想い知っても、思い知っても
■
日が暮れる。町に帳が降りていく。帰りの時間。幕の時間。
寂れた寺の石段に未だ座っているのは、愛里咲だけだ。もう一人……刀銃朗は既に帰ってしまった。出番を終えた役者が、舞台を去るように。観客だけが今も、座席から立ち上がれない。
日が暮れる。
少女が、途方に暮れている。
「愛里咲」
宵闇が口を聞いた。
——そんな錯覚を伴ったのは一瞬で、すぐにそれは、人に成った。
状況の舞台袖……雑木林の奥から現れた、凪波智悟が問うてきた。
「まだ恋はしているかい」
刀銃朗の話の最中から、彼女が去っても。
愛里紗がずっと胸の内で自問自答していた言葉が、改めて、他者の口から投げられる。
「それでも恋が、できるかい」
もっともらしいことならば、いくらでも言えるのだ。
『恋の実りは必ずしも、恋した期間で決まらない』とか。
『思い出の衝撃を塗り替える、一瞬の鮮烈もある』とか。
「ねえ、なみちー」
けれど、彼女は有坂愛里咲で。
幾多の物語を、“現実だってこんなふうであったらいいな”と思いながら創作してきた、空想に願いを込める一人芝居の脚本家にして役者だから。
感情移入してしまう、性分だから。
「私、思っちゃったよ」
少女は俯いていない。その目は上に向いている。空に向いている。夜に向いている。
遠い、遠い、星のほうへ向いている。
「『ああ。
愛里咲は、聞いた。
鬼斬鬼刀銃朗が日向志央に惚れ込んだ経緯、決定打となった事象について。
「びっくりしちゃった。あんな事があったんだね。あんなに辛い目にあったんだね。そんなのってさあ……日向くんの“ひとりだけ”に選ばれたくって、当たり前だよね」
恋敵に語られたのは、紛れもなく、メインヒロインのメインストーリーだった。
活劇があり、悲劇があり、歓喜があり、衝突があり、叱咤があり、激励があり。
傷があり、絆があった。
それが鬼斬鬼刀銃朗と日向志央の舞台——題するならば、【刀銃朗血風譚】。
ごく普通の少年と、本当は普通だった少女が織り成した、刃の
「……これってさ。みんなも……刀銃朗ちゃんと同じなの?」
「ああ。負けず劣らず引けも取らず、濃い物語を経ているよ。節操ないジャンル横断、アクションSFファンタジー、ミステリスポーツサスペンス……百花繚乱の
「——そっかぁ。ふふ、皆にも話を聞いてみたいなあ。役者にとって、おはなしは栄養で、教科書だもん。こんな面白いの、参考にしない手はないよね。それに……好きな人の好きな所、いっぱい聞けるの、嬉しいもんね!」
「閑話休題だ、愛里咲」
強く、厳しく、魔女が流れを引き戻す。
「言い方を変えよう。君は、日向志央を、まだ好きでいられるかい。恋敵の想いを知っても
……たった一つの席には座れないと、そこには別の誰かが座るべきだと、優しさから、正しさから、思い知っても」
「…………ふふふ。なぁに言ってんですかねえ、なみちーは」
愛里咲は笑う。智悟を見ないで。上を向いたまま。
溢れる涙が、落ちないように。
「好きに、決まってるじゃん。何を、どんなに、思い知ったって……勝てないなら仕方ないやって、諦められるわけ、ないじゃん」
「————」
「そりゃあさ。私なんてさ。日向くんと、立派な縁も無いよ。一緒に、特別で、凄いこと、なんにもやれて、ないよ。何もかも軽くって、誰がどう見たって……私なんかが、結ばれたら。興醒めだって、がっかりだって、もっと他にふさわしい相手がいるのにって、言っちゃうよ」
無言で見守る友人に、でもさあ、と少女は呟く。
「でもさ。わたしだって、すきなんだ。こんなきぶん、はじめてで。おもうだけで、どきどきして。ひゅうがくんの、そばにいたい、いっしょに、しあわせになりたいって……ほんとうに、ほんとうにさ、ほんとなんだよ……」
「大丈夫」
星を見上げて泣き続ける愛里咲の、その手が取られた。
思わず視線を下げ、溢れた涙は、もう片方の智悟の手で受け止められる。
普通な少女の変わった親友は、とても優しく笑っていた。
「よかった。よかった。まだ日向を好きと言えるなら、恋路に問題は何もない」
「……なみちー……?」
「君は泣いたね。自らの恋心に、落ち度はなくとも勝ち目はない、と。熱量も蓄積も、必然性も納得感も、遅れに遅れた今更ではあの中の誰一人として及ばない、と。いやいや、それがいいんだ。その位置がいいんだ。舞台にはまだ上がっていない登場人物未満の半観客、その立場が素晴らしい」
「……どういう、こと?」
それはね、と智悟は笑う。
透き通った笑い。濁りのない、問いから解を算出する、システマチックな表情。
とても、合理的で。
ひどく、魔性的な。
大切な友達にだけ、優しい笑い。
「日向志央と108人の恋敵。あのコミュニティは、遠からず自壊する」
極めて淡々と、未来を当てる
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