第4話



 クラウチング・スタートでブッ飛んでいったロゼの後ろ回し蹴りを、仮面の男がギリギリのところでかわした。

 風圧で仮面に亀裂が入るのが見えた。

 ロゼの恐ろしいところは、蹴りをかわされて空中で姿勢が崩れるはずなのに、そのまま筋肉だけで身体をねじり追撃のカカト落としを見舞えるズバ抜けた身体能力だ。

 さすが伝説の暗殺者の娘。

 だがそのカカト落としも、仮面の男に難なくかわされる。

 

「なっ!?」


 初撃はフェイントのつもりで二撃目が本命だったらしいロゼの顔が驚愕に歪んだ。

 空打ちに終わったカカト落としがコンクリ打ちっぱなしの床に落ちて周囲一体に亀裂が入る。

 俺はその衝撃で尻もちをついた。お尻痛い。巻き込まれると怖いので物陰に隠れておく。

 

「わ、私の蹴りを……!」

「貴様の攻撃は私には通用しない。諦めろ、イバラ姫」

「それなら……!」


 頭を低く伏せて水平蹴りの足払い。それも仮面の男は縄跳びのように気軽にジャンプしてかわす。

 ちなみに、ロゼには悪癖がある。

 それは攻撃する前に、必ず相手を崩すポイントを脳内で一瞬考えて、それを視線で追ってしまうこと。

 俺がそれに気づいたのは、俺が作った野菜炒めをロゼが喰っている時。

 ロゼがポロッと玉ねぎをテーブルに落とした。

 早く拾えよボケカスと思ったが、ロゼはなぜかしばらくその玉ねぎを見つめていた。

 

『なにしてんだよ?』

『ん? ああ、玉ねぎを拾うべきかどうか考えてる』


 俺はその時、気づいたのだ。

 ――こいつ、マジでめちゃくちゃバカじゃん!!

 

 ……なので。

 あの仮面の男は、ロゼのその癖を知っている。

 だから攻撃をかわせるのだ。

 これが普通の男なら、ロゼの攻撃ポイントが読めたとしてもロゼのスピードが速すぎて暗殺されるだけなのだが。

 あの男は、ロゼの視線を見てから回避行動が取れる。

 だから。

 ロゼは、あの仮面の男には勝てない。

 

「くそっ、なんで、なんでよ!」


 蹴り技は読まれていると踏んだのか、徒手空拳で接近戦に切り替えたロゼだったが、その拳はいずれも空を切る。

 仮面の男も慣れてきたのか、ほとんど皮膚が触れそうな間一髪の距離でわざとロゼの攻撃をかわしている。

 なかなか性格が悪い。その方が、ロゼのメンタルに負荷をかけられるというわけだ。


「インチキ、インチキ! インチキーっ!」

「なんだその怒り方は……」


 子供か。

 そして、往生際悪く繰り返した渾身の回し蹴り。

 それを再び回避されたロゼの頭のつむじを、

 

 とん、

 

 と仮面の男がステップを踏んで飛び超えた。

 そのまま工場の闇に紛れて消える。

 後には無様な格好で止まったままのロゼと、尻をさすり続ける俺だけが残された。

 

「な、な、な」

「ロゼ?」

「ばあーーーーーーーーーっ!!!!!」

「お、落ち着けロゼ。な?」

「うがあああああああああああっ!!!!!」


 ロゼは顔をリンゴのように真っ赤にして地団駄を踏んだ。

 

「負けた、負けた! こ、この私が……!」

「しょ、しょうがないって! なんかやたらと強かったなアイツ! ま、まァでもカネは渡したし、見逃してもらえてよかったじゃん! な?」

「よくない!」


 ロゼが真っ赤な顔のまま振り向く。

 その青い瞳から、大粒の涙がとめどなく溢れ出していた。


「なんにもよくないっ! う、う、う、

 うわあああああああああああああああああああん…………」


 ロゼはぺたん、とその場に座り込んで。

 俺が近所のコンビニからハーゲンダッツを買ってくるまで泣き止まなかった。

 三個買わされた。











 あんまり知られていないことだが。


 伝説の暗殺者の娘・凄腕の『イバラ姫』は、泣き虫である。

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