魔女は恋路に力を添える
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凪波智悟は、ごく平凡な少女、有坂愛里咲の幼馴染である。
二人は幼稚園来の付き合いで、様々な喜怒哀楽を共にした。
朝を、昼を、夜を。
春を、夏を、秋を、冬を。
小学生時代を共にして、中学生時代は別々でも、ありふれた日々を精一杯楽しんできた。
……それがどういうことなのか。自分が相手の何で、どういう“箍”となっていたのかを、愛里咲は知らない。気づきも意識もしていない。
愛里咲にとって【なみちー】は、『フシギなところもあるけど、そんなのは私たちのユージョーにはカンケーない、大切な大親友』であったから。
……凪波智悟が、宇宙の理すら捻じ曲げる特異な才を生まれ持ち、それでいて世界の価値を測りかねていた特級の超越存在——【万能にして未熟の魔女】と呼ばれる終末可能厄災であることなど。
二人の関係にとっては、実に些末なことだったのだ。
「恋と愛とに必要なもの。それらの発生に必要な要素とは、何か」
智悟がスマートフォンを……自らの異能を世に表出させる手順として定めた媒体、【魔女の杖】を操作する。
ほどなく、同じ虹の輝きが、愛里咲のスマートフォンにも現れていた。
「それは、傷だ。出逢い、繋がり、それまで無くても平気だったものが、無くては不完全な状態に更新される。『自分にはあの人が足りない』という切迫が、心を彼方に走らせる」
愛里咲のスマートフォンでは、本人が入れた覚えのない奇妙なアプリが起動していた。
無数のアイコンが縦横に理路整然と立ち並ぶその画面、下部にはアプリ名と思しきロゴマーク……
アイコンにはそれぞれ人の顔が描かれているようなのだが、その九割九分はハートマークの下に隠れてよく見えず、今は無用と告げるようにグレーアウトされている。
——その中で唯一、点灯しているもの。
ハートに潰される下、かすかに見える輪郭は——武者兜の形をしていた。
「時にそれは勲章であり、かけがえなき思い出だろう。あと一歩を踏み出す勇気になり、よいことを成そうという根幹を支える。それが絆という、他者によりもたらされる傷なんだ」
アイコンが、鼓動打つように脈動している。
ハートには、稲妻のような線が走っている。
「破滅的。だとしても、紛うことなき宝物。それでも君は、それを消すことを望むのかい。彼女らから、大切な切迫を奪い去るのかい。その果てに、有坂愛里咲の恋が失われようと?」
迷わない。
愛里咲が、力強く武者兜の……【鬼斬鬼刀銃朗】のアイコンをタップする。
瞬間。時空は飴細工のごとくたやすく歪み……気づけば、二人はそこへ立っていた。
舞台袖……らしき場所。暗く、狭く、選ばれたものだけがこの先へ進み、光を浴びられる、“一歩手前”の空間。
そんな、街角一人芝居しか経験のない少女には、ちゃんと立てた試しのない領域から続く“この先”の“舞台上”は——板張りでもなく観客席もない、不思議に明るい岩肌の洞窟と繋がっていた。
——そして、愛里咲が「あ」と息を飲んだ。
見覚えがある。知っている。
今まさに舞台上、洞窟にてやりとりを行う四人を……行われている演目を。
何しろ、つい先ほど、聞いたばかりだったから。
「初見であっても、初耳ではないよね。そう、あれは【刀銃朗血風譚】の大詰めだ。刃は一振り、弾は一発——今まさに、傷が生まれ絆が紡がれる、その直前の
思わず走り出した愛里咲が、見えない壁に阻まれる。
……進めない。舞台袖から、出られない。
「無理だよ。舞台は既に始まっていて、脚本に無い役者などお呼びじゃあない。第一、あそこにごく平凡なただの少女が混じったところで、何にもならないだろう?」
けど、だけど。だとしても。
このまま、眺めるだけの観客でなんて、いられない。
あの子の絆が——彼女の恋が傷物になるところを、黙ってなんて見過ごせない。
「だから、そんなつまらん
虹色が——否。
1677万7216色の可能性の光が、スマートフォンから溢れている。
アプリの画面が切り替わり、羅列ではなく、一つだけの大きなアイコンがある。ハートに隠れていない横顔が現れている。
幼馴染で大親友の、企むような笑い顔がそこにある。
「さあ、君の
愛里咲が、智悟のアイコンをタップする。とびっきりの信頼と、疑いなき親愛を籠めて。
スマートフォンから溢れていた光が、はっきりとした指向性をもって、愛里咲の全身を包み込んだ。
「今回はチュートリアル。特別に、私のドレスを貸そうじゃないか。ただし気をつけたまえ。魔女の魔法には、いつだってどんな時も
囁かれる
「——以上だ。君がこれを破った時、もう、有坂愛里咲は帰ってこれない。誰でもない何者かとなり、世界から消え失せる。それでも君は、その恋に、己の身を捧げるかい?」
「ありがとう、なみちー」
感情とやり取りを、何段階かすっ飛ばす。
有坂愛里咲は、笑っている。
「いっつも私を助けてくれて。最後の最後は、自分でやれるって信じてくれて」
「……は。もうちょっと怯えた顔をしたまえよ。命をなんだと思ってるんだか」
「大事なものに決まってんじゃん! でもまあ、命がかかるなんてこと、なみちーと一緒にいたら起こりがちのイベントだし!」
それを言われると、魔女側としては少々弱い。
思わず言葉が止まってしまったのとは対照的に、愛里咲が震える。
武者震いだ。
「怖いねえ。ああ、良い緊張感だね。でも大丈夫。行ってくる。ここで引いたら、私はきっと、いつまでも……どんな大人になってからも、逃げ出したのを後悔する」
——やれやれ、と親友の魔女が首を振る。底抜けの親愛と、期待を込めて。
「どうせだ。この機会、役者としてのレベルアップにも使ってしまえ。どっちも最後に大事なのは……君の持ち味、もう一歩を踏み出す度胸だからね」
「
少女は往く。光を纏ったまま、階段を駆け上がるように、舞台袖から躍り出る。
そうして、今。
涙涙の展開を迎えんとする【刀銃朗血風譚】に、大暴れの大番狂わせ……傷など生まれる余地もない、ハッピーエンドが乱入した。
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