第5話


「おい、ロゼ。一人で帰れるか」

「え?」


 そのまま廃工場にいても仕方ないので、俺たちは外に出た。

 秋も深まって、いよいよ冬本番の空はのんきなパステルブルーを映している。

 とても三百万円をパクられた昼には思えない。

 ロゼは脱ぎ捨てた毛皮のコートを頭からかぶっている。

 泣き疲れたのか、目元がほんのり赤い。

 

「どこいくのよ」

「ちょっと頭、冷やしたくてな」

「そう……そうね、お互いに時間が必要だわ、今は」


 どう考えてもカネをパクられたのも、暗殺者としてのプライドをズタズタにされたのも俺ではないので頭を冷やす必要なんか欠片もないわけだが、ロゼはしたり顔で頷いている。


「夜には帰ってくるんでしょ?」

「心配するな、一人でヤツを追ったりはしないさ」

「そうじゃなくて、夕飯は七時には食べたいんだけど」

「……五時半には帰る」

「お米も炊いておいて欲しい」

「……五時には帰る」

「三時のおやつは?」

「冷蔵庫にプリンがある」

「ふむ」


 満足げに去っていくロゼの背中に俺は中指を立てた。

 俺が買っておいたプリン……

 だが、今の俺には行かなきゃならないところがある。

 ロゼが帰っていった方向とは逆に俺は歩き出した。

 というか、もう一度、工場の中に戻った。

 さっきロゼと通った道をトレースして、また一番奥のスペースに出る。

 まるで時間が巻き戻ったように、壊れた設備の上に仮面の男が座っていた。

 違うのは、フックに巻き上げられたはずの革鞄が床に落ちていること。

 俺がその鞄を開けて中の三百万の札束を取り出すのを、仮面の男は止めもせずに眺めていた。

 現ナマを掴んだ感触が手に満ちる。

 俺は……

 

 

 

 

 

 

「い――――――よっしゃああああああああああああ!!!!!!


 ザマぁぁぁぁぁぁみやがれロゼッタ・アームドソーンさんよォォォォォォォォォォ!!!!!!

 

 フ――ォオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 日頃のストレスも重なって歓喜に打ち震え絶叫する俺を見て、仮面の脅迫者がため息をついた。

 

「急に叫んだりして……」


 再びコンクリートに降り立ち、その顔から仮面を外す。

 

「やめてよね、兄さん」


 ワックスでまとめていたベリーショート風の髪をバラバラに散らして、普段通りの黒髪ショートに戻った少女が言う。

 水竜寺墨緒(すみお)。

 名字は違うが、俺の双子の妹だ。

 漆黒のコートを脱ぐと、内側に仕込んでいたアーマーパッドがガチャガチャと音を立てた。

 

「まったく……妹にこんなことさせて。とんでもない兄貴だよ」

「でも、うまくいっただろ?」

「……とうとうやっちゃったね。これで兄さんと私は共犯者だ」

「ふっふっふ。超あたまいい俺が作戦を考え、そして『輝天流』の継承者のお前が実行する。失敗するわけもないぜ」

「ま、イバラ姫の癖を兄さんが教えてくれてたからやれただけだけどね。おー怖。仮面ヒビ入っちゃったよ……メルカリで結構したのに」

「心配するな、俺が転売したエロ本のメルカリポイントで相殺すればいいさ」

「……18歳未満はエロ本禁止」


 ジト目で腕を組み俺を見下ろしてくる妹。お硬いやつめ。

 

「それにしても、サマになってたな、仮面の脅迫者さんよ」

「ボイスチェンジャー外れそうになって焦ったよ。ちゃんとテストすべきだった」

「やってみると分かることもあるさ。俺もよく醤油を入れすぎて味が濃くなる」

 

 俺は三百万を墨緒に放り投げた。

 わっ、と墨緒はよろけながら札束を連続キャッチして、ニヤっと笑う。

 

「……お小遣いかな? お兄ちゃん」

「バカタレ。俺が持って帰るわけにはいかねーだろ。どっかバレないところに隠しとけ」

「私だって、家にそんな居場所ないよ」

「あれだけ広い屋敷なんだから誰も使ってないクローゼットくらいあるだろ」

「そんなにないよ。核シェルターならあるけど」

「去年からなんか庭掘り返してると思ったらそれか……」


 さすが地元の名家・水竜寺家。

 たとえ核戦争に見舞われても子孫繁栄する気が満々らしい。

 まァ、『遺伝学上の優生血統が保証された子供』を養子にして、実子のボディガードとして育成するくらいだから生存戦略への本気度も違うわけだ。

 ちなみに俺は『確かな血筋の、乱雑な個』として養子候補からは外されてしまったので、妹と同じ町内ながら生き別れになってしまった過去があったりする。

 なので俺と墨緒が実の兄妹だということを知っているやつはほとんどいない。

 ラインも三度に一回は無視されるので、まァまァ他人になりつつある。


「……イバラ姫は気づいてないの? 兄さんが主犯だって」

「落ちた野菜を拾うべきかどうか考えるのに20秒かかるバカだぞ。気づくわけねーって」

「でも、油断しない方がいいって。相手は伝説の暗殺者の娘なんだし」

「それなら俺たちは『国家守護を命じられた裏武家の末裔』だろ?」


 それは俺たちにとって誇りであり、同時に呪いでもあった。

 先祖代々、時の為政者の身辺警護を命じられた一族、須藤家。

 その中でも一子相伝の『輝天流拳術』を親父からわずか七歳で継承したのが、妹の墨緒だ。

 まさか家の縁側でスイカ喰いながら見ていた親父と妹の戯れカンフーごっこがそんな由緒正しい拳術の伝承だったとは、のちに妹が水竜寺家にパクられていくまで知らなかった俺である。

 まァ確かに二段ジャンプとかしてたから、今思うと異常だったわ。


「兄さん」


 帰り支度がてら、打ちつけた尻をさすっている俺に近寄ってきて、黒尽くめの墨緒が俺の頬を「むにっ」と掴んできた。

 

「いひゃいぞ。ひゃめほ」

「注意一瞬、怪我一生。人を呪えば、穴二つ。……まだ、強請るんでしょ。ロゼッタを。『私達の目的』のために」

「ああ、そうだな」

「絶対にシッポを出さないでよ。私たち兄妹の」

「心配するな」


 俺は妹の頭を鷲掴みにしてグシャグシャとかき混ぜた。


「まだ一億円まで、何千万も必要なんだ。こんなところで終わってたまるか」

「そうだね……」


 墨緒は再び、仮面を装着した。

 亀裂が入り、涙のような一筋跡が残っている。

 

「私たちの『家』を、取り戻すために」



 ◯

 

 

 帰り道、ちょっと寄ってみた。

 

 その家は、白い壁に黄色い屋根の一軒家。

 郊外にあるファミリー向けの戸建で、築十五年とは思えないほど綺麗だった。

 庭には住民が世話していたらしい家庭菜園がある。

 夏には色とりどりの果実が成っていたが、採集され尽くしたのか、それとも住民が引っ越したあとで放置されているからか、今は緑の葉をつけているだけだった。

 俺はその家の門を開けて中に入ることはできなかった。

 冗談みたいにデカい南京錠がかかっていたし、庭の芝生が傷むのも気にせず突き立てられた使い回しの看板には『売家』と書いてある。

 土地建物含めて、売値はざっと『一億円』。

 俺は何度数えても減らないゼロを指さして、肩をすくめた。

 

 十年前、俺は家族とこの家に暮らしていた。

 俺の親父は警察官だった。

 将来、俺と妹が困らないようにと一念発起して家を買ってくれたのだが、勤務中の事故であっけなくこの世を去った。

 俺と妹が七歳の時だ。

 さらに運が悪いことに、父が亡くなったあとに親戚どもがやってきて、「子供に不動産管理は無理だから」とあれよあれよと言う間に家を取り上げられてしまった。

 俺と妹は路頭に迷った。

 妹は例の件で水竜寺家に養子に引き取られ、残された俺はわずかに残った遺産をやりくりしながら、なんとか暮らしている。




 

 かつて奪われた我が家を見上げて、俺は決意する。

 俺は知っている。

 

 親父が実は、巨乳派だったということを。


 類稀なる貧乳だったお袋を愛してはいても、下半身に嘘はつけず、神聖なる公職者である警察官にあるまじき欲望によって、親父の書斎の床下ハッチには秘蔵のエロ本が隠されているのを当時七歳の俺は発見していた。

 どういう罪滅ぼしなのか、それとも単に好みだったのか、その女優はちょっとだけ母に似ていた。

 家を取り上げられた時に家具や仏壇、遺影なんかもすべて差し押さえられたから、もう父や母を思い出せるものは何もない。

 あのエロ本を除いて。

 だから、決して実用のためとか、メルカリで売ったら高く売れるとか、そういう邪な気持ちは一切なく、純粋な気持ちで、俺と妹はエロ本とこの家を取り戻したいと思っている。

 

 なんだかんだ言っても。

 母を早くに亡くした俺たち家族にとって、この家は、親父と過ごした思い出の全てが詰まっている。

 ずっと親戚が住んでいたのだが、借金の返済に困って売りに出したのを、二ヶ月前に知った。

 そしてその時、俺はひょんなことから暗殺者と一緒に暮らしていた。

 裏世界での収益は表世界には出せない。

 だから、暗殺者は恐喝されていくらカネ引っ張られても泣き寝入りするしかない。

 

「須藤!」


 振り返ると、なぜかロゼが泣きそうな顔でこちらに走ってくるところだった。

 まさかバレた……?

 動揺し硬直した俺の身体をヒシっと抱きかかえ。

 そのままジャーマン・スープレックスを頭からキメられた。

 

「冷蔵庫にプリンがないィィィィィィィィ!!!!!」

「知らねぇぇぇぇぇよぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!」


 のちにロゼの若年性健忘症が発揮され、もうすでに今朝プリンを喰っていたことが判明するのだが、それはともかく。

 

 

 

 俺はこの女、ロゼッタ・アームドソーンから。

 

 限界までカネを引っ張ることに決めたのだ。

 

 

 

 ムチ打ちになった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る