第五歌

 こうして、ダンテは第一の圏から第二の圏に降りた。そこは、第一の圏より小さいが、罰は大きくなり人々は悲鳴をあげている。


 身の毛もよだつ姿のミノスが、牙を剥き出して吠えている。

 ミノスは、魂の罪を調べ、尻尾が巻き付く回数に応じて裁き、その圏へと送り込む。

 悪に生きた魂は、ミノスの前で余すことなく罪を白状し、罪を見通しているミノスは、どの圏が相応しいか、堕ちていく回数分、尻尾を自分の身体に巻き付かせている。


 ミノスの間には、常に多くの魂が群れをなし、順番に裁きにかけられていく。

 罪を話し、裁きを聞き、深淵へ堕ちていく。


「苦痛の宿に来たおまえ」

 ミノスは、ダンテを目にすると、裁きを中断して言った。

「おまえがどこへ行こうとしているのか、誰を頼りにしているか、門の広さに惑わされないよう気をつけろ」

 ウェルギリウスは、ミノスに言った。

「空しく声を荒げるな、全ての望みが叶う天界の意思で進む道を邪魔するでない。これ以上、何も問うな」


 再び、苦痛の嘆きが、調べのように聞こえてきた。


 そして、今、ダンテは、その中にいる。

 そこは、あらゆる光が闇へと溶け込み、嵐の海が疾風に叩きつけられ唸りをあげるように咆哮していた。

 地獄の疾風は永遠に止むことなく、魂たちを荒々しく巻き上げ、旋回させ、ぶつけ合わせては苦しめていた。

 その破滅の渦に魂たちは叫び、泣き、嘆き、神の意志を呪うのだった。


 この烈しい責め苦に遭うのは、愛欲のために理性を失い、肉欲の罪を犯した者たちであると、ダンテは悟った。

 寒い季節に空一面に群れをなす椋鳥たちが、翼の赴くままに飛ぶように、その疾風は、魂たちを近くや遠くに、上や下に吹き飛ばしている。

 彼らには、休息も、罪の軽減も、一切の希望もなかった。


 鶴たちが、哀しく歌いながら、空を一列で飛んでいくように、嘆き声を発しながら、疾風に連なって運ばれてくる魂たちをダンテは見た。

「漆黒の風に凄まじく罰せられている人々は誰ですか」

「あなたが話を聞きたがっている一群の先頭を行く魂は、多くの言語を支配した帝国の女王でした。情欲の虜となり、自ら招いた非難をかわそうと法を定めて奔放であることを正当化しました。彼女の名前は、セミーラミス。彼女は、ニノスの后であったが、王の亡き跡を継ぎ、今はスルタンが支配している地域を治めたと書に記されています。次に見えるのが、夫シュカエウスの遺灰に誓った操を破り、愛のために自害した女性です。その後には、愛欲のクレオパトラ。長き禍をもたらしたヘレネー、愛と闘った偉大なアキレウス、パリスやトリスタンも見えます」

 ウェルギリウスは、多くの魂を指し示しては、愛がこの世から引き離した者たちの名前を言った。

 博学のウェルギリウスが挙げる古の女性や騎士の名前を聞き、ダンテは、憐みに溢れて気を失うかと思えた。


 ダンテは聞いた。

「風に軽やかに乗り、離れることなく進むふたりに話をしたいのです」

「彼らが、私たちの方へ近づいてくるときを見計らって、頼んでみてください。彼らを導く愛を信じれば、彼らは来てくれるでしょう」


 風がダンテたちの方へ吹いたときを見計らい声を掛けた。

「苦しみに責め立てられる魂たちよ、神が禁じないのであれば、私たちと話をしてくれないか」

 鳩たちが巣の雛鳥の願いによって、翼を広げ滑空し、愛しい巣へと向かうように、ふたりは、女王ディードーのいる群れから離れ、邪悪な空を滑空しダンテたちの許へやってきた。

 心を込めた呼び掛けが強く働いた。


「慈悲深い生者、あなたは暗い紫紺の空を通り、現世を血で赤く染めた私たちを優しくも訪ねてくださった。もし、神が私たちを親しく思われていたら、私たちの道ならぬ罪に憐れみをかけてくださったあなたの平和を祈っていたでしょう。今、風は止んでいます。あなたがお聞きになりたいこと、お話したいことを、私たちはお話し、お聞きしましょう。

 私が生まれた都市は、ポー河が支流と共に静かに流れ込む海辺にあります。愛は、高貴な心に瞬く間に燃え移り、恋の炎は、今は奪われた美しい私の身体でこの方を捉え、その激しい愛は、今も私を悩ませています。愛は、愛されれば愛せずにはいられず、私もこの方の想いに強く囚われ、ご覧のとおり、今も私を捉えて離さないのです。愛は、私たちをひとつの死へと導きました。地獄の最下層にあるカイーナは、私たちから命を奪った者を待ち受けています」

 ふたりは、私たちに話した。


 愛に気圧され、苦しめられた魂たちの話を聞き終え、ダンテは目を閉じ俯いたままでいた。

 ウェルギリウスが口を開く。

「何を思い悩んでいるのですか」

「何ということでしょう。切ない想いと募る望みが、ふたりを痛ましい道へと誘ってしまったのですね」


 ダンテは、ふたりの方へ振り向き話し始めた。

「フランチェスカ、あなたの受けた苦しみは痛ましく、悲しみと憐れみで涙させます。しかし、教えてください。切ないため息をついていたころ、何をきっかけに愛を知り、不確かな互いの想いに気づいたのですか」

 フランチェスカは、ダンテに言った。

「惨めなときに幸せなときを思い出すことほど、辛いことはありません。それは、あなたの先生もよくご存じです。しかし、私たちの愛の馴れ初めをお知りになりたいのであれば、涙を流すかもしれませんが、お話しいたします。

 ある日のこと、私たちは気晴らしに愛がランスロットを捉えた物語を読んでいました。ふたりきりで、何の心配もなく読み進めるうち、その物語に誘われるように目と目を交わし、その度に顔を染めていました。しかし、深く愛した恋人が微笑み、長く焦がれた口づけをされる一節を読んだとき、私たちの理性は負けてしまったのです。私から永遠に離れることのないこの方が、震えつつ私に口づけをしたのです。その本の作者は、恋の仲立ちをするガレオーです。その日、私たちは、それ以上、先を読み進むことはありませんでした」

 一方の魂フランチェスカが語る間に、もう一方の魂パオロは泣いていた。


 ダンテは、憐みのあまり死んだかのように意識を失い、死体が崩れ落ちるように倒れた。

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