とある主人公のごくありふれた珍しくもない普段通りの立ち居振る舞い(そして悲劇の旗が立つ)



      〈⓪〉



 全ての元凶は、もちろんフラグ乱立男にある。

 悪意がない分始末が悪い。


 とある梅雨の合間の晴れ日、昼休みの購買で、売れ切れがちな好物を折よく買えた彼は、お気に入りのスポットで久しい青空を見ながら堪能しようと考えた。

 

 たまたまだ。

 本当に、全部がたまたま。

 その日が七日振りに晴れたのも。お気に入りを味わうのだから、日当たりのいい中庭にしようと決めたのも。


 今回に限って。

 彼女が、をしていたのも。


「『あっはっはっはっ! こいつは愉快だ、楽しいなあ!』」


 何人かの人だかりに混じり、足を止める。

 中庭では、あるイベントが起こっていた。屋内板張りの床ならぬ、屋外芝生の地面で、青天に届けとばかりに、一人の女生徒が声を張る……演技をしている。


「…………へぇ」


 この高校に、演劇部は無い。部費も部室も道具も然り。ことによれば、顧問の当てすら。

 そこで芸を磨こうと思ったら、活動はこういう形になる。風紀を乱さないよう、許可を取った特定の場所での活動や、あるいはお目こぼしを得られる程度のごく短時間の突発舞台……衣装もメイクもない制服姿での、一人芝居。


「『きみがこれを、駄作と呼んだことが嬉しい! ありがとう! 次の作品を作る理由をくれて! きみを感動させるって望みをくれて!』」


 途中からなので、話の筋はよくわからない。

 それでも、彼女が演じているのは“苦境にもへこたれず我が道を進む芸術家の青年”であることは、いくらかの台詞から容易に伝わった。どことなく、今の一人芝居活動ともリンクしている。


 大道芸めいた活動は、修練であり、実践でもあるのだろう。いずれにせよ、“恵まれた環境で、夢への最短経路を歩んでいる”とは、この光景からは思い難い。

 前途は多難で道は荊、それでも彼女はもうずっと、こういうことを続けていると、彼はたまたま知っていた。


 それなりに有名ではあったからだ。

【スーパー役者】を目指す女生徒のことは。


「『まだ思いの届かない相手がいる、それを悔しいと思うとき、確かにその誰かと繋がっている! この寂しさ、伝えたいと感じる気持ちがある限り、何度だって心を叫ぼう!』」


 ……そんな彼女の元から、一人去り、二人去る。

 まばらにいた生徒が、どんどん少なくなっていく。


 残酷な光景だが、当然ともいえる。

 梅雨の合間の晴れ日、雲ひとつない空から注ぐ陽光は地を焼くようで。今この場に心を留め置こうとすれば、それこそ相当の、相応の熱量が要る。


 一人芝居の少女には、まだ、それだけのものがなかった。脚本も、演技も。

 茹だる炎天下の煩わしさ、黄金よりも貴重な昼休みの45分と天秤に掛けられ、「それほどでもない」と見放された。

 極めてシンプルな引き算の問題。

 誰もが当たり前に行う取捨選択。


 ……三人が去り、四人が去る。

 物珍しさという魔力も失い、後には真価の裁定が残る。


「『——だから。ぼくは、どんなにひとりでもへっちゃらなのさ!』」


 残酷で、皮肉めいた、締めの台詞。

 彼女はそのまま頭を下げて、固まって————そして。

 最後まで残っていた、ただ一人の観客……彼が、途中で去った全員分の拍手をした。


 驚いて顔を上げた女子へ、芝居の見物料としてのちょっとした感想と、同情や憐憫などは含まない差し入れを送り、背中を向けて踵を返す。


 向かうのは、ふたたび購買。

 久々に手に入った、競争率の激しく高い大好物は、今しがた手放してしまったので。


「…………うん。ちっとも惜しくないな」


 口元に、自然、笑みが浮かぶ。

 彼はそうして、梅雨の合間の晴れ空よりも澄み渡った心地で歩いていった。


 ————その背に受ける視線も、女子の呟いた言葉も、本人はまったく知らないで。


「……いただき、ました。……ううん。いただかれちゃい、ました…………」


 改めて。

 もう一度、繰り返そう。

 何なら、108回は繰り返そう。


 全ての元凶は、もちろんフラグ乱立男にある。

 悪意がない分始末が悪い。


 この言葉には、きっと——ヒロイン一同満場一致で、うんうん頷くことだろう。


 

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