第3話

作戦の舞台となる場所は、元はサーカステントとしてとして実際に使われていたらしい。今はがらんどうになったそこは、壊れた空中ブランコの設備が放置され、埃で汚れ、地面はむき出しのまま、板のはがれたステージが不気味に、割れたライトに照らされていた。

 カノープスは、会場準備の手伝いを前日にレグルスから命じられ、本番の一時間前にそこへ来た。レグルスの部下の、ゴリラみたいな男たちが、いそいそと小道具を運んでいる姿は何だか愛らしくすらあった。

 今日は大事な行事なのだ、とその男の一人が言った。他のチームで、レグルスと同等かそれ以上の立場にある男を呼び、ショーを行う。レグルスが命を狙っている相手が、ピエロの格好で、舞台上で死ぬショーだ。また、招待客も、レグルスと同様に、青いピエロに死んで欲しいと思っているらしいから、とっておきのショーといえるだろう。カノープスも、観客なら楽しんでいたに違いない。

「準備が終わったら、お前は観客席にいて良い」

 とりわけ黒っぽいゴリラが顎をしゃくって観客席の最前列を指した。

「其処から、青いピエロを狙って撃つのさ。間違えるなよ。青いピエロだ」

「間違えるはずがないだろう。ガキでも分かる」

 カノープスは頷き、大型の銃器を受け取って、その席に着いた。

 乾く唇を軽くひと舐め。頭の中では計算している。目の前のステージに赤いピエロが立った瞬間、カノープスが今着ている、銀のチェーンが着いた革のズボンの、ポケットから一丁の小型の武器を取り出して、撃てばいい。赤いピエロを。そう、ガキだって分かる仕事だ。その後のことを一応、シミュレーションする。レグルスが撃たれれば、パニックは起きるだろう。統率を失ったゴリラたちが襲ってくることも考えられる。その場合は、この大型の武器で撃てば終わり。レグルスに、大型の武器を向けて動きを見せれば、隙が大きすぎる。

 観客が大勢現れる時刻となり、俄かに賑やかになる。男女問わず、大勢。その中央に、サングラスの男が一人いて、この薄暗いのにサングラスかよ、と笑ってしまいそうになるのを堪えるのに苦心する。あれがレグルスと同等の立場の者だろう。

 やがて、音割れの激しい、怪しい音楽が爆音で流れだし、カノープスは一瞬飛び上がる。そして、舞台のスポットがバン、という音と共に点灯し、少し辺りが明るくなる。

 舞台の上手から赤いピエロ、下手から青いピエロが現れた。二人は先ず舞台の中央まで、つつつ、と歩いて来て、胸に手を当てて、深々と頭を下げる。観客から盛大な拍手。

赤いピエロ、大玉に乗る。青いピエロは、その横で、ジャグリングを始める。カノープスは自分の前に青いピエロが来るのを、虎視眈々と待った。乾いた唇を舐める。その瞬間から、また乾いていくようだった。緊張しているというよりは、興奮している。早く青いピエロを始末したい。カノープスは、仕事をする時、いつもそのような高揚を得られるのだった。仕事熱心といえば、そうなる。

 赤いピエロが、軽快にスキップしながら、カノープスの目の前に――来た。

 カノープスはポケットから小型の武器を抜き、青いピエロの心臓を一秒で、射貫いた。ほんの一瞬もためらわなかった。音もしなかった。

 其処から血が噴出して、ピエロは両手を挙げた状態で、ばたん。と。板の床に、仰向けに倒れたのだった。

 カノープスは、更に激しい高揚を覚え、口を自分で塞いで、雄たけびを我慢した。周りから遅れて悲鳴が上がる。状況を把握するのに時間がかかったのだろう。しかし、こうなってしまえばもう手遅れだ。カノープスの勝ちである。

 青いピエロが、こてんと首を傾げ、ゆっくりと赤いピエロに近づいて行く。ペンギンのように指を反らせた手をして覗き込むが、その表情は読めない。感謝して欲しい、本来、死ぬはずだったのはお前なのだ。カノープスは鼻息も荒く、そう思った。

「――嗚呼」

 青いピエロが、小さな声を発した。

 その真っ赤な口元は、三日月形に歪んでいた。

「美味しそう」

 カノープスは、背中に一気に鳥肌が立つのを感じた。赤いピエロの声に、聞き覚えがあったからだ。それなのに、「れ」と言ったきり、喉が詰まったようになり、暫し声が出なかった。

「レグルス……?」

 おかしい。赤いピエロは確かに死んでいる。なのに、何故、レグルスの声が聴こえる?

 カノープスは、この期に及んでやっと、理解した。自分が騙されていたことを。

 赤いピエロが真っ赤な鼻を、ポンと取って投げ捨てる。

 赤いピエロは、レグルスだった。

 自分の迂闊さにショックを受け、未だ動けないカノープスを、レグルスは胸に手を当てて見下ろして来る。

「君の忠誠心を試したんだよ、カノープス。僕の命を狙うよう、わざと依頼を流して――それに対し、カノープス、君が依頼を請けるか請けないか。請けるにしても、葛藤するか、しないか。本当に、僕を狙うのか、狙わないのか。君が僕を守ろうと言うのなら、僕は君を側近にしよう。そう、思ったんだが……」

「俺をハメやがったのか」

「ハメただなんて」と、未だ落としていないピエロのメイクでも分かるほど、眉を下げた。

「悲しい言い方だな。僕だって、命を晒したのに。それだけ君を側近にしたかったんだよ。君は初めて見た瞬間から、抜きんでた才能を感じたからね、カノープス」

「上から目線でモノを言うな。誰がお前の側近なんかに」

「そうかい。ああ、だけれど、何方にせよ――」

 レグルスは後ろ手に持っていた何かを取り出した。それは白雪姫の肌のように白い、一本の鉈だった。

「残念ながら、君を側近にはできない」

 鉈の刃が、カノープスの頬を撫でる。するり、と。平らで、冷たい。

 カノープスは初めて、自分が今まで他人に向けて来た、「理不尽な暴力」を、自らが受ける立場になった。意外にも、恐怖や、怒りというものは出て来なかった。何も考えられない。

 逃げようと、一瞬思った。が、顔を上げて即座に思い知った。全員が、カノープスに銃口を向けていた。彼らは皆、レグルスのサクラだったのだ。

「勿論、君を殺してしまうなんて、そんな仕打ちはしないよ。僕は穏やかな性格でね。例えば、子猫や子犬には弱い。あの子たちは従順で、僕らに多くを与えてくれる。あんな健気な生き物の命を奪おうだなんて、信じられないよ。それこそ、そんな人間、僕が始末したいくらいだ。それに、人間を見せしめにする時、簡単に死なれたのでは、苦しみを長引かせることができないから――そうだろう?」

 鉈で青いピエロを指し、それに今日は既に食料はあるし、食べきれないのでは、勿体ないから、と。そして、その刃でカノープスの顎を、くいと持ち上げ、にっこりと首を傾げる。

「さぁ、君は、何を差し出す? なぁに、命に比べたら、何だって安いものだろう」

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それでも猫は殺せない 探偵とホットケーキ @tanteitocake

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