魔女は恋路に力を添える



        ■



 凪波智悟は、ごく平凡な少女、有坂愛里咲の幼馴染である。

 二人は幼稚園来の付き合いで、様々な喜怒哀楽を共にした。

 朝を、昼を、夜を。

 春を、夏を、秋を、冬を。

 小学生時代を共にして、中学生時代は別々でも、ありふれた日々を精一杯楽しんできた。


 ……それがどういうことなのか。自分が相手の何で、どういう“箍”となっていたのかを、愛里咲は知らない。気づきも意識もしていない。

 愛里咲にとって【なみちー】は、『フシギなところもあるけど、そんなのは私たちのユージョーにはカンケーない、大切な大親友』であったから。


 ……凪波智悟が、宇宙の理すら捻じ曲げる特異な才を生まれ持ち、それでいて世界の価値を測りかねていた特級の超越存在——【万能にして未熟の魔女】と呼ばれる終末可能厄災であることなど。

 二人の関係にとっては、実に些末なことだったのだ。


「恋と愛とに必要なもの。それらの発生に必要な要素とは、何か」

 

 智悟がスマートフォンを……自らの異能を世に表出させる手順として定めた媒体、【魔女の杖】を操作する。

 ほどなく、同じ虹の輝きが、愛里咲のスマートフォンにも現れていた。

 

「それは、傷だ。出逢い、繋がり、それまで無くても平気だったものが、無くては不完全な状態に更新される。『自分にはあの人が足りない』という切迫が、心を彼方に走らせる」


 愛里咲のスマートフォンでは、本人が入れた覚えのない奇妙なアプリが起動していた。

 無数のアイコンが縦横に理路整然と立ち並ぶその画面、下部にはアプリ名と思しきロゴマーク……題名タイトルを、【Girl’s/Slash/Egoism】。

 アイコンにはそれぞれ人の顔が描かれているようなのだが、その九割九分はハートマークの下に隠れてよく見えず、今は無用と告げるようにグレーアウトされている。


 ——その中で唯一、点灯しているもの。

 ハートに潰される下、かすかに見える輪郭は——武者兜の形をしていた。


「時にそれは勲章であり、かけがえなき思い出だろう。あと一歩を踏み出す勇気になり、よいことを成そうという根幹を支える。それが絆という、他者によりもたらされる傷なんだ」


 アイコンが、鼓動打つように脈動している。

 ハートには、稲妻のような線が走っている。


「破滅的。だとしても、紛うことなき宝物。それでも君は、それを消すことを望むのかい。彼女らから、大切な切迫を奪い去るのかい。その果てに、有坂愛里咲の恋が失われようと?」


 迷わない。

 愛里咲が、力強く武者兜の……【鬼斬鬼刀銃朗】のアイコンをタップする。

 瞬間。時空は飴細工のごとくたやすく歪み……気づけば、二人はそこへ立っていた。

 

 舞台袖……らしき場所。暗く、狭く、選ばれたものだけがこの先へ進み、光を浴びられる、“一歩手前”の空間。

 そんな、街角一人芝居しか経験のない少女には、ちゃんと立てた試しのない領域から続く“この先”の“舞台上”は——板張りでもなく観客席もない、不思議に明るい岩肌の洞窟と繋がっていた。


 ——そして、愛里咲が「あ」と息を飲んだ。

 見覚えがある。知っている。

 今まさに舞台上、洞窟にてやりとりを行う四人を……行われている演目を。

 何しろ、つい先ほど、聞いたばかりだったから。

 

「初見であっても、初耳ではないよね。そう、あれは【刀銃朗血風譚】の大詰めだ。刃は一振り、弾は一発——今まさに、傷が生まれ絆が紡がれる、その直前の場面シーンさ。簡単に言えば今、時間と空間が歪み、私達は過ぎ去った過去と面している」


 思わず走り出した愛里咲が、見えない壁に阻まれる。

 ……進めない。舞台袖から、出られない。


「無理だよ。舞台は既に始まっていて、脚本に無い役者などお呼びじゃあない。第一、あそこにごく平凡なただの少女が混じったところで、何にもならないだろう?」

 

 けど、だけど。だとしても。

 このまま、眺めるだけの観客でなんて、いられない。

 あの子の絆が——彼女の恋が傷物になるところを、黙ってなんて見過ごせない。


「だから、そんなつまらん現実リアル改稿リライトだ」


 虹色が——否。

 1677万7216色の可能性の光が、スマートフォンから溢れている。

 アプリの画面が切り替わり、羅列ではなく、一つだけの大きなアイコンがある。ハートに隠れていない横顔が現れている。

 幼馴染で大親友の、企むような笑い顔がそこにある。


「さあ、君のキャストを用意しよう。君の好意アドリブを差し込もう。美しい悲劇的喪失は只今をもって御役御免、収録ではない舞台芝居は再演の度に進化する!」


 愛里咲が、智悟のアイコンをタップする。とびっきりの信頼と、疑いなき親愛を籠めて。

 スマートフォンから溢れていた光が、はっきりとした指向性をもって、愛里咲の全身を包み込んだ。


「今回はチュートリアル。特別に、私のドレスを貸そうじゃないか。ただし気をつけたまえ。魔女の魔法には、いつだってどんな時も加護ブレス禁忌ブレイクが共にある。この場合は——」


 囁かれる魔女の約束事ウィッシュルール。舞踏会という大舞台に臨むシンデレラへ、王子を探して陸へと上がるマーメイドへ告げるような、夢を叶える為の制限。リスクののない奇跡など、御伽噺の中にこそ無い。


「——以上だ。君がこれを破った時、もう、有坂愛里咲は帰ってこれない。誰でもない何者かとなり、世界から消え失せる。それでも君は、その恋に、己の身を捧げるかい?」

「ありがとう、なみちー」


 感情とやり取りを、何段階かすっ飛ばす。

 有坂愛里咲は、笑っている。


「いっつも私を助けてくれて。最後の最後は、自分でやれるって信じてくれて」

「……は。もうちょっと怯えた顔をしたまえよ。命をなんだと思ってるんだか」

「大事なものに決まってんじゃん! でもまあ、命がかかるなんてこと、なみちーと一緒にいたら起こりがちのイベントだし!」


 それを言われると、魔女側としては少々弱い。

 思わず言葉が止まってしまったのとは対照的に、愛里咲が震える。

 武者震いだ。

 

「怖いねえ。ああ、良い緊張感だね。でも大丈夫。行ってくる。ここで引いたら、私はきっと、いつまでも……どんな大人になってからも、逃げ出したのを後悔する」


 ——やれやれ、と親友の魔女が首を振る。底抜けの親愛と、期待を込めて。


「どうせだ。この機会、役者としてのレベルアップにも使ってしまえ。どっちも最後に大事なのは……君の持ち味、もう一歩を踏み出す度胸だからね」

ってきます! 見てろよなみちー、君がくれた私の舞台! 妥当を越えた最高で、ずーっと先の思い出し笑いをプレゼントだ!」


 少女は往く。光を纏ったまま、階段を駆け上がるように、舞台袖から躍り出る。

 そうして、今。

 涙涙の展開を迎えんとする【刀銃朗血風譚】に、大暴れの大番狂わせ……傷など生まれる余地もない、ハッピーエンドが乱入した。

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