第3話
「ちょっと変装する」
「おう。お、おお?」
言うなりロゼは長い金髪の上からさらにキツめのパーマがかかった茶髪のウィッグをぐいぐい被り、それから両手で顔をゴシゴシ擦り始めた。
そこからメイクをするのかと思ったが、ロゼが顔から手を離した時にはもう、俺の前にいたのは『イバラ姫』ではなく、水商売でくたびれた厚化粧の女だった。
馴染みの客にもらったような中途半端に上等な毛皮のコートを羽織り、なぜか靴跡のある革製のバッグに現金三百万円の札束を突っ込んでいる女暗殺者に俺は言う。
「そんなカッコする必要あんのか?」
「旧市街地の廃墟に集合なんでしょ。高校生っぽい雰囲気じゃ補導されるかもしれないじゃん。須藤、あんたもついてくるならそれっぽいカッコしてよ」
「そんな繁華街のねーちゃんっぽい服ねーよ」
仕方ないので、死んだ親父のクローゼットから昔パクってきた服の貯蔵品から、ワンサイズ上のデニムジャケットをワイシャツの上から羽織った。下は面倒くさいので制服のスラックスを流用した。
俺とロゼの家に突如として出現した水商売の姉ちゃんは、俺の服装を上から下まで睨めつけて不満そうに鼻を鳴らした。
鼻の鳴らし方まで、ロゼ本人っぽくない。芸の細かいやつである。
「須藤、ちょっと動かないで」
言うとロゼはいきなりヌッと俺の顔めがけて手を伸ばしてきた。
「なにをする、やめろ! 俺の頭をねじ切る気だな!」
「んなわけないでしょバカ言ってんじゃないわよっ! 髪型がいつも通りダサいからちょっと待てって言ってんの!」
い、いつも通りダサい……?
ひどい……
ショックを受け項垂れる俺の頭をロゼはしばらく両手で揉みくちゃにした。
「うん、これでちょっとはマシになったわ。ヘアオイルつけておいてあげたから」
「おまえ手から油が分泌されるの?」
「あああああ!? ブッ殺されたいワケあんたはっ!?」
どういう特技なのか知らんが、人の髪の毛もみくちゃにしただけでちょっといい美容院から出てきた大学生みたいな髪型になる方がおかしいだろ。
鏡を見ながら毛先をちょっといじくる。
「ま、いいだろ」
「何様よアンタ」
「そんなことより時間がやべーぞ。オラいくぞ」
「待ってまだ歯磨いてない」
「遅ぇよ!!」
起きてから何時間経ってんだよ、きったねぇなァ……
「私は出かける前には必ず磨くのよ! 朝磨いててもね!」
とかぶつくさ言い訳しながら脱衣所の洗面台に消えるロゼを見送る。
おまえ朝イチでパジャマのまま俺に泣きついてきただろうが。
「準備完了。いくわよ」
「口の端に歯磨き粉ついてんぞ」
「今回の変装に必要な味付けよ」
「じゃあ拭くなよ……」
「うるさいわね! いいからいくわよ!」
現金の詰まったバッグをひっつかんで玄関からバン! と飛び出すその背中は、痴話喧嘩の果てに飛び出した頭の軽い女っぽい芝居としては完璧だった。
◯
どの町にも廃工場だの、廃病院だのはあるわけなんだが、俺の双子の妹いわく「更地にすると固定資産税が上がるんだって」ということらしい。
博学な妹を持つと兄は助かるものだ。
そういうわけで、俺たちが暮らす紅柿(べにがき)町にもきちんと高度経済成長期に調子に乗りすぎてコケた廃ビルが複数ある。
俺も中学の頃に忍び込んで窓ガラスをぶち破るなどをして思い出深い場所だ。
みんなで記念写真も撮ったっけな……通報を聞きつけてやってきた警官が友達のイトコだったので、そのまま鉄板持ってきてバーベキュー大会を始めた。それが見事にバレて、彼はいま北海道の果ての駐在所で働いている。たまに絵葉書が届く。元気かな~
それはともかく。
「ここね……決戦の地は」
「もう終わるのこの話?」
俺のツッコミを無視してロゼが廃工場を見上げる。
「ナメてるわね……この『イバラ姫』が来たっていうのに、スナイパーを一人も置いてないですって? 冗談じゃないわ」
デコりまくったネイルの爪をロゼが噛む。汚いからこの癖やめて欲しいんだよな。
「まさか……私と白兵戦になっても勝てると思ってるの……?」
「どうなんだろうな。もしかすると犯人は俺たちと同じ高校生だったりしてな」
「ありえない。素人に私の正体が見抜けるわけないわ。あんた以外はね」
「確かにそうかも」
「……自信があるってワケね」
ロゼは息絶えた恐竜のような屍を晒している廃工場を睨みつける。
「いいわ。この『イバラ姫』、そして、伝説の暗殺者『クリムゾン・ソウ』の娘であるロゼッタ・アームドソーンが、その傲慢を打ち砕いてくれるわ……!」
言って、ロゼは胸元から、変装でも身につけて離さないロケットペンダントを取り出した。よく思い出の写真とか入れるあのペンダントだ。
そのフタをパカッと開き、中の写真に向かってロゼは呟く。
俺はいたたまれなくなって目をそらした。
「見ていて、パパ……私の暗殺道を阻む愚か者を滅殺してみせるわ」
「あの、それ頻繁に開くのやめない……?」
「なんでよ? こんなにいい写真なのに」
やめろっつってんのにロゼはずいっとそのペンダントの写真を俺の眼前に突きつけてきた。
そこには幼いロゼと、父親らしき金髪の男性が写っている。
ロゼはまだ五、六歳だろう。真紅のワンピースに同色のリボンで髪を結び、将来とても美しい女性に成長することを誰も疑わない容姿をしていた。
問題は親父である。
この親父、ビシッとした貴族風のタキシードを着ているのはいいが、顔面はヒゲモジャで浮浪者そのものである。
バイキングの首領がブチ殺した貴族の服を着込んで喜んでいるようにしか見えない。
アル中気味だったらしく目元がぽっと赤いのは酔っていたんだろうと思う。
問題は顔ではなく、この犯罪者っぽいヒゲのおっさんが、娘とキスをしていることだ。
しかもディープキスだ。
舌を入れるとか、そういうレベルではない。
なんかもう口から娘を喰おうとしているようにしか見えない。
カメラマンがビビってシャッター震わせたのか、動きに残像っぽい影まで出ていて完全にホラーだ。
そして幼いロゼが満面の笑みでそのキスを受け入れているのがまた怖い。
『クリムゾン・ソウには逆らうな。あいつはホントにイカれてる』
ロゼの父・伝説の暗殺者クリムゾンがそう言われて恐れられていたのは、単純に暗殺の実力だけでは絶対になかったと俺は思っている。
普通しないよこんな熱烈なキスを娘に。バカなの?
コンプラにうるさい昨今では完全にモザイクである。
そんな卑猥な児ポ法アウト写真を顔面に突きつけられた俺の顔は、おそらく犬のウンコを刺した枝を突きつけられた子供と同じ表情だったと思う。
「見なさいよパパのこの表情。愛を感じるわ」
「性を感じるよ……」
「私は誓ったのよ。いつか、パパみたいな……ううん、パパよりずっと凄い暗殺者になるんだって。そして、私が一流の暗殺者になったら……」
ロゼは俺の顔から卑猥写真を離して、自分の胸元で大事そうに抱えた。
「いつか、パパは私を迎えに来てくれるのよ……」
「とりあえず、ヒゲは剃ってから来てくれるといいな」
「なんで? あのヒゲがいいのよ。ワイルドで」
女は分からん。謎だ。
「須藤、私が先にいく。あんたは金魚のフンよ」
「危険がないように後ろからついてきてね、って言え」
「金魚のフンは喋ったりしない」
「…………」
「よろしい」
おそらく鬼のような形相になっている俺とそんなこと露ほども気にしていないロゼは、廃工場の中に踏み込んだ。
当然ながら、人気はない。
中学の頃に俺が割った窓ガラス、俺が無意味に壊した机、俺が開けようとしてボコボコにした金庫、俺が食い散らかしたお菓子の空き袋、俺がショートさせてボヤ騒ぎになった分電盤、俺がしばらく飼っていた鳥たちが粗相しまくった糞害の痕跡などを横目に先に進む。
「ひどい荒れようね……」
「そうだな……」
「この犯人も、この経済不況で食い詰めた人なのかしら」
「まあ、なにせ老後に一億円必要らしいからな」
十年前。
時の総理大臣が『このまま物価が上がっていったら、老後はいくら必要になるんだ!』と野党からキレられた時に、
『うーん、……一億円っ!』
と、冗談だったのか本気だったのか今では分からないが、そんな発言を国会でしてしまって暴動が起きたことがある。
やっぱり冗談でもニヤニヤしながら言うと怒られるよね。
「ま、手に職がある私には関係ないけどね」
「おまえの手についてるのは職じゃなくて血だろ。……うわあああああああっ!」
いきなり股間に寒気が走り飛び退くと、ロゼの貫手が俺の股間があった場所を通り抜けていった。
「チッ」
「おまっ、おまっ! それはダメっ、それはダメよっ! ホントにっ!」
「別に使わないからいいでしょ」
とんでもないことを言いやがるこの女。全男性の敵だぜ……
「そんなことより、廃工場には来たけど、手紙の犯人はどこにいるわけ?」
「こういうのは建物の一番奥って決まってんだろ」
「なる……ほど?」
いまいち納得してないロゼを急かして、俺たちは工場の奥、おそらく製造設備が置いてあったであろう大きな敷地に出た。
暗い。
電気系統は俺が中学の頃に破壊したので当然だ。
しかし、その奥に、わざわざ携帯発電機とバルーン電灯を置いて、壊れた機械の上に座っているやつがいた。
スカしたやつである。
まず第一に、仮面を着けている。
真っ白な下地に、人狼のような顔がブルー・ラインで描かれている仮面。
男か女かも分からないが、骨格的には男に見えた。
全身黒尽くめで、いつでも夜襲ができそうだ。漆黒のコートがバルーン電灯の白熱光を照り返している。使い込まれた革の素材が、歴戦の風合いを漂わせていた。
それを見たロゼが目を見開く。
「パパの……コート……?」
「ロゼッタ・アームドソーンだな」
最初、本人の地声が少し聞こえた。
どうも喉につけているボイスチェンジャーを貼る位置が少しズレていたらしい。
手でそれに触れてから、仮面の脅迫者は続けた。
「カネは持ってきたか。そっちの男は連れか?」
「……あんた、何者よ。なんで私の正体を知ってるの?」
仮面の男はくっくと笑った。余裕たっぷり、という感じ。
「そんなこと、おまえが知る必要はない。黙ってカネを置いていけ」
「それ……パパのコートよね。仕事で使ってた……パパが失踪した時に一緒に無くなったはずなのに」
ロゼの背がふるふる震える。キッ、と鋭い眼光で仮面の男を睨んだ。
「あんた……パパに何をしたのっ!」
「…………」
仮面の男は肩をすくめて沈黙した。
「言えないっていうのね……そう……
パパは……最後、なんて?」
さらに沈黙。やれやれとばかりに首を振る男。
「それも言えないのね……そう……
パパは最後まで……ちゃんと糖尿病の薬飲んでた?」
それでも沈黙。両方の掌を上にして持ち上げるジェスチャー。
困ったもんだ、という風。
「そう……それも言えないのね……なら……
パパは一人になっても……ちゃんと歯医者の定期検診いってた……?」
「いや知らねぇだろアイツはそんなこと!」
耐えきれず全力で突っ込んでしまった。何個質問すんだよ。
「だって! 知ってるかもしれないじゃない! あいつはパパのコート着てるのよ!?」
「仮にお前の親父が歯医者に行ってたかどうか知ってたらあいつはお前の親父のカタキじゃなくてマブダチだよ!」
「……その連れの男の言うとおりだ。俺は知らん。いいから『イバラ姫』、大人しくカネを置いていけ。そうすれば命だけは助けてやる」
命、と言われた時にピク、とロゼが反応した。
仮面の男を睨み、ため息をつく。
そして、ポスンと。
男にめがけて鞄を放った。
三百万しか詰まってない鞄は、空気が抜けた風船のように萎れている。
「いいわ、お金ならあげる」
「賢明な判断だ、『イバラ姫』」
仮面の男がパチン、と指を鳴らすと、天井からワイヤーフックが落ちてきて鞄の取っ手をひっかけ、そのまま釣り上げていった。
「……面白いオモチャじゃない」
「カネは受け取った。もう用はない。さ、日常へ帰れ、『イバラ姫』」
「言われなくても帰るわよ」
ロゼはおもむろに胸元を掴むと、そのままグイっと一気に引っ張った。
着ていた服とウィッグが一緒くたに脱ぎ捨てられ、いつもの赤と白を基調とした暗殺服姿のロゼッタが現れる。すげぇ。
アニメとか漫画で見る変装解除のシーンだ!
ホントにできるんだあれって……
一人感動して口を覆い目に涙を浮かべた俺を尻目に、ロゼッタと仮面の男は話を進める。
「ところでさァ、あんた、命だけは助けてやるって言ったけど。
私に勝てると思ってんの?」
「ああ、もちろん」
仮面の男は立ち上がり、壊れた設備から飛び降りる。
高さ1.6メートルはあったと思うが、着地した時に姿勢が微動だにしなかった。強靭な体幹で衝撃を地面に抜いたのである。
「私は『最強』だからな」
「……大きく出たわね~最強か~男の子って好きだよねそういうの」
ロゼはくすくす笑う。
暗殺服は動きやすいように軽量レザーや耐刃コットンをベースに造られている。
雰囲気は少しゴスロリっぽく、トップは赤のフリル・ブラウス。
ボトムはスカートなんて実用的ではないものをロゼは好まない(あと普通に回し蹴りのときにパンツが見える)ので、白のスラックスでまとめている。
そのスラックスには、洗っても洗っても落ちない血が少し染みついている。
無論、ロゼのターゲットたちの返り血だ。
初めて見た時、『男装の麗人』というフレーズが脳裏をよぎったのを覚えている。
やっぱり、この格好で笑うロゼは迫力がある。
『本職』の凄みというやつか。
「最強だから、一人でも平気ってわけ?」
「一人ではない。私の仲間たちがこの建物には密かに配置されている。そして私が死ねば、貴様の秘密は公にされる。勝ち目はないぞ、イバラ姫」
「ふーん、なるほどなるほど」
くんくん。
くんくんくん。
ロゼは鼻を鳴らしている。
仮面の男が訝しげに首をひねる。
「……何をしている?」
「まず嘘1。この工場には私達以外に誰もいない」
「お前……まさか匂いで?」
「そして嘘2……にしたいけど、やっぱり、あんたが死んだ時に私の正体が公開されるのが嘘八百かどうかは、私にはわかんない。
でもさァ」
ロゼが靴の爪先で床を叩く。
鉄芯入りのバトル・ブーツはそのまま脱いで人の頭に振り下ろしたら頭蓋骨が陥没するほどの重みと硬さがある。
ロゼはそれを『履いている』。
「……あんたが言ってることが本当かどうかって、つまり二分の一なわけで。
それってさァ。
――私が『嘘2』だって決めちゃえば、二分の一で三百万渡さなくていいってことだよねぇ?」
いや。
いやいやいやいや!
そんな、『月にウサギがいるかどうかは二分の一』みたいなメチャクチャ……
「そんな理屈、通るわけが……!」
仮面の男が思わず呟いた次の瞬間。
ロゼがしゃがんだ。
俺はてっきり、靴紐が解けたんだと思った。
それくらいの高さまで急に頭の位置が下がった。
まさか、それが『踏み込み』だなんて、一般の男子高校生に過ぎない俺に、
分かるわけもなかった。
「私にはまだ……
欲しいものリストがあんのよっ!!!!!」
ドンッ!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます