗い海の中に運ばれていくと、入れ違いに札束が海の中から浮かび上がってきて、金庫の中にぞろぞろ列をなして入っていく……

その隣には、高さはそれほどでもないが大きな島があって、島の半分を占める真四角の黒い工場からは無数の自動車が整然と海へと沈んでいく……

また別の島にはけばけばしく赤い色をした大きな水たまりのようなものがあって、その中から沢山のパイプがジグザグに折れ曲がりながら周囲の海中へと伸びている。蟻地獄のようなすり鉢型の鉱山もある。古びた工場がある。よく見ると、灰色の顔をした小さな工員たちがぞろぞろと出勤していくところだ……

また別の島には無数の工場があってあらゆるものを作っている。人形、お椀、マッサージ椅子、ビニール傘、携帯電話。そのまわりには石炭と鉄鉱石の山だ……

どの島にも学校がある。小さな子供たちはみなてんでバラバラに、意味もなく体をくねらせたり、仲間たちと走り回ったりしながら学校へ向かうが、次の学校へあがるときには整然と列を組み、顔色が少し青くなっている。そこから上級の学校へ進むと顔色がさらに青くなり、そこから工場へ行くときには顔色は色紙のように真っ青で表情も消えてしまう。やがてその青色もかすれて消えてしまい、工員たちはみな灰色の顔になる。

どの島にも軍隊がある。それが島の面積の半分を占めている島もあれば、小さな軍隊しかない島もある。訓練に熱心な島もあれば、そうでない島もある。下っ端の兵隊が軍用の簡素なベッドでだらしなく眠りこけている一方で、髭を生やした将軍が個室で太い葉巻をくゆらせている。眼鏡をかけた技術者たちが植物の世話をするようにミサイルをせっせと磨いている。

それらが互いに太さがまちまちの無数の明滅する破線で結ばれていて、その線に沿って人やモノや札束が動いていく。

「何なのこれは?」

「これは世界の裏の顔、計画としての世界よ。私が作ったの」

「君が?」

「それで神様に罰せられたのよ、わけも分からずに。しょうがないから鳩時計の後ろに隠してあるの」

「誰がこれを動かしているの?」

「誰も。一部の人は、自分が動かしているように思い込んんでいるけれど、全部偶然なのよ。流れの量は自動的に調節されるの。ただ、必要とされる流れはますます速く、太くなっていくの。ここみたいに」とメフィはある大きな島を杖で指した。そこではものすごく太い破線に沿って大量の札束や人が流れていた。「でも、その隣りにある小さな島は、すっかり流れが止まってるわ。また流れたかと思うと、逆流したりして。破線がすっかり細くなってしまっているわ」

「破線がなくなるとどうなるのさ?」

「人もモノも札束もなくなって、しばらくは何もない島になってしまうわ。でも、そのうちに別の計画が生まれて何かが始まるの。『計画としての世界』はいつも変化しながら、しかも永遠に変わらないの」

「完全な計画か……」

暗い海に浮かぶ島々と、それらの上を覆う赤や緑の点滅する破線の網目をFはしばらく眺めていた。それはあらゆる動植物の死骸から養分を吸い出す粘菌の活動にも似ていた。『計画としての世界』全体が命の燐光を放っている。無数の人間を計画し、ある方向へと方向づけて得られる命のエネルギーで、それは輝いているのだ。

「メフィ。俺の本当の望みを言おうか?」

「ええ」

「壊す」

「え?」

「ぶっ壊す。『計画としての世界』を、すべて」

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