初恋はハムカツサンドの味



      〈②〉



 好きが相手に届かない——向けた想いが実らない、なんてことは、そこらじゅうであることだ。

 例えば有坂愛理咲なら、芝居へ向ける気持ちとか。


 練習をしてはきたけれど、一人芝居で場数も踏んでこなれてもいるが、何か——そう。

 思いはいつも片想い。

 肝心なところまで届かない。

 観てくれる人の心を、思いっきりような演技ができていない。

 


 ——愛里咲はそうだね、我が強い。君の芝居はまだ少々、“自分のため”であることが強すぎる。それでは皆、そこにないはずの物語ではなく、そこにいる君にばかり目も心も向いてしまう。忘れてはならないよ。君が何者かを演ずる時、有坂愛理咲以外の願いを背負って板に立つのだということを——

 


 友人で相棒な幼馴染の助言ヒントは、わかるようでわからない。

 智悟はいつも手助けをしてくれるけれど、その解決はどんな時も、君の役目だと促すのだ。愛理咲の悩みも苦しみも、簡単に取り除いたりしはしない。


 だから、たまにはそういう日もある。   

 智悟を伴わない、中庭でのゲリラ一人芝居を開いたものの、普段に増して集まらない観客——ならまだよかった。

 場所を変えたからか。普段よりも、むしろ集客は良かった。明らかに風が向いていた。


 これは運がいいぞ、と気合を入れて始めたものの、芝居をするにつれ、一人、また一人と場を離れる。愛理咲と、愛理咲の考えた幻想きゃくほんに背を向けて、現実へと目を覚ましていく。


 それが、まあ、流石に堪えた。

 へこたれないにも限度はある……それが特に、自分の全力を注いだ自信作、どうでもよくないものであればあるほど。


「『——だから。ぼくは、どんなにひとりでもへっちゃらなのさ!』」


 今回の脚本に限って、最後の台詞が、今の自分への皮肉でしかないもので。

 一芝居終えて下げた頭を、上げる気力がなくなった。


 ゲリラ公演の終わり際には、もう意図して客側を見ていなかった。見れなくなっていた。舞台の途中で、誰も居なくなっていたら、何かが折れてしまいそうで。それを見たら、自分の好きなものを、好きで居続ける自信が無くなりそうで。

 

 だから、頭を下げた後、固まった。恐ろしくて、身じろぎさえできなかった。

 その拍手が聞こえるまでは。

 

『…………っ』


 息を呑んで、顔を上げる。

 そうしたら、彼女の恐れていた通り、最初に芝居を見に集まった客は、誰一人いなくなっていて。


 けれど。

 最初にはいなかったはずの、通りすがりの男子生徒が、足を止めて、愛理咲を見ていた。


『良い声で、思わず足止めちまった。あんま演じてるって感じじゃなくて、あんた本人を観てる気分だったけど。観客がいなくなってたって、最後の最後まで自分の舞台を演じ切るとか、格好いいじゃん、あんた。どんだけそっぽ向かれても、芝居をやるの、好きなんだな』


 それだけだ。彼はそんなふうに言って、役者の返事も待たずその場を去った。

『また心に響いたら足止めに来るよ』の約束と……差し入れらしき、購買部のハムカツサンドを置いて。


『——————あむ』


 ひとりぼっちの昼休み。サクサクの衣の食感に濃ゆいソースの味とふわふわのパンの優しさが、空いた腹と空いた心にガツンと沁みた。


 そういうわけで、恋をした。


 有坂愛理咲の、その時はまだ名前も知らない男子……日向志央への、それが、惹かれた瞬間だった。



        ■



 芝居少女の日課といえば、発声練習の朝練である。

 体育館の隅っこで、諸々の運動部に混じって、彼らの生み出す環境音に負けないくらいの声を張り上げる。これをやるとやらないとでは、一日の授業の身の入り方が倍は違う。

 

「——っは〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜…………」


 その毛色が、本日はどうも違った。

 壁側を向き、腹に手を当て背筋を伸ばし、けれどそこから出てくるのはどんな物語ホンの誰の生き様セリフでもなくて、長くとびきりでかい溜息だった。


「ふぅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜………………………………」

「すっげぇな。練習の賜物ってやつ?」


 万里の吐息が途切れて詰まる。

 差し込まれた言葉に驚き、愛里咲は目を白黒させる。


「ひゅっ、ひゅっ、ひゅっ、ひゅっ」


「日向くん」の言葉が出るまで随分かかった。

 思い人がそこにいる。

 こちらはまったく無防備で、心構えもできてないのに。


「ど、どど、どどどどうしたの?」

「いや、さ。普段、登校したら出迎えみたいに響いてくる、放課後の吹奏楽部とか合唱部にも負けない声が、今日に限って聞こえなかったからな」

「…………っ」

「なんかあったのかと思って。お前って、何があっても大抵は平気でいそうに見えたんだけど。俺の勘違いだったかな。それとも……お前が落ち込むくらい、いつもの声が出せないくらい、“大抵”じゃ済まないことでもあったのか、有坂?」

「…………お、おかまいなくーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」


 音の爆弾が破裂したような遠慮と共に、亜理咲は勢いよく駆け出した。

 呆気に取られる周囲、「アクションもイケるな」という日向の台詞も置き去りに、有坂亜理咲はノンストップで、そのまま自分のクラスの自分の席あんぜんちたいまで避難した。

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