第6話
墨緒に「なんでロゼッタを拾ったりしたの?」と聞かれたことがある。
もう一年も前のことなので俺も細かいところは忘れちゃってはいるのだが。
「行き倒れてたんでしょ? 普通は救急車呼べばいいじゃない」
「いや、救急車に轢かれてたんだよ」
「は?」
まァ、そういう反応になるよな。
俺もそう思う。
◯
「うおおおおおおお!!!!!」
放水車から射撃されているような大雨の日だった。
災害レベルの豪雨なので休校にしたらどうかと教師も生徒も言っていたのに、うちの高校の校長が
「寂しいからイヤだ! 台風怖い!」
と泣き出した。
もう三十路のおば……お姉さんなのだが、住んでいたアパートが犯罪組織の抗争に巻き込まれて全壊するという悲劇に遭って、今は学校に住み着いている。
夜は用務員のおじさんを捕まえて「私のそばにいろ」と校長室に引っ張りこもうとしているところを男女平等パンチでブン殴られて泣いているのを見たことがあった。
身長が中学生くらいしかないので児童虐待の光景みたいで大変に気まずい。
なので、外出が危険な時は休校にしようという意見が職員室で出ても「ヤダ!」の一言で棄却するとんでもないクソババァなのである。マジで迷惑。
だから俺も無理して登校して、「おお! 須藤! よく来たな!」と走り寄ってきた校長に足払いをかけて泣かすくらいしか楽しいことが何もない一日だった。購買の店も閉まっていたので昼飯も抜きだった。弁当作ればよかった……
「もうちょっと……もうちょっとで家だ!」
なけなしの金で買った傘は全ての骨が折れて彼方へと吹っ飛び、俺は濡れ鼠になって這うように家を目指していた。
『無理すんなよ須藤。学校に泊まればいいじゃん』
『ふざけんな、うちの冷蔵庫には今日が消費期限の肉がある』
『……がんばってー』
クラスメイトたちの気の毒そうな視線を背中に俺は学校を飛び出してきたわけである。
一度決めたことを途中で放り出すのは気持ち悪いと思うのは俺だけだろうか。
何がなんでもあの鶏胸肉を調理して胃袋に収めないことには気が済まんのだ。
雨はますます強さを増して、俺は一歩進むたびに風で一歩分押し戻されるみたいな状態になっていた。
バグってスタックしたモブみたいになっていた俺が、その光景を見ることになったのは必然だったのかもしれない。
横断歩道を女子高生が歩いていた。
今思うと、あの大雨の中を平然とスタスタ歩いていたのだから異常な光景なのだが、当時の俺はまさか隣のクラスの同級生が暗殺者だとは知らなかったので、反応が遅れた。
なんか歩き方が変だな、よろけてるな、とは思ったのだが、雨のせいだと思った。
男の俺が吹っ飛びそうになっているのに「ちょっとバランス崩してる」ぐらいで女子が歩けている方がおかしかったのだが。
そして、横断歩道の向こうから、降り注ぐ銀色の雨を防弾仕様の装甲車のように跳ね返す一台の車が突っ込んできた。
救急車である。
あれ、サイレン鳴らしてないな、と俺がのんきな感想を覚えた瞬間、その救急車は迷うこと無く金髪の少女をハネた。
フルアクセルだった。
「え?」
フロントノーズに腰から突っ込まれた少女はそのままガラスに衝突して思春期の少年の失恋じみた亀裂を残し宙に舞い上がった。そのままちょっと空気の抜けたラブドールみたいに地面に激突して動かなくなる。
「お、おいおいおいおい……」
なんで救急車が……と思っているうちに、少女をハネた救急車は急停止し、そのままUターンした。
救護に入るのかと思いきや、そのままもう一度少女を轢いた。
念入りに三回くらい轢いた。
あ、殺す気なんだ。
俺もようやく気づいた。
そのまま救急車はしれっと走り去り、あとには金髪の少女だけが残された。
「おーい! 大丈夫か!」
その時、放っておけばあのクソ女とは他人でいられたのだが、お人好しだった俺は轢かれた少女に走り寄ってしまった。
グッタリしていた。目を瞑った顔は全身の管から全ての血を抜かれたように透き通っていた。
死んでる。
俺は息絶えた少女の抱きかかえ「クソおおおおおおおお!!」と雨雲に向かって叫んだ。
一度やってみたかったんだよね。
「俺に、俺にチカラがないばかりに!」
「う、ううーん」
「うわっ、生きとる!」
びっくりして手を離したものだから少女は後頭部を思い切りアスファルトに打ちつけて「ぐえ」と呻いた。かなりいい音がした。
眉根を寄せてちょっとエロい顔になりつつ、何か呟いた。俺は耳を寄せた。
「お……」
「お?」
「お腹、空いた……」
あー、っと、これは、
つまり?
よくよく見ると華奢なその身体のどこからも血が流れている形跡がなかった。
「なんだ、ただの行き倒れか!」
昼飯を抜いた俺の血糖値は低下の一路をたどり、目の前で人命を救助すべき車両が人を轢き殺そうとしたカオスもあって、冷静な判断力は豪雨がすべて洗い流してしまっていた。
冷蔵庫にある鶏胸肉はざっと400グラム。
一人で食べ切るには、ちょっと多かった。
◯
「おいしい! おいしいわ、この肉塊!」
「唐揚げって言え」
いくら料理しないにしても唐揚げを知らないってどういうことだよ、とロゼッタに聞くと
「暗殺者は支給された完全栄養食しか基本的に食べないの」
「嘘つけおまえこないだマックにいたろ」
「マックは私を毒殺したりしない」
どんな信頼だよ。
「あー。知ってはいけないことを知ってしまったわね。えと……」
とりあえず風邪ひくから無理やり風呂にだけ入れて、妹が泊まりに来る時用のパジャマを着せてやった女暗殺者は命の恩人の名前を数十秒で忘れた。
「須藤だよ。須藤一樹」
「そうそう、須藤。あれ、隣のクラスだっけ?」
この時はまだ隣なのでよかったが、二年生になった時に同じクラスになり昼飯をタカられることになることを俺はまだ知らない(弁当作ってやってんのに足りないとか言ってきて奪ってくる)。
「ってことは、この現役女子高生かつ暗殺者『イバラ姫』の裏も表も全てを知ってしまった男子高校生ってことね……」
「少なくね? お前の全て」
一行で収まってんぞ。
「てかお前、なんで救急車に轢かれてたの?」
「あれは救急車じゃない。私を恨んだ敵対組織の誰かよ。ほんとにもー、校長が寂しいとか言うから登校したら購買閉まってるからお昼食べられなかったのよ! お腹空いてなかったらあんなのに轢かれる私じゃないわ」
コイツも校長の被害者か。あのアマのワガママはいたずらに被害者を増やしているな。
「でも残念ね須藤」
俺が用意してやった金色の猫の柄がついたフォークで唐揚げをぶっ刺したロゼッタが、それを俺に突きつけた。
ニタリ、と毒婦のような笑顔を浮かべる。
「全てを知られたからには、消えてもらうわ!」
「おめーフォーク使う時に皿まで突くなよ」
削れるだろ食器が。
「うるさいわね。細かい男は嫌われるわよ」
「命を助けてやって、なんで文句言われなくちゃなんねーんだよ。見捨てりゃよかった」
「ふふん。こんな美少女と一緒にご飯が食べれて本当は嬉しいくせに?」
「いや、全然?」
車に轢かれて一滴の血も流さないバケモンをそういう対象には見れんぞ。
俺の返事がお気に召さなかったのか、オモチャの電池が切れたことに不満を覚える幼女のような顔になったロゼはそのまま唐揚げをパクパク喰いまくった。
「……とにかく、暗殺者は素性を知られちゃいけないの」
「誰にも言わないでやるよ」
その約束を後に俺はやすやすと破ることになるのだが、それはともかく。
ロゼはモグモグ唐揚げを喰いながら何か考え込む時の癖で横を眺めた。それからまた俺を見る。
「絶対に言わない?」
「ああ」
「絶対に絶対に?」
「ああ」
「また唐揚げ作ってくれる?」
「おまえそれが目的だろ」
にへへ、とロゼは笑った。
「感謝しなさい、須藤。あんたは私の正体を知る一般人第一号よ!」
「第二号が発生しないといいな」
「脂っこいものを食べたら胃がもたれたわ。なんかスープとかない?」
「ふざけんなよ……」
俺はオニオンスープを作って出してやった。
それもこれも、「困っている人がいたら助けてあげなさい」とか言っていた親父のせいだ。
ガキの頃の記憶というものは、なかなか抜けないものらしい。
音を立ててスープを飲み干すマナーのよくない暗殺者を見つつ、俺はテレビの電源を点けた。
ますますひどくなる豪雨とか、あの殺人救急車のニュースでもやっていないかと思ったが、近所のマンションの一室がガス爆発で吹っ飛んだという速報がやっているだけだった。
「校長のアパートもこないだ吹っ飛んだし、物騒な世相だなァ」
「そうねえ……って、えええええええええ!?」
ロゼがいきなりリビングのテレビを掴んだ。後にこのとき思い切り掴まれた衝撃で液晶が割れて買い替えることになる。
「おいやめろ! テレビは食い物じゃない!」
「違うわよバカ! わ、わ、わ……」
たぶんその時、俺は初めてロゼの泣き顔を見た。
「私の部屋があああああああああっ!!!」
◯
「……で、それからずっと一緒に暮らしてるわけ?」
「ああ。たぶん、ロゼの部屋はあの殺人救急車の犯人たちが吹っ飛ばしたんだろうな」
綺麗にロゼの部屋だけ消えてなくなったので、近隣住民には大した被害はなかったらしい。
「ふうん……」
墨緒は不満そうな顔で兄を見てきた。
「あれから一年、性欲旺盛な十七歳の二人が一つ屋根の下で何もないわけもなく……」
「おまえ溜まってんの?」
「妹にそういうことを言うなっ!」
顔を真っ赤にした墨緒に怒鳴られた。これ俺が悪いの?
コホン、と気を取り直した墨緒が空咳をする。コイツはよく小説を読むのでこういう芝居がかった仕草をよくする。
仮面の男役もノリノリでやってたし、向いてるのかもな。
「ま、兄さんがお人好しなおかげで、私たちの計画も立案できたんだし。結果的にはよかったかもね」
「俺は毎日ストレスまみれだけどな」
「そう? その割には兄さん、ぐっすり寝てるじゃない」
「はあ? なんでそんなの、おまえに分かるんだよ」
「だってこんないい夢を見られてるんだから」
そういえば、なんでうちに墨緒がいるんだっけ?
いつもロゼが座っているダイニングテーブルの向かい側で墨緒がコーヒーを飲んでいる。
「そろそろ起きないとね、兄さん」
どこかで目覚まし時計が鳴る音が聞こえた。
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