第六歌
義姉フランチェスカと義弟パオロへの憐みによって、苦しみのあまり失っていたダンテの意識が戻ると、どこに行こうとも、どこを振り向いても、どこを見ても、ダンテの周りには新たな責めとそれに苦しむ者たちしか見えなかった。
ダンテは、第三の圏にいた。
冷たく重い永遠の雨が、呪われたかのように一様に打ちつける。大粒の雹と黒い雨と雪が、暗黒の空から降り注ぎ、大地には異臭が漂っていた。
三つの頭を持つ異形の獣ケルベロスは、堕ちてきた者たちを三つの喉で犬のように吠え立てる。目は血走り、髭は黒く脂ぎって、腹は大きく膨らんでいる。手の鉤爪で魂たちを引き裂き、皮を剥ぎ、八つ裂きにする。
雨は痛く打ちつけ魂たちを犬のように喚かせ、神を冒涜する惨めな者たちは、雨を避けるため半身を交互に下にしようと、絶え間なくのたうち回っている。
ケルベロスは、ダンテたちに気づいた。
この巨大な蛆は、三つの口を開いて牙を剥き、身体を震わせている。
ウェルギリウスは、両手で手のひら一杯の土をすくい取り、ケルベロスの飢えた三つの喉に放り込んだ。
餌をせがんで吠える犬が、餌を食らうと貪ることに夢中で静かになるように、聞こえなくなればよいのにと魂たちが願うほど耳をつんざく魔物ケルベロスの三つの汚れた頭も、静かになった。
ダンテたちは、重い雨に打ち伏せられた魂たちの肉体のようにも見える虚ろな身体の上を踏んでいった。
魂たちは、地面に横たわったままだったが、突如、ひとつの魂が、ダンテたちが通るのを見て、身をもたげた。
「地獄の中を導かれていくあなた、私が誰かわかりますか。私が死ぬ前にあなたは生まれていたので、覚えているはずです」
ダンテは答えた。
「受ける苦痛で顔が変わったせいか、私にはあなたが誰かわからない。一度も会ったことがないようにも思える。このようなむごい場所で、他の責め苦よりも不快な罰を受けるあなたは誰なのか教えてほしい」
魂は、ダンテに言った。
「あなたのいた街は、妬みに満ち、今にも溢れ出しそうですが、私が生きていたのも、平穏だったころのその街フィレンチェです。私は、あなたたち市民が『大食漢チャッコ』と呼んでいた者です。暴食の大罪によって地獄に堕ち、見てのとおり雨に打たれ地に伏しています。苦しんでいる魂は私だけではなく、ここにいる全ての魂は、同じ罪を犯し、同じ罰を受けているのです」
こう言うと、それ以上は話さなかった。
ダンテは答えた。
「あなたの受ける苦しみが、私の心に重く響き涙を誘います。だが、もしあなたが、二派に分裂した市民がこの先どうなるのか、正しき者はいるのか、大きな対立が街を襲った原因は何か、知っているなら教えてほしいのです」
チャッコは、ダンテに言った。
「長い争いの末に血を見るでしょう。野人側の白派が敵の黒派を痛めつけて追い払いますが、三年も経たずに、今は公正を装うボニファティウス八世によって、白派は失墜し黒派が覇権を握ることになります。黒派は、長い期間、白派がどれほど苦しもうが、どれほど憤慨しようが支配し続けるでしょう。正しき者は、ふたりだけです。しかし、フィレンチェで彼らに耳を傾ける者はいません。傲慢、嫉妬、貪欲の三つが対立の火種でした」
チャッコは、痛ましそうに口を閉じた。
ダンテは、彼に言った。
「まだ教えてもらいたいことがあります。もっと多くのことを話してもらいたい。大いなる賞賛に値するファリナータやテッギアーヨ、自分の才能を善政へと注いだヤーコボ・ルスティクッチ、アッリーゴ、モスカ、その他の者たちは、今どこにいるのか。彼らの運命を教えてください。彼らは、天界で喜びに包まれているのか、それとも、地獄で苦しめられているのか、どうしても知りたいのです」
チャッコは言った。
「彼らは、他の罪が下へ底へと堕とすため、もっと黒く汚れた魂たちの中にいます。さらに深く降りたときに彼らに会うでしょう。ところで、あなたが美しい地上に戻ったのなら、人々の記憶に私を呼び起こしてほしいのです。私は、これ以上、話すことも答えることもありません」
頭を傾げダンテを伏し目がちに見ていたが、やがて、他の目の見えない魂たちと同じように、頭を下げ倒れ伏した。
ウェルギリウスは、ダンテに言った。
「彼は、天使がラッパを吹き鳴らすまで、起き上がることはないだろう。罪を敵とする審判者キリストが降臨するとき、全ての罪人は、自分の惨めな墓を見つけ、肉体をまとって同じ姿に戻り、永遠に響き渡る最後の審判を聞くことになるのです」
ダンテたちは、重い足取りで、未来の運命を思案しながら、魂たちと雨が混じりあった中を進んでいった。
「この責め苦は、最後の審判の後に大きくなるのですか、小さくなるのですか、それとも今と同様の苦しみなのですか」
「あなたが学んだことが示すように、事象は完全であればあるほど、天国では善いことと思われ、地獄では苦しく感じられるものです。この呪われている者たちは、天界の完全な存在にはなり得ないが、その存在を待ち望むため、受ける苦しみは更に大きくなることでしょう」
ダンテたちは、円となる道を辿りながら多くのことを話し、下へと降りる地点に着いた。
そこには、大いなる敵プルートーが待ち受けていた。
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